安倍晴彦裁判官(14期)の略歴


生年月日 S8.2.16
出身大学 東大
退官時の年齢 65 歳
H10.2.16 定年退官
H4.4.1 ~ H10.2.15 東京地家裁八王子支部判事
S63.4.1 ~ H4.3.31 浦和地家裁川越支部判事
S59.4.1 ~ S63.3.31 静岡地家裁浜松支部判事
S54.4.1 ~ S59.3.31 浦和地家裁川越支部判事
S49.4.15 ~ S54.3.31 横浜家裁判事
S47.4.10 ~ S49.4.14 福井地家裁判事
S43.4.1 ~ S47.4.9 岐阜地家裁判事補
S40.4.16 ~ S43.3.31 和歌山地家裁判事補
S37.4.10 ~ S40.4.15 東京地家裁判事補

*0 以下の記事も参照してください。
・ 地方裁判所支部及び家庭裁判所支部
*1 安倍晴彦裁判官が著した「犬になれなかった裁判官」には以下の記載があります。
(219頁の記載)
    同期の多くが、その時に(山中注:裁判官になって21年経ったときに)-あるいは遅れても半年か一年遅れるくらい-三号になる。そうして、私以外の全員(と思われる)が昇給していくのに、私は昇給しなかった。いわゆる「三号問題」である。
    結局、私が昇給したのは、それから三つの任地にわたり、同期の最初の昇給時期から五年半も遅れた後であった。ということは、同じ「裁判官」であっても、私の五年後輩の者が私より先に三号に昇給していくということになるのである。
(224頁の記載)
    どういう風の吹き回しかそのようなこと(山中注:平成5年8月1日に弁護士任官した,14期の田川和幸 元日弁連副会長について任官時から判事1号棒が適用されたことにかんがみ,現職のまま,国を相手として,バックペイと慰謝料請求の訴訟を提起しようかということ)を外部へ向けて言いだした「直後」、私は二号に昇給したのである。
(中略)
    私が一号になったのは一九九八年二月一五日、定年退職の当日で、一日限りの一号であった。それなりの恩恵か、嫌がらせの処置か知らないが、この一日だけの一号昇給という措置を受けている裁判官は、全国裁判官懇話会の世話人その他にも何人かいるようである。
*2 判事2号は財務省主計局長等と同じ給料であり,判事1号は事務次官と同じ給料です(「裁判官の年収及び退職手当(推定計算)」参照)。
*3 魚の目HP「安倍晴彦元裁判官独占インタビュー」と題する記事に5本の動画が載っています。


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