目次
昭和44年(1969年),東京大学の卒業が大学紛争によって遅れたため,在学中に司法試験に合格していた者をいつ司法修習生に採用するかが問題となった。
最高裁判所は東京大学在学中の合格者62人の意向を確認し,最終的に東京大学卒業者26人を昭和44年7月1日付で23期司法修習生として特別採用した。
本記事では,国会会議録,同時代の日弁連臨時総会決議,司法研修所の年表及び後年の経歴資料に基づき,特別採用までの経過,最高裁判所と日弁連の立場,修習終了日並びに資料間の人数・期別表記の相違を整理する。
第1 特別採用の結論と時系列
1 確認できる結論
日弁連の昭和44年7月12日臨時総会決議は,最高裁判所が東京大学卒業者26人を採用したと記載している。
同決議の提案理由は,26人が同年7月1日に正式採用されたと記録している。
司法研修所の年表は,この者たちを「第23期司法修習生(昭和44年7月採用)」と表記している。
したがって,確認できる最終結果は,「23期・26人・昭和44年7月1日付採用」である。
2 昭和43年12月から昭和46年7月までの時系列
| 日付 | 確認できる出来事 | 主な根拠 |
|---|---|---|
| 昭和43年12月17日 | 最高裁判所側は,東京大学在学中の司法試験合格者について,中退して通常時期に採用されるか,卒業を待つか,各人の意向を確認する考えを国会で説明した。 | 第60回国会衆議院法務委員会第1号 |
| 昭和44年2月5日 | 日弁連臨時総会の提案理由によれば,東京大学法学部長は,授業を2月11日から再開し,卒業を6月10日に予定する旨を学生へ示した。 | 日弁連臨時総会決議の提案理由 |
| 昭和44年3月18日 | 同提案理由によれば,最高裁判所人事局長は,東京大学在学中の合格者62人全員を呼び出し,意向を聴取した。 | 同上 |
| 昭和44年3月19日 | 最高裁判所側は,東京大学在学中の合格者が大学院生を含め約60人であり,卒業後の採用方法を緊急に検討していると国会で説明した。 | 第61回国会衆議院法務委員会第9号 |
| 昭和44年6月6日 | 日弁連は,特別採用が統一的な司法修習を損なうとして,最高裁判所長官へ是正を申し入れた。 | 日弁連臨時総会決議の提案理由 |
| 昭和44年6月12日 | 最高裁判所事務総長は,日弁連と見解を異にし,特別採用は志望別分離修習の契機にならない旨を回答したとされる。 | 同上 |
| 昭和44年7月1日 | 東京大学卒業者26人が23期司法修習生として正式採用された。 | 日弁連臨時総会決議の提案理由 |
| 昭和44年7月12日 | 日弁連臨時総会が特別採用への反対決議を採択した。 | 日弁連臨時総会決議 |
| 昭和46年7月1日 | 昭和44年7月採用の23期司法修習生が修習を終了した。 | 司法研修所『司法修習ハンドブック』83頁 |
第2 卒業延期者に対する最高裁判所の検討
1 昭和43年12月時点では取扱いが確定していなかったこと
昭和43年12月17日の衆議院法務委員会において,最高裁判所側は,東京大学には在学中の司法試験合格者が相当数いることを認識していた。
もっとも,この時点では特別採用の方針が確定していたわけではなく,大学を中退して司法修習生となるか,卒業まで大学に残るか,各人の希望を確認する段階であった。
『全裁判官経歴総覧 第五版 期別異動一覧編』の凡例注7は,東京大学を中退して昭和44年4月に司法研修所へ入所した者が26人いたと記載している。
東京弁護士会司法制度臨時措置委員会の昭和46年5月の調査報告書5頁~7頁にも,最高裁判所から7月入所を勧められたものの,東京大学を中退して4月に入所した者がいたことを示す具体例がある。
2 3月18日の62人に対する意向聴取
日弁連臨時総会の提案理由は,昭和44年3月18日,最高裁判所人事局長が東京大学在学中の合格者62人全員を午前と午後に分けて呼び出したと記録している。
同提案理由は,午前中の個別面接で中退希望者が多いことが判明した後,午後には残る者を大法廷へ集め,卒業後の入所を勧めたとも記載している。
この記載は日弁連臨時総会における提案理由の一部であり,最高裁判所作成の面接記録そのものではないため,その資料上の性質を区別する必要がある。
3 「当時の東大生」一般の卒業問題ではないこと
本件で問題となったのは,昭和44年3月に卒業できなかった東京大学の学生一般ではなく,東京大学在学中に司法試験へ合格し,司法修習生への採用を希望していた者の取扱いである。
また,日弁連臨時総会の提案理由が記録する6月10日は東京大学法学部長が2月5日に示した卒業予定日であり,特別採用者26人全員の実際の卒業日を示す名簿ではない。
第3 最高裁判所の説明と日弁連の反対
1 最高裁判所側の説明
日弁連臨時総会の提案理由によれば,最高裁判所側は,卒業の遅れが本人に責任のない学園紛争によって生じたものであり,卒業を待って司法研修所へ入所させることが法曹三者の後継者養成に望ましいと説明した。
昭和44年6月12日付の最高裁判所事務総長の回答について,同提案理由は,特別採用は志望別分離修習の契機にならず,将来同様の事態が生じたときは弁護士会へ早く連絡するという内容であったと紹介している。
これらは日弁連が記録した最高裁判所側の説明であり,日弁連自身の評価とは分けて読む必要がある。
2 日弁連の反対理由
日弁連は,同じ23期司法修習生について採用時期と修習課程を分けることが,法曹の公平・平等・統一養成という司法修習制度の理念に反すると主張した。
また,この措置が志望別分離修習の契機となるおそれがあること,最高裁判所が日弁連及び受入れ弁護士会へ事前に相談しなかったことを問題とした。
日弁連臨時総会は,最高裁判所が26人を採用した後の昭和44年7月12日,特別採用に全面的に反対する決議を採択した。
3 23期司法修習生側の反応
後年に公表された23期司法修習生の回想には,4月入所組のクラスで7月入所の是非を議論し,7月入所予定者へ手紙を送ったとの記述がある。
これは当事者による後年の回想であり,同時代の会議録又は決議文と同じ性質の資料ではない。
そのため,本記事では,公開資料で独立に確認できなかった「昭和44年6月25日の司法修習生大会で反対決議が行われた」という日付及び会議体を確定した事実として記載しない。
第4 修習の終了と判事補10人の経歴
1 昭和46年7月1日の修習終了
司法研修所『司法修習ハンドブック』83頁は,通常の23期司法修習生が昭和46年4月5日に修習を終了し,昭和44年7月採用の23期司法修習生が同年7月1日に修習を終了したと記録している。
東京弁護士会『LIBRA』2024年3月号47頁に掲載された23期司法修習生の回想は,7月入所組が4月入所組と一緒に修習する変則的な形であったと述べている。
『全裁判官経歴総覧 第五版 期別異動一覧編』の凡例注7には「昭和46年6月修習終了として扱った」とあるが,これは人事記録上の取扱いを述べたものとみられ,司法研修所年表が示す実際の修習終了日は7月1日である。
2 修習終了直後に判事補となった10人
『全裁判官経歴総覧 第五版 期別異動一覧編』156頁~160頁の初任欄によれば,7月採用組のうち10人が昭和46年7月に判事補となった。
同書に7月採用組として掲載された後の裁判官は11人いるが,1人は修習終了直後に検事となり,後に裁判官へ転官した者である。
したがって,「修習終了直後に判事補となった者が10人」という数と,後の裁判官を含む掲載者が11人であることは矛盾しない。
3 10人が裁判官として最後に就いた主なポスト
同書に基づき,修習終了直後に判事補となった10人が裁判官として最後に就いた主なポストを集計すると,次のとおりである。
| ポスト | 人数 |
|---|---|
| 東京高裁長官 | 1人 |
| 名古屋高裁長官 | 2人 |
| 知的財産高裁所長 | 1人 |
| 東京高裁部総括判事 | 2人 |
| 名古屋地裁所長 | 1人 |
| さいたま地家裁熊谷支部長 | 1人 |
| 名古屋家地裁判事 | 1人 |
| 静岡家地裁判事 | 1人 |
高裁長官,知的財産高裁所長,高裁部総括判事又は地方裁判所長のいずれかに就いた者は,10人中7人である。
この7人という数は上記の役職区分に基づく集計結果であり,人事上の評価又は昇進の早さを示すものではない。
第5 資料によって人数・期別表記が異なる理由
1 『日弁連五十年史』の「22期・31人」
『日弁連五十年史』228頁は,最高裁判所が「22期修習生」の採用に当たり,大学紛争で卒業の遅れた東京大学の学生31人を7月に特別採用したと記載している。
しかし,同時代の日弁連臨時総会決議及び司法研修所の年表はいずれも「23期」と記載しているため,「22期」は誤記と判断できる。
また,最終的に正式採用された人数は同時代の決議が示す26人であり,「31人」を最終採用人数として用いることはできない。
31人は,卒業後の採用を希望した途中段階の人数を指す可能性があるが,同書228頁だけから集計時点を確定することはできない。
2 23期全体の統計と7月採用組の内訳
『司法研修所五十年史』の司法修習終了者数一覧表137頁は,23期全体の修習終了者を506人,その直後の進路を判事補63人,簡易裁判所判事2人,検事47人,弁護士388人,その他6人としている。
この数字は4月採用組と7月採用組を合わせた23期全体の統計であるため,7月採用組26人だけの進路内訳を直接示すものではない。
7月採用組について「判事補10人,検事6人,弁護士10人」とする内訳のうち,判事補10人は経歴資料で確認できたものの,検事6人及び弁護士10人の全員を特定できる名簿原典は今回確認できなかった。
そのため,本記事では確認できた判事補10人だけを記載している。
第6 関連する記事及び回想
23期の任官拒否及び通常の4月採用組の修習終了式については,「品位を辱める行状」があったことを理由とする司法修習生の罷免事例及び再採用に記載している。
昭和44年から昭和46年にかけての司法行政上の出来事との関係については,昭和44年開始の,裁判所におけるブルーパージに記載している。
23期司法修習生による後年の回想として,自由法曹団通信1373号「東大生七月入所問題」及び東京弁護士会『LIBRA』2024年3月号47頁「伸び伸びと過ごせた修習時代」がある。
第7 出典
1 公文書・歴史資料
①日本弁護士連合会「臨時総会・司法修習生の追加採用に関する決議」(昭和44年7月12日)
②第60回国会衆議院法務委員会第1号「昭和43年12月17日会議録」
③第61回国会衆議院法務委員会第9号「昭和44年3月19日会議録」
④司法研修所『司法修習ハンドブック』(2024年1月)資料83頁(PDF 88頁)
⑤司法研修所『司法研修所五十年史』(1998年2月)「司法修習生の修習終了者数一覧表」資料137頁(抜粋PDF 2頁)
2 文献
①全裁判官経歴総覧編集委員会編『全裁判官経歴総覧 第五版 期別異動一覧編』(公人社,2010年)凡例注7,156頁~160頁
②日弁連創立50周年記念行事実行委員会編『日弁連五十年史』(日本弁護士連合会,1999年)228頁
③東京弁護士会司法制度臨時措置委員会『23期司法修習生の任官拒否問題に関する調査報告書』(昭和46年5月)5頁~7頁
④泉信吾「伸び伸びと過ごせた修習時代」東京弁護士会『LIBRA 2024年3月号』47頁(PDF 41頁)