伊東武是裁判官(22期)の経歴


生年月日 S19.5.26
出身大学 東大
退官時の年齢 65 歳
H21.5.26 定年退官
H18.4.1 ~ H21.5.25 神戸家裁少年部部総括
H14.3.2 ~ H18.3.31 神戸地家裁姫路支部刑事部部総括
H10.4.1 ~ H14.3.1 大阪高裁判事
H6.4.1 ~ H10.3.31 神戸地家裁尼崎支部判事
H2.4.1 ~ H6.3.31 神戸地裁判事
H1.4.1 ~ H2.3.31 鹿児島地裁刑事部部総括
S60.4.1 ~ H1.3.31 鹿児島地家裁判事
S57.4.1 ~ S60.3.31 大阪地裁判事
S55.4.8 ~ S57.3.31 宮崎地家裁日南支部判事
S54.4.1 ~ S55.4.7 宮崎地家裁日南支部判事補
S51.4.1 ~ S54.3.31 岐阜地家裁判事補
S48.4.2 ~ S51.3.31 松山地家裁判事補

*1 以下の記事も参照してください。
・ 部の事務を総括する裁判官の名簿(昭和37年度以降)
・ 地方裁判所支部及び家庭裁判所支部
・ 昭和44年開始の,裁判所におけるブルーパージ
→ 11期の櫻井文夫最高裁判所人事局長は,昭和62年3月24日の衆議院法務委員会において,全国裁判官懇話会の世話人及び青法協元会員の裁判官に対する差別は存在しないと答弁しています。
*2 全国裁判官懇話会の熱心なメンバーであった22期の伊東武是裁判官につき,現代ビジネスHPの「初公開!裁判官の「出世とカネ」こうなっている」には,同人の発言として,以下の記載があります。
任官20年を過ぎる頃には、同期の連中は3号になり、裁判長になっている。なのに、僕は4号のままで据え置かれたのは、辛かった。
(中略)
3号になってからも、裁判長のお呼びがかからず、ようやく念願の裁判長になれたのは59歳。ほかの人より10年以上遅れているんです。
裁判長以下、3人の裁判官で審理する合議体において、ベテランが座る右陪席のままでね。陪席裁判官は、嫌な裁判長のもとでも我慢して仕事しなきゃならんし、年下の裁判長につくことだってある。
やっぱり、自分の意見が通り、自分の判断が下せる裁判長というのは、裁判官になった以上、誰もが望むやりがいのあるポストなんです


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