第1 平成14年国会答弁の内容と資料上の限界
1 国会答弁の位置付け
平成14年11月13日の衆議院法務委員会では,裁判官の報酬月額表を引き下げる法律案の審議に関連して,昭和6年の判事減俸問題が取り上げられた。森山眞弓法務大臣の答弁は,昭和6年の経過について法務省が国会で示した説明を確認できる資料である。
もっとも,森山法務大臣は,説明の冒頭で「資料は必ずしも十分ではございません」と明示している。そのため,第155回国会衆議院法務委員会第7号の発言48は,答弁がされた事実については一次資料であるが,答弁が説明する昭和6年の歴史的事実については,当時の法令,公文書及び新聞資料による検証を要する。
2 答弁が説明した昭和6年の経過
答弁によれば,政府は,当初,官吏一般を対象とする俸給の減額であれば裁判所構成法の身分保障に反しないと解していた。しかし,昭和6年勅令第99号の附則で,不同意の判事について従前の俸給額を保障し,次の帝国議会へ法律案を提出する方針を立てたと説明された。
答弁は,さらに,大審院長が全国の判事に減俸への同意を訓示し,結局,全判事が減俸又は寄附に同意したとも説明した。ただし,この二点は,後記の同時代資料と一致しない部分があり,公開資料から最終的な経過を確認できない。
3 国会答弁を読む際の二つの区別
第一に,「減俸に同意すること」と「減俸には同意せず,減俸相当額を国庫へ寄附すること」は,法的に異なる行為である。第二に,「次の帝国議会へ法律案を提出する方針」と「法律案が実際に提出又は成立したこと」も区別する必要がある。
政府の法律案提出方針は,国会答弁と昭和6年6月17日の新聞報道で確認できる。しかし,公開されている帝国議会会議録及び法令索引からは,判事減俸法律案が実際に提出又は成立したことを確認できない。
第2 昭和6年の法的枠組み
1 裁判所構成法73条と76条
裁判所構成法73条1項は,刑法の宣告又は懲戒処分による場合等を除き,判事はその意に反して転官,転所,停職,免職又は減俸されないと定めていた。他方,同法76条は,判事の官等,俸給及び進級に関する規程を勅令に委ねていた。
昭和6年の法的争点は,76条に基づいて俸給表を一般的に改定し,在職判事の俸給を引き下げることが,73条の「其ノ意ニ反シテ……減俸セラルルコトナシ」に抵触するかであった。76条は俸給額の設定を委任したにすぎず,在職判事の意に反する減俸までは許さないとする見解と,俸給の増減を含めて勅令へ委任したとする見解が対立した。
2 昭和6年勅令第99号
第二次若槻内閣の政府は,昭和6年5月27日,高等官官等俸給令中改正ノ件(昭和6年勅令第99号)を公布し,同年6月1日から施行した。この勅令は,高等官の俸給表を改定して官吏の俸給を減額するものであった。
ただし,附則末項は,施行時に従前の規定による俸給を受けている判事について,本人の意に反して現に受ける俸給額を減じないと定めた。この現給保障により,施行時在職判事へ新しい俸給表を適用するには,本人の同意が必要となった。
3 附則による現給保障の意味
政府が不同意の在職判事への強制適用を避ける附則を置いたことは,勅令の原文から確認できる。しかし,この措置だけから,政府が勅令による一般的減俸を違法とする解釈へ正式に転じたとまでは断定できない。
また,昭和6年の解釈問題について,裁判所の判決により適法又は違法との決着が付いたことは,公開資料から確認できない。勅令の附則が不同意判事の現給を保障したため,争点は司法判断ではなく,同意の取付けと将来の立法方針をめぐる問題として残った。
第3 減俸への同意と寄附の実態
1 昭和6年6月1日の控訴院長会議
平成14年の国会答弁は,大審院長が全国の判事に減俸への同意を訓示したと説明した。これに対し,時事新報昭和6年6月3日「問題の判事減俸,自由意思に任す」は,昭和6年6月1日に大審院長と7人の控訴院長らが協議したものの,統一方針には至らず,各判事の自由意思に任せることになったと報じている。
同記事によれば,大審院長は減俸相当額を寄附する案を示したが,下級判事の意思を拘束すべきでないとの意見が出たため,寄附も強制しないこととされた。別の時点で訓示がされた可能性は否定できないものの,今回確認した公開資料からは,全国の判事に同意を求める訓示の存在及び内容を裏付けることができない。
2 昭和6年6月19日の人数
大阪朝日新聞昭和6年6月19日「判事の減俸反対,総数の一割」は,全国の判事現員1302人について,次のように報じている。不同意者146人には,減俸には同意しない一方で国庫への寄附を申し出た19人が含まれるため,人数を単純に合計することはできない。
| 区分 | 人数 | 相互関係 |
|---|---|---|
| 判事の現員 | 1302人 | 全体 |
| 減俸同意者 | 1156人 | 現員の内数 |
| 減俸不同意者 | 146人 | 現員の内数 |
| 不同意者のうち国庫寄附申出者 | 19人 | 不同意者146人の内数 |
| 減俸にも寄附にも応じない者 | 127人 | 不同意者146人から寄附申出者19人を除いた人数 |
この集計によれば,昭和6年6月19日時点で,減俸にも寄附にも応じない判事は127人であり,現員の約1割であった。したがって,少なくともこの時点では,全判事が減俸又は寄附に同意していたわけではない。
3 昭和6年11月27日の閣議決定
昭和6年11月27日閣議決定「行政並軍備整理又ハ軍制改革ニ伴フ人員整理実施要綱」は,人員整理に伴う特別手当の計算に関し,昭和6年勅令第99号による減俸を承諾しなかった判事を明文で予定している。これは,同年11月の制度運用でも,不同意判事という類型が考慮されていたことを示す。
もっとも,この規定は,不同意判事の具体的な人数又は氏名を記載していない。したがって,閣議決定だけから,同日現在も127人全員が不同意のまま在職していたとまではいえない。
4 「全判事が同意又は寄附した」といえるか
最高裁判所事務総局編『裁判所百年史』159頁は,判事の同意又は献金によって事態が収まったと記し,平成14年の国会答弁も,全判事が減俸又は寄附に同意したと説明した。これらは,裁判所の公刊制度史と国会答弁に現れる叙述として紹介することができる。
しかし,新井勉「昭和初年の官吏減俸令と裁判官」は,昭和6年6月19日時点で127人の完全不同意者が残っていたことを確認した上で,その後に同意又は寄附へ転じたかは分からず,『裁判所百年史』の記述が正しいか判断できないとする。昭和6年11月の閣議決定も不同意判事を予定している以上,公開資料から確認できる限り,「全判事が最終的に同意又は寄附をした」と歴史的事実として断定することはできない。
第4 日本国憲法下の報酬減額との違い
1 平成14年法律第113号
裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律(平成14年法律第113号)は,平成14年11月27日に公布され,同年12月1日に施行された。これにより,日本国憲法下で初めて,在任中の裁判官の報酬月額表が,一般職等の給与引下げに連動して法律により引き下げられた。
日本国憲法79条6項及び80条2項は,裁判官の報酬は在任中これを減額することができないと定める。裁判所構成法73条と異なり,本人の意思に反する場合に限って減俸を禁止するという文言ではないため,昭和6年の同意方式をそのまま当てはめることはできない。
2 平成14年の政府及び最高裁判所の見解
政府は,人事院勧告に基づく国家公務員全体の給与引下げに伴い,法律によって全裁判官の報酬を同程度引き下げることは,司法権の独立や三権の均衡を害さず,憲法に反しないと説明した。最高裁判所裁判官会議も,司法行政上,同様の見解を採ったと説明されている。
もっとも,最高裁判所長官代理者は,報酬減額を争う訴訟が提起された場合,その裁判体は裁判官会議の司法行政上の見解に拘束されないと答弁した。森山法務大臣も,一般的な減額を違憲とし,新任の裁判官だけに新しい報酬額を適用すべきであるとする学説があることを認めており,平成14年の国会審議でも解釈に争いがあることが前提とされていた。
3 昭和6年の事例を直接の先例とできない理由
昭和6年には,裁判所構成法73条の「其ノ意ニ反シテ」という文言を前提として,勅令の附則に現給保障を置き,各判事から同意を得る方法が採られた。これに対し,平成14年には,日本国憲法の減額禁止の下で,一般職等の給与引下げに連動した法律による一般的減額が許されるかが問題となった。
このように,根拠規定の文言,減額の方法及び法的な争点が異なる。また,昭和6年の経過自体にも資料上の限界があるため,昭和6年の事例だけから,日本国憲法下の一般的な報酬減額が合憲又は違憲であるとの結論を導くことはできない。
第5 関連記事
①裁判官の報酬減額の合憲性に関する国会答弁は,平成14年改正をめぐる政府及び最高裁判所の説明を掲載している。
②裁判官の年収及び退職手当(推定計算)は,裁判官の報酬月額及び年収の推定方法を整理している。
③裁判官の地域手当の合憲性は,転所に伴う地域手当の減少をめぐる現在の訴訟を扱っている。この訴訟は,報酬月額表の一般的な引下げとは争点が異なる。
第6 出典・参考資料
1 法令・国会会議録
①裁判所構成法(明治23年法律第6号)73条,76条及び135条(国立公文書館御署名原本。条文全文は日本法令索引の書誌及び名古屋大学日本法令索引の全文で照合)。
②高等官官等俸給令中改正ノ件(昭和6年勅令第99号)附則(国立公文書館御署名原本。昭和6年5月27日公布,同年6月1日施行。官報昭和6年5月27日及び法令全文で照合)。
③日本国憲法79条6項及び80条2項(e-Gov法令検索)。
④裁判官の報酬等に関する法律(昭和23年法律第75号。e-Gov法令検索)。
⑤裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律(平成14年法律第113号。平成14年11月27日公布,同年12月1日施行)。
⑥第155回国会衆議院法務委員会第7号(平成14年11月13日)発言44,48,54及び56(国立国会図書館国会会議録検索システム)。
2 公文書・歴史資料
①「行政並軍備整理又ハ軍制改革ニ伴フ人員整理実施要綱」(昭和6年11月27日閣議決定。国立国会図書館リサーチ・ナビ)。
②時事新報「問題の判事減俸,自由意思に任す」(昭和6年6月3日。神戸大学附属図書館新聞記事文庫)。
③東京朝日新聞「判事減俸は断行,次の議会へ法律案」(昭和6年6月17日。神戸大学附属図書館新聞記事文庫)。
④大阪朝日新聞「判事の減俸反対,総数の一割」(昭和6年6月19日。神戸大学附属図書館新聞記事文庫)。
⑤最高裁判所事務総局編『裁判所百年史』大蔵省印刷局,平成2年,158頁~159頁。
3 文献
①新井勉「昭和初年の官吏減俸令と裁判官」日本法学77巻2号,平成23年,157頁~197頁(PDF1頁~41頁)。
②衆議院憲法調査会事務局「司法制度及び憲法裁判所に関する基礎的資料」衆憲資第29号,平成16年。