裁判官の死亡退官

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目次
1 裁判官の死亡退官数の推移
2 死後叙勲
3 位階の授与
4 過労自殺と使用者の安全配慮義務違反
5 死亡した裁判官の勤務状況が分かる文書は存在しないこと
6 裁判官の自殺は不開示情報であること等
7 伊藤栄樹検事総長の,退官直後の死亡までの経緯(令和3年1月25日追加)
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1 裁判官の死亡退官数の推移
(1) 平成19年12月1日以降の裁判官の死亡退官数の推移は以下のとおりです。
・ 令和 元年12月1日~令和  2年11月30日:0人
・ 平成30年12月1日~令和 元年11月30日:2人(38期,48期)
・ 平成29年12月1日~平成30年11月30日:1人(40期)
・ 平成28年12月1日~平成29年11月30日:1人(57期)
・ 平成27年12月1日~平成28年11月30日:2人(37期,42期)
・ 平成26年12月1日~平成27年11月30日:1人(38期)
・ 平成25年12月1日~平成26年11月30日:2人(50期,59期)
・ 平成24年12月1日~平成25年11月30日:2人(38期,37期)
・ 平成23年12月1日~平成24年11月30日:3人(46期)
・ 平成22年12月1日~平成23年11月30日:1人(新62期)
・ 平成21年12月1日~平成22年11月30日:4人(18期,21期,30期,43期)
・ 平成20年12月1日~平成21年11月30日:4人(23期,28期,38期,44期)
・ 平成19年12月1日~平成20年11月30日:4人(24期,29期,50期,58期)
(2) その死亡について報道された人はほとんどいなかった気がします。

2 死後叙勲
(1) 裁判官が死亡退官した場合,生前の最後の日付で勲章を授けられます(死後叙勲)。
   死後叙勲の場合,70歳を迎えた直後にもらえる春秋の叙勲と比べて,勲章のランクがやや上がります。
(2)   例えば,22期の山崎潮(うしお)千葉地裁所長は,平成18年5月16日午後10時頃,千葉市内の官舎で突然死亡し(心筋梗塞の疑い),翌日午前,所長が送迎の官用車に姿を見せなかったことを不審に思った千葉地裁職員が合鍵を使って官舎の室内に入ったところ,寝室のたたんだ布団に頭を乗せ,仰向けに倒れた状態で所長が発見されました(外部ブログの「山崎潮の死を悼む」参照)。
   そして,急逝した山崎潮千葉地裁所長の場合,訃報がすぐに報道されるとともに,後日,生前の最後の日付である平成18年5月16日付で瑞宝重光章を授与されました。

3 位階の授与
(1) 死亡した裁判官に対しては,位階令(大正15年10月21日勅令第325号)及び位階令施行規則(大正15年10月21日閣令第6号)に基づき,内閣府大臣官房人事課を通じて位階を授与してもらえます(位階に関する参考資料(令和2年5月27日付の内閣府大臣官房人事課からのFAX)参照)。
(2) 位階に関するおおよその相場は以下のとおりです。
・ 従二位を授けられる人
   最高裁判所長官
・ 正三位を授けられる人
   最高裁判所判事(公務員枠),高裁長官
・ 従三位を授けられる人
   最高裁判所判事(弁護士枠),高裁部総括,大規模地家裁所長
(3)ア 第2代最高裁判所長官(昭和25年3月3日から昭和35年10月24日まで)を定年退官した後に国際司法裁判所判事を務めた田中耕太郎は,死後叙勲として大勲位菊花大綬章を追贈された(皇族及び内閣総理大臣経験者以外では,戦後唯一の例です。)ほか,正二位を授けられました。
イ 第11代最高裁判所長官(昭和60年11月5日から平成2年2月19日まで)を定年退官した高輪1期の矢口洪一は,従二位を授けられたにとどまりました。


4 過労自殺と使用者の安全配慮義務違反
(1) 49期の石村智 京都地裁判事が執筆した「労災民事訴訟に関する諸問題について」(-過労自殺に関する注意義務違反,安全配慮義務違反と相当因果関係を中心として-)を掲載している判例タイムズ1425号(平成28年7月25日発売)の45頁には以下の記載があります。
   客観的業務過重性が認められる場合には,業務の過重性についての予見可能性と労働者の心身健康を損なう危険についての(抽象的)予見可能性さえあれば(使用者側は,客観的にみて過重な業務を課しているのであるから,通常は,これが否定されることはない。),義務違反及び相当因果関係が肯定される関係にあり,その意味で,この場合においては,精神障害の発症や自殺についての予見がないとの使用者側の主張については,ほぼ失当に近いことになる。しかも,電通事件最判や東芝事件最判の判示によれば,当事者側の事情が過失相殺ないしは素因減額とされる場面はかなり限定され,その適用範囲が審理の中心となるということになろう。
(2) 由利弁護士の部屋HP「「ある裁判官の自殺」に思う」に,平成15年3月3日に飛び降り自殺をした大阪高裁の裁判官(27期)について公務災害とは認められなかったことが書いてあります。
(3) 「過労自殺の労災認定」も参照して下さい。


5 死亡した裁判官の勤務状況が分かる文書は存在しないこと
(1)ア 裁判所職員採用試験HPに掲載されている,50期の鈴木千帆裁判官のメッセージには,「裁判所は,ひとりひとりを大切にする組織です。」と書いてあります。
   しかし,42期の花村良一司法研修所民事裁判上席教官は,平成28年9月29日に死亡しましたところ,死亡した月の出勤状況が分かる文書は存在しないことになっています平成28年11月4日付の司法行政文書不開示通知書平成28年12月2日付の最高裁判所事務総長の理由説明書及び平成28年度(最情)答申第42号(平成29年1月26日答申)参照)。
(2) 57期の百瀬梓裁判官(昭和55年9月14日生)は,平成29年10月3日に37歳で死亡しましたところ,同年9月1日以降の勤務状況が分かる文書は存在しません(平成29年12月27日付の名古屋家裁の司法行政文書不開示通知書)。

6 裁判官の自殺は不開示情報であること等
(1) 特定裁判官が自殺した原因に関して最高裁判所が作成し,又は取得した文書について開示請求をした場合,存否を明らかにしないで不開示となります(平成29年度(最情)答申第5号(平成29年6月9日答申))。
(2) 31期の瀬木比呂志裁判官が著した絶望の裁判所172頁には以下の記載があります。
   裁判官には自殺もかなりある。仕事でノイローゼやうつ状態になって自殺する例のほか、前記のとおり、自他ともにエリートと認めてきたイヴァン・イリイチタイプの裁判官が道半ばにしてつまずいた結果いたましい自殺に至るような例もある。そこまではいかなくとも、家を出て何日も放浪していた、あるいは、裁判長の圧迫、ハラスメントでおかしくなってしまった右陪席裁判官が事務総局人事局に何度も出向き、人事局長に面会を求めて、「いつ私を裁判長にしてくれるのですか?」と尋ねていた、などという悲惨な例もある。こうした例はもちろん退官に至る。
(3) 自由と正義2021年1月号の「司法の源流を訪ねて」第47回で取り上げられている,初代及び第3代大審院長の玉乃世履(たまのよふみ)は,1886年8月8日,大審院長在職中に自殺しました。


7 伊藤栄樹検事総長の,退官直後の死亡までの経緯
(1) 人は死ねばゴミになる-私のがんとの闘い-(著者は伊藤栄樹(いとうしげき) 元検事総長)によれば以下のとおりです(2度目の入院以降については,書籍に記載がある役所への登庁日を一通り記載しています。)。
昭和62年
7月3日:人間ドックをすませた。
7月8日:朝から腹がはる感じがしたため,何年ぶりかの胃腸薬を飲んだ。
7月13日:虫垂炎を疑わせる自覚症状に基づき病院に行き,虫垂炎の手術(実際には盲腸がんの手術)を受け(生まれて初めての手術),そのまま入院となった(生まれて初めての入院)。
7月29日:午前中,ロッキード事件丸紅ルート控訴審判決に関する共同記者会見を検事総長室で行ったり,午後7時半過ぎから病室において,リンパ節及び腹膜への転移を伴う盲腸がんであることを告知されたりした。
7月30日(木)退院した。
8月3日(月)久しぶりに登庁した。
10月2日(金)右腹に痛みを覚えた。
10月7日(水)前日夕刻から胃が痛み,胃に尋常でない膨満感を覚えたため,病院に行ったところ,腸閉塞の疑いが大きいので即日入院となった(2回目の入院)。
10月16日:がんの再発を告知された。
10月17日:次長検事及び法務事務次官に病院まで来てもらった上で,退職の意向を伝えた。
10月18日(日)妻及び娘と一緒にこっそりと検事総長室に行き,もう来られない場合を考えて机の中とかの整理をしたり,すべての予定行事のキャンセルを依頼したりした。
10月19日(月)法務事務次官が病室に来て,当分の間,現職にとどまってほしいと伝える。その後,法務省会議室での検事長会同に出席した。
10月29日:午後1時に役所に行って,退任予定の法務大臣に別れの挨拶をするなどした後,午後3時に病院に戻った。
12月18日:大腸及び小腸の手術を受け,人工肛門を作った(2度目の手術)。
12月22日:手術内容の説明を受けた。
昭和63年
1月12日:午後1時から午後3時まで登庁して新年の挨拶を受けるなどした。
1月14日:午後1時から午後3時まで登庁して事件処分の決裁のための会議に出るなどした。
1月19日:午後1時から午後3時まで登庁して,検察長官会同における訓示案を検討した。
1月22日(金)登庁した。
1月26日(火)検事長と打ち合わせをした。
1月27日~同月28日:検察長官会同(全国の検事長及び検事正が集まる会同です。)に出席した。
1月29日:元検察認証官の親睦会である「日比谷会」の昼食会に出席した。
2月5日(金)午後1時から午後3時まで登庁して,種々決裁をした。
2月9日(火)法曹会館での法曹会役員昼食会に出席した。
2月12日(金)午後1時から午後3時まで登庁した。
2月16日(火)法務事務次官が病室に来て,5月下旬に退官することとなった。
2月17日(水)検事長と打ち合わせをした。
2月18日(木)検事長会同に出席した。
2月19日(金)法曹会館での,法曹会役員諸氏を招いたパーティーに1時間足らず出席した。
2月23日(火)午後1時から午後3時まで登庁した。
2月26日(金)午後1時から午後3時まで登庁した。帰院した後,いつでも退院されて結構であると医者からいわれた。
2月29日(月)布施健(ふせたけし) 元検事総長(2月25日死亡)の葬儀委員長を務めた。
3月1日(火)5ヶ月ぶりに退院し,午後1時から午後3時まで登庁したものの,退院後の体調が思わしくなかった。
3月4日(金)午後1時に登庁し,法務事務次官に退官の意向を伝えたところ,夕方,後任者の認証式の都合で3月24日退官となることが決まった。
3月5日(土)新聞朝刊において,病気療養のための退官であることが一斉に報道された。
3月8日(月)最高検察庁の検事全員との最後の会食を行った。
3月11日(金)3回目かつ最後の入院となった。
3月14日(月)法務大臣に依願退官の意向を伝えたり,検事総長,東京高検検事長及び次長検事に関する異動の内示を行ったりした。
3月16日(水)最高検察庁の部長検事との最後の会食を行ったり,内閣総理大臣宛ての辞表を書いたり,最後の給料明細書をもらったりした。
3月18日(金)退官に伴う行事以外では,最後の登庁となった。
3月23日(水)最高検察庁会議室において,最高検察庁の職員全員とのお別れの挨拶をしたり,退官に伴う記念写真を撮影したり,記者会見をしたり,警察庁長官,国税庁長官及び公正取引委員会委員長を訪ねて退官の挨拶をしたりした。
3月24日(木)法務省大臣室で,法務大臣から免官辞令を受け取ったり,次の検事総長に事務引継をしたり,拍手に送られて退庁したり,東宮御所で皇太子殿下に退官ご挨拶をしたり,首相官邸で竹下首相に退官ご挨拶をしたりした。
3月25日(金)最高裁長官及び日弁連会長に退官挨拶をしたほか,その他の人についてはあいさつ状を送るにとどめることとなった。
4月26日(火)第一東京弁護士会宣誓式に出席し,弁護士バッジをもらった。
5月2日(月)最後の病状説明を記載した。
5月7日(土)新潮社出版部の担当者が初めて伊藤栄樹と面談した。
5月10日(火)体調を崩し,著者校正用のゲラ刷りに目を通す体力が失われた。
5月25日(水)盲腸がん及びがん性腹膜炎のために死亡した。
(2) 人は死ねばゴミになる-私のがんとの闘い-(発行所は新潮社)は,遺族によって死後出版された書籍です。
(3)ア 盲腸がんを含む「大腸がん」のステージ分類として,ハートライフ病院HP「大腸癌の生存率 2018年」には以下の記載があります(播種は「はしゅ」と読みます。)。
癌の広がり具合をステージ(病期)で表します。ステージは、癌が大腸壁に入り込んだ深さ(深達度)、どのリンパ節までいくつの転移があるか(リンパ節転移の程度)、肝臓や肺など大腸以外の臓器や腹膜への転移(遠隔転移)の有無によってきまります。
ステージ0が最も進行度が低く(最も早い段階で発見されたもの)、ステージⅣが最も進行度が高い状態です。治療方針を決定するのに、治療前にステージを予測する事が重要です。
・ステージ0:癌が粘膜の中にとどまっている。
・ステージⅠ:癌が大腸の壁(固有筋層)にとどまっている。
・ステージⅡ:癌が大腸の壁(固有筋層)の外まで浸潤している。
・ステージⅢ:リンパ節転移がある。
・ステージⅣ:血行性転移(肝転移、肺転移など)または腹膜播種がある。
イ 国立がん研究センターがん情報サービスHP「がん診療連携拠点病院等院内がん登録生存率集計」によれば,ステージ4の大腸がんの5年生存率(2010年-2011年)は,実測生存率が16.7%であり,相対生存率が18.5%です。

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