日弁連会長の直接選挙制度及び任期2年制の導入経緯等

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目次
1 日弁連会長の直接選挙制度を導入するまでの状況
2 昭和50年度からの,日弁連会長の直接選挙制度の導入
3 昭和55年度からの,日弁連会長の任期2年制の導入
4 昭和55年度からの,日弁連会長選挙における推薦状制度の廃止
5 昭和59年度からの,日弁連会長の補欠選挙制度の改正
6 一票の格差に関する最高裁判決における反対意見(参考)
7 関連記事

1 日弁連会長の直接選挙制度を導入するまでの状況
(1)ア 昭和24年9月1日の日弁連設立当初から昭和49年度までの間,日弁連会長は,他の役員(副会長,理事及び監事)と同様,日弁連代議員会で選出されていました。
イ 当時の日弁連会長選挙の結果については,「日弁連設立時から平成18年度までの日弁連会長選挙の結果」を参照してください。
(2) 日弁連の役員の任期は設立当初,2年とされていたものの,昭和25年4月9日臨時総会決議に基づく会則改正により,日弁連の役員の任期は1年に短縮されました(日本弁護士沿革史351頁参照)ところ,その理由について,日弁連二十年62頁には以下の記載があります。
   右変更の理由は、役員、特に会長の職務が激務であり、二年間の任期では犠牲が大き過ぎることがあげられ、また、単位弁護士会の会長の任期は一年であり、日弁連副会長、理事に単位弁護士会会長が多く選任されていた関係上、その任期が異ることが不便である等が実質的理由とされたのである。

2 昭和50年度からの,日弁連会長の直接選挙制度の導入
(1) 昭和39年8月臨時司法制度調査会が発表した臨司意見書に対し,日弁連は強い反対意見を打ち出し全国的に反対運動を展開するに至ったものの,その反対運動の過程において,日弁連の執行体制の弱体と内部意思の不統一が会員の間に強く認識されるに至り,これを契機として,改めて日弁連機構の改革強化の必要性が叫ばれるに至りました。
   そこで,昭和40年4月,日弁連機構改革委員会が設置され,役員任期の延長,事務機構の充実,広報部の設置問題のほか,強力な執行体制と能率的な事務機構を確立するため,あらゆる角度から機構改革の審議が進められることとなりました。
(2)ア 日弁連機構改革委員会は,昭和40年4月から昭和45年7月まで5年余の問,全体委員会の開催18回,部会の開催102回,全国会員に対する2回のアンケート,全国11箇所での公聴会を経た上で,昭和44年2月,「会長任期二年制」と「会長直接選挙制」に関する改革案に関する建議を行うとともに,その実施についての選挙制度大綱を提案しました。
   その後,昭和45年7月,「常任副会長制度等についての建議書」を作成し,機構改革全般に亘る日弁連機構改革大綱(案)をまとめあげ,これに基づく会則改正案を「日弁連の活動強化のための処方策に関する建議」とともに日弁連会長に最終答申しました。
イ 日弁連理事会は,昭和44年2月,この選挙制度大綱を承認し,この改正のための会則づくりを目的とした会則・役員選任規程改正特別委員会(略称は「会則改正委員会」です。)を設置しました。
   会則改正委員会は,昭和44年12月に「会長直接選挙についての会則改正案」を,昭和45年9月に「会長選挙規程案」を答申しました。
   日弁連理事会では,自然人のみに投票権を与え単位会に投票権を認めないことは単位会の権利を奪うものであるとか,地方小単位会の存在が無視され,大都市単位会の横暴を招くおそれがあるとの反対があり,各単位会に一定数(30~50)の投票権を与えて地方単位会の地域的利益を保証すべきであるという意見が強く主張されました。
   日弁連理事会は,昭和47年2月19日,選挙は自然人会員の直接選挙によるが,各単位会ごとの集計をして,その結果,最多得票数を得た単位会の数が全単位会の4分の1を超えること(つまり,14単位会以上であること)を要するという日弁連会則改正案を3分の2以上の多数で可決したものの,同年3月18日の代議員会では13票の小差をもって3分の2以上の賛成を得られず,否決されました。
(3)ア 日弁連理事会は,昭和48年11月22日,選挙は自然人会員の直接選挙によるが,各単位会ごとの集計をして,その結果,最多得票数を得た単位会の数が全単位会の3分の1を超えること(つまり,18単位会以上であること)を要するという日弁連会則改正案を可決しました。
   その後,昭和49年1月19日,日弁連臨時代議員会が無記名投票による採決の結果,賛成289,反対49の多数で可決し,昭和49年2月23日,日弁連臨時総会が挙手による採決の結果,賛成3903,反対221の多数で可決して成立しました。
イ   和島岩吉日弁連会長は,昭和49年1月19日の日弁連臨時代議員会において,提案理由として以下の発言をしました(昭和49年2月1日発行の日弁連新聞第1号)。
   日弁連会長を自然人会員の直接選挙によって選出すべしという要望は,全国会員の圧倒的多数の意見である。
   しかし,従来の代議員制によって発言力を有していた少人数の会員により構成される弁護士会が,直接選挙制になると日弁連の運営・執行の面で軽視されるのではないかという疑念があって,これが会則改正作業の困難な課題となり,討議には8年有余の歳月を費やす結果となった。
   理事会では昭和46年度から小委員会を設置し,全国単位会の意見を斟酌して調整し,今や全会員の基本的合意が得られたと確信する。
ウ 和島岩吉日弁連会長は,昭和49年2月23日の日弁連臨時総会において,提案理由として以下の発言をしました(昭和49年3月1日発行の日弁連新聞第2号)。
   会長直接選挙制は8年有余の討議を経て,いまや全国会員の圧倒的多数の意見であると確信する。現行代議員制のもとで発言力を有していた小弁護士会の軽視につながるという疑念も,当選者となるためには18会の信認を必要としたことで解決したと思う。
エ 関東十県会三十年の歩み248頁には,「最多得票者が当選するには更に四分の一の単位会で信任を得なければならないという原案を「三分の一の単位会で、最多票を得なければならない」と訂正させたのは、十県会が意思を統一して主張した賜である。」と書いてあります。
(6) 日弁連三十年46頁ないし50頁,及び東京弁護士会百年史944頁ないし950頁を参照しています。
(7)ア ちなみに,昭和49年当時,国会議員選挙における議員定数の配分は原則として,立法政策の問題であるというのが最高裁判例でした(最高裁昭和49年4月25日判決。なお,先例として,最高裁大法廷昭和39年2月5日判決)。
イ 一票の格差が本格的に問題視されるようになったのは,最高裁大法廷昭和51年4月14日判決が出た後です(「最高裁が出した,一票の格差に関する違憲状態の判決及び違憲判決の一覧」参照)。
(8)ア 平成23年2月9日臨時総会決議に基づく日弁連会則の改正により,日弁連会則の改正及び特別会費の徴収が代議員会の審議事項から除外されました。
イ 平成23年2月9日臨時総会では,以下の発言がありました(平成23年2月9日の日弁連臨時総会報告31頁)。
 代議員会を充実すべきことは、古くから言われてきたが、実際には代議員の本人出席率は悪く、過去5年間で見るとほとんどが50%にも満たず、特に会則改正や特別会費徴収に関する議題を扱う10月頃の代議員会の本人出席率は、40%にも満たない年が多いようである。

3 昭和55年度からの,日弁連会長の任期2年制の導入
(1) 昭和52年12月に設置された第2次日弁連機構改革委員会は,昭和53年3月から9月までの間,5回の全体委員会を開催して検討した結果,直接選挙で選ばれた会長により,会務の継続的かつ統一的な執行が期待される会長任期2年制のメリットを考え,この早期実施に踏み切るべきであるとして,昭和55年度をめどに,日弁連会長の任期2年制を,副会長,理事等他の役員の任期問題と切り離して実施すること,2年間にわたり日弁連の運営に専従する会長の負担を軽減するため有給制を採用することを多数をもって決定答申しました。
(2) 日弁連理事会は,昭和53年11月,第2次日弁連機構改革委員会の答申に基づく会長任期2年制に関する会則改正を承認発議しました。
この会則改正案は昭和54年3月の代議員会の議を経て,昭和54年6月23日の定期総会(同年5月26日の定期総会の継続会です。)で可決され,昭和55年4月1日から実施されました。
(3) 日弁連三十年55頁及び56頁を参照して記載しています。

4 昭和55年度からの,日弁連会長選挙における推薦状制度の廃止
(1) 昭和50年度及び昭和51年度の日弁連会長選挙では,立候補者が一人しかいなかったため,投票は行われませんでした。
(2) 昭和52年度及び昭和53年度の日弁連会長選挙では,候補者となろうとする者は,立候補届出書に、選挙権を有する会員50人以上70人以下の署名ある推薦状を添付しなければならないことになっていました。
   会長選挙規程を制定した際に推薦状制度を設けた趣旨は,もっぱら泡沫候補を防ぐことにあり,推薦を求めることによってそれが事実上の事前運動になることを防止するために上限を70人としました。
   しかし,過去の選挙の実態をみると,70人の推薦人を求めるために,かなり早い時期から相当広範囲に推薦を依頼し多数に推薦状を取得しておいて,立候補届出の際,その中から制限内の数の推薦状を取り出して添付するということが行われていました。
   このような実態を放置しておくと,本来の準備行為が事実上の事前運動化し,選挙運動のスタートが野放しの状態となり,それが更にエスカレートする危険がありました。
   また,右推薦状制度の存在を容認した場合,推薦人を求めることに名を借りた事前運動の合法化の口実に利用されるおそれがあり,その弊害はきわめて大きく,推薦人の数,推薦依頼状の制限等によってもその弊害を除去することはできないと考えられました。
   そのため,昭和53年度理事会において選挙浄化の見地から推薦状の廃止を検討し,昭和54年6月23日の定期総会(同年5月26日の定期総会の継続会です。)で推薦状制度が廃止されました。
(3) 日弁連三十年50頁及び55頁を参照して記載しています。

5 昭和59年度からの,日弁連会長の補欠選挙制度の改正
(1) 昭和56年5月6日,昭和55年4月1日に就任した谷川八郎日弁連会長が病気により辞職したため,木戸口日弁連副会長(第二東京)が会長の職務を代行することとなりました。
   昭和56年7月18日の会長補欠選挙の結果,宮田光秀会員(第一東京)が日弁連会長に当選し,昭和57年3月31日に退任しました。
(2) 昭和58年5月28日の定期総会において,任期中に会長が欠けた場合の補欠の会長の任期を,残任期間ではなく,就任してから1年を経過した後の最初の3月末日までとし,残任期間が6か月未満のときは補欠選挙を行わないとする,会長任期2年制の趣旨に基づく会長補欠選挙についての会則改正が行われました(日弁連会則63条)。

6 一票の格差に関する最高裁判決における反対意見(参考)
   最高裁大法廷平成30年12月19日判決における山本庸幸裁判官(元 内閣法制局長官)の反対意見には以下の記載があります。
   民主国家の要となる国会を構成する衆議院及び参議院の各議員は,文字どおり公平かつ公正な選挙によって選出されなければならない。憲法43条1項が「両議院は,全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と規定するのは,この理を表している。その中でも本件にも関わる「公平な選挙」は,憲法上必須の要請である。すなわち,いずれの国民も平等に選挙権を行使できなければ,この憲法前文でうたわれている代表民主制に支えられた国民主権の原理など,それこそ画餅に帰してしまうからである。例えば国政選挙に際して特定の地域の一票の価値と他の地域の一票の価値とを比べて数倍の較差があったとすると,その数倍の一票の価値のある地域の国民が,もう一方の一票の価値が数分の一にとどまる地域の国民に対して,その較差の分だけ強い政治力を及ぼしやすくなることは自明の理である。これでは,せっかく主権が国民に存するといっても,「その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する。」とはとてもいえないと考える。
   その意味で,国政選挙の選挙区や定数の定め方については,法の下の平等(14条)に基づく投票価値の平等が貫かれているかどうかが唯一かつ絶対的な基準になるものと解される。

7 関連記事
① 日弁連の歴代会長及び事務総長
② 日弁連の歴代正副会長(昭和57年度以降)
③ 日弁連の歴代副会長の担当会務
④ 過去の日弁連会長選挙の結果(平成20年度以降)
⑤ 日弁連役員に関する記事の一覧
⑥ 弁護士会の会派

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