即位の礼及び大嘗祭に関する,平成2年4月17日の衆議院内閣委員会における質疑応答


○即位の礼及び大嘗祭に関する,平成2年4月17日の衆議院内閣委員会における質疑応答は以下のとおりです。
なお,文中の山口(那)委員は山口那津男衆議院議員(平成13年7月29日から参議院議員であり,平成21年9月30日に第3代公明党代表に就任)(34期の弁護士)であり,工藤政府委員は工藤敦夫内閣法制局長官であり,宮尾政府委員は宮尾盤宮内庁次長であり,多田説明員は内閣官房内閣参事官室首席内閣参事官兼内閣総理大臣官房総務課長です。

○山口(那)委員 私は、即位の礼、大嘗祭等についてお尋ねするものでありますが、その前提として、次の点を確認しておきたいと思います。
まず、公明党は、党の綱領で日本国憲法を守るということを規定した唯一の政党であり、象徴天皇制も是認すると同時に、国民主権及び信教の自由を初めとする基本的人権を擁護する立場に立っております。私は、日本国憲法のもとで生まれ育った者として初めて即位の礼を迎えるわけでありますが、主権を有する国民の一人として、この憲法の趣旨を最大限に尊重する立場で御答弁をお願いしたい、このように思います。
さてそこで、即位の礼に対しては、旧皇室典範及び登極令等に詳細な規定が置かれてありますが、このたびの即位の礼は、国事行為として行う範囲として、即位礼正殿の儀、祝賀御列の儀、饗宴の儀、この三つに集約されました。この儀式の範囲を定めるに当たって、憲法の趣旨に沿ってどのような点を配慮したのか、具体的に述べていただきたいと思います。
○多田説明員 皇室典範の二十四条で「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。」という規定がございまして、その即位の礼というものが具体的にどういうものを指すかということについては、各方面からいろいろな意見がございましたので、準備委員会で慎重に検討いたしまして、そして先生おっしゃったとおり憲法の趣旨に沿って、しかも皇室の伝統等を尊重してという基本路線で各儀式等を検討して整理をしていった結果、この三つは即位の礼ということで国事行為として行うことに非常にふさわしい儀式だというふうに判断をいたしまして、この三つに具体的には決定させていただいたということでございます。
○山口(那)委員 その際、旧登極令に細かな規定があるわけですが、それらのすべての儀式のうちからこの三つに絞ったということは、例えば宗教性の伴う儀式等を外したということになるのでしょうか。
○多田説明員 おっしゃるとおり、宗教の問題のほかにも現行の憲法から考えるとどうもふさわしくないという性格のものもかなりございますので、そういうものは全部外させていただいたということでございます。
○山口(那)委員 その宗教的性格のほかに、現行憲法のもとでふさわしくないとお考えになった具体的な基準を幾つか述べていただきたいと思います。
○工藤政府委員 若干申し上げますと、今首席参事官の方から政教分離原則のお話がございましたけれども、それ以外にも、まず国民主権の原則に反しないかどうかというのが一つございます。それから、憲法一条に規定してございます象徴たる天皇にふさわしいものであるかどうか、こういった基準があろうかと思います。
○山口(那)委員 次に、さきの御崩御の際の内閣総理大臣の謹話にもありますように、天皇陛下におかせられましては国民とともに歩む皇室を念願されておられる旨が表明されておりますが、即位の礼はその陛下の念願を国民に示される非常によい機会であろうと思われます。この儀式のほかに何か具体的な方策をお考えでしょうか。
○宮尾政府委員 ただいま御質問にもありましたように、天皇陛下には国民とともに歩む皇室ということを絶えず念願をされておられまして、折あるごとにそのような機会を持つように努められておるわけでございます。
それで、具体的に即位礼等に関連をして何かあるかということの御質問でございますが、今回の一連の行事の一つといたしまして、御質問の趣旨に沿うような意味合いをもちまして一般参賀というものを新しく設けることといたしております。それから、京都、関西方面への御親謁も予定されておりますので、その際、ゆかりのある京都におきまして茶会を催し、関西方面の方々とも直接お会いして祝意を受けられ、陛下としてもお会いする機会を設けるというようなことを新しく考えておるわけでございます。
○山口(那)委員 そのほかに、例えばマスコミ等を通して国民に対してお言葉を述べられるような機会はお考えですか。
○宮尾政府委員 一般参賀では当然陛下も参賀においでになられた国民の方々に親しくお言葉をおかけになります。それから茶会等におきましても、これはまだ今後どうするかということでありますけれども、何らかのお言葉というものがあるのではなかろうか、こういうふうに考えられます。そしてそういうものが一般参賀なり茶会に取材にお見えになる報道関係等の方々を通じて国民に紹介をされるわけでございますので、御質問のような趣旨というものはそういう機会を設けることによって生かされておると思っております。
今、特別の形で何らかの予定がそれ以外にあるかという点については、考えておるものは特段ないわけでございます。これは一つの機会をつかまえてという御趣旨であろうかと思いますが、陛下のお気持ちというものは今後長い間の陛下のいろいろな機会における国民に対する接触の仕方、お言葉等の中で十分あらわれていくと考えておりますし、私どももそういう意味でいろいろなお手伝いをしていきたいと思っておるわけでございます。
(中略)
○山口(那)委員 次に、大嘗祭についてお尋ねします。
大嘗祭の伝統的意義についてもう一度確認をしたいと思います。いかがですか。
○宮尾政府委員 大嘗祭の伝統的な意義という御質問でございますが、これは日本書紀等にも記述がございますように、古くから大嘗、新嘗という区分は必ずしもその時代はなかったようでございますけれども、大嘗祭というものが御即位に伴って行われておる、こういう記述がございます。
それから、奈良時代に入りましては大嘗、新嘗の区別がなされまして、一番最初にその区別が行われて大嘗祭をとり行われたのは第四十代の天武天皇のときからであると言われております。
以来、御即位の都度、皇室にとりましては一世一度の非常に重要な即位儀礼という形で行われてまいりまして、そういった点は貞観儀式等にもきちんといろいろ書かれておるわけでございます。そういう意味からいたしまして、大嘗祭は皇室で長い間続いてきた伝統的儀式でありますが、これは一世一度の皇位継承儀礼であると私どもは重く考えておるわけでございます。
○山口(那)委員 大嘗祭の歴史的伝統に照らして、これは天皇個人に関する儀式という性格が強いのでしょうか、それとも皇室というある意味での集団に関する儀式という色彩が強いのでしょうか。
○宮尾政府委員 これを歴史的にどういうふうに申し上げるかというのはなかなか難しい話かもしれませんが、少なくとも現在の憲法では天皇は象徴的な地位、国民統合の象徴である。そういう象徴的な地位というお立場に立っておられます。古くから皇室が国内的にどういうお立場であったのか、こういうことはいろいろ難しい、難しいといいますか、一口に言うことはできないかもしれませんが、少なくとも、抽象的に申し上げれば今の憲法に明記されているようなお立場にあったと私ども考えておるわけでございます。
そういう意味で、天皇個人のということではなくて、御主宰になるのは天皇がお一人で御みずからなされますけれども、それは皇室にとっても非常に重要な儀式でありますし、それから現行の憲法のもとにおきましても、あるいは往時のいろいろな歴史的なものをたどってみましても、日本の天皇という意味でそういう行事をとり行われることは大変国家的な意味でも重要なことであったというふうに考えておるわけでございます。
○山口(那)委員 この大嘗祭は宗教的な性格を帯びているということが指摘されておりますが、どのような点で宗教的な性格があるとお考えでしょうか。
○宮尾政府委員 政府が昨年取りまとめました見解の中にもその点は記述をしてあるわけでございますが、大嘗祭の中心的な儀式としましての大嘗宮の儀というのは、陛下御みずからその年とれました新穀を皇祖、天神地祇にお供えになり、また、御みずからも召し上がって、そして安寧と五穀豊穣を感謝する。そういう儀式の趣旨、形式等からいたしまして宗教上の儀式としての性格を有することは否定しがたい。こういうふうに言われておるわけでございます。
○山口(那)委員 その際、宗教的な儀式というその宗教というのはどのような御理解をしておられますか。
○宮尾政府委員 これは皇室の伝統的な方式によりましてとり行われてきておるものでございまして、皇室におきましてはいろいろな祭祀を日常行っておられますし、事あるごとに皇室の伝統的な方式によりまして行っておられるわけでございます。大嘗祭もそういう意味では皇室の伝統に従った儀式のやり方で行われるだろうと理解をしておるわけでございます。
○山口(那)委員 その皇室の伝統的な方式というのは、神式で行うことを指しているわけですか。
○宮尾政府委員 いわゆる神式というのは、私どもそういう教学的な素養も十分持っておりませんし、間々世の中には誤解を招くような使い方もありますので注意をしなければならぬと思いますが、大きく分けて仏式だとか神式だとかキリスト教の方式だとかいろいろな方式というものがあるとすれば、そういう大きな意味での神式という考え方による方式であると言って差し支えないと思います。
○山口(那)委員 天皇が現人神とされた旧憲法のもとでは、学校教育の現場で、アマテラスオオミカミと天皇が御一体とおなりあそばす御神事であって、我が大日本が神の国であることを明らかにするものである、このように修身の教科書には書かれてあったわけですが、この大嘗祭というのはアマテラスオオミカミと天皇が御一体となる神事である、このように理解していいわけですか。
○宮尾政府委員 昭和十八年から終戦までの国定教科書にそのような記述があるということは私どもも承知をしておるわけでございますが、それをちょっと調べてみましたところ、これこそ実にオオミカミが天皇と御一体におなりあそばす御神事であって、我が大日本が神の国であることを明らかにするためというふうに書いてあるわけですね。昭和十八年から終戦までというのは日本にとっても非常に大変な時代でありまして、そういう中で、我が国は神の国だというようなことで戦意高揚を図ったという特殊な事情によってそういう記述がなされておるものではないかというふうに思うわけでございます。
天皇が神と一体となる儀式であるとか、神性を得る儀式であるかといういわゆる説、考え方を大嘗祭に関してはとられている向きがありますけれども、私ども理解しているところでは、大嘗祭は、何度もくどくど申し上げるようでございますが、天皇が御即位の後、初めて大嘗官において、新穀を皇祖、天神地祇にお供えになって、御みずからもお召し上がりになる、そして皇祖、天神地祇に対して安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、今後とも国家国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式というのが正確な理解であると思っておりまして、その式次第とかお告げ文等を先例等で見てみましても、そこには神と一体となるとか神性を得るとかいうことを見受けられる点はございません。したがいまして、宮内庁としてはそのような説には賛成いたしかねると考えておるわけでございます。
○山口(那)委員 大嘗祭が伝統的な皇室の姿に照らしてとり行われるわけでありますから、先ほどの修身の教科書の神事であるという記述はその時代の特殊な理解であって、現行憲法のもとでは皇室の伝統というものはそのような神事という側面を含まない、このように理解するわけですか。
○宮尾政府委員 戦争中の教科書の記述で特殊な事情によるものだと私が申し上げておりますのは、我が大日本が神の国であることを明らかにするためにそういうことが行われるということが書いてあるわけですね。まさに日本は神国であるという意識高揚を盛んに図った時代の特殊な考え方であろうと思うのです。
それで、神と一体になるという説は、私自身も専門外でこんなことを申し上げてはいかがかと思うのですが、いろいろな学説等をたどってみますと、折口信夫さんがそういうことを昭和の初頭に「大嘗祭の本義」というものに記述をされて、大嘗祭というものはそういうものだと一定の方々が唱えておられる。ところが、これについては、専門の学者の中でも、そういうことは全くない、折口さんが私人としての発想からそういうことを申されたのだということを最近の国学院の雑誌等に掲載されている先生もあるわけです。ですから、そういう意味で、特殊な学説で、これは完全に定着をしている学説ではないと御理解をいただきたいと思います。
それから、神事をするのではないかということでございますが、先ほど申し上げましたように陛下が安寧と五穀豊穣を皇祖並びに天神地祇にお祈りをするということでありますから、お祈りをするということはいわゆる神事的なことだと言われればそれを否定することはできないと考えておるわけでございます。
○山口(那)委員 学説のせんさくはともかくとして、私が一番聞きたいことは、天皇が神になるという側面を含むのかどうか、この点なんです。もう一度はっきり言ってください。
○宮尾政府委員 我々の立場と天皇陛下の立場を単純に比較していいかどうかわかりませんけれども、我々も神様にお祈りをする、仏様に手を合わせることがいろいろな折々にあるわけでございます。それから、我々が農民であればことしの五穀豊穣を祈ることはいろいろな形であろうと思うのです。そういうことがありますが、それによって大嘗宮の諸儀式の中に、天皇が神になるんだ、陛下が御みずから神様になるんだ、そういうことが見受けられる部分はないというふうに私どもは考えておるわけでございます。
○山口(那)委員 それでは、憲法二条で世襲を規定しておりますが、これは大嘗祭を当然に予定したものとして理解していますか、それとも大嘗祭は憲法の枠外のものだと理解していますか。
○工藤政府委員 大嘗祭が憲法二条で書いてございます世襲というのに非常に結びついているということは事実だろうと思います。
ただ、いわゆる皇室典範におきまして、先ほどもお話がございましたけれども、これは二十四条「即位の礼を行う。」というふうに書いてございまして、「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う。」ということは国事行為たる儀式として即位の礼を行うことを予定したものだと考えておりますが、大嘗祭の中核は、今も宮内庁次長からお話がございましたように、大嘗宮において天皇が皇祖及び天神地祇に安寧と五穀豊穣を祈念されるというふうなこともございますし、そういう趣旨、形式等から宗教上の儀式としての性格を有するんだ、そういうことは否定できないであろう。したがって、大嘗祭を七条で言う国事行為として行うとすれば、やはり憲法の二十条三項に言う宗教的活動を国が行うということになるのではないか、そういう疑いはなお消し切れませんので、そういう意味で大嘗祭を国事行為として行うべきではない、かように考えているわけでございます。
○山口(那)委員 大嘗祭をとり行う費用を宮廷費で支出するということですが、これは憲法二十条三項及び八十九条の趣旨と調和するのでしょうか。
○工藤政府委員 ただいまも申し上げましたように、大嘗祭は、皇位の継承があったときは必ず挙行される、一世に一度の儀式として古来から行われてきた、極めて皇位継承に結びついたあるいは皇位の世襲制と結びついた、即位に伴う儀式の一環である、こういうことだと思います。そういう意味で、いわば皇位とともに伝わるべき由緒ある儀式、こういうふうに性格づけられるだろうと思います。
皇位の世襲制、先ほども御指摘のように憲法二条にございますが、そういう世襲制をとる日本国憲法のもとにおきまして、その儀式の挙行について国として関心を持つ、人的あるいは物的な側面からその挙行を可能にするような手だてを講ずる、こういうことは当然であろうと考えられます。そういう意味で、大嘗祭は公的性格があるというふうなことを従来から申し上げてきているわけでございます。
ただ、大嘗祭が宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは今申し上げたように否定できないわけでございますけれども、例えば津の地鎮祭判決などに照らしましても、大嘗祭は皇室の行事として行われるものでございまして、国の機関の行事ではない。それから、その挙行のために必要な費用は、今申し上げたような大嘗祭の公的性格に着目いたしまして、宮廷費あるいは一部は宮内庁費から支出されるものでございます。そういう意味で、その支出の目的が宗教的意義を持たない。いわゆる津地鎮祭で言われます目的・効果論に照らしまして、支出の目的が宗教的意義を持たない、また特定宗教への助長、介入等の効果、その効果を有する行為を行うことになるとも言えない。そういうことで、国がこういうような面でかかわり合いを持ちましても、大嘗祭のための費用を公金から支出するということは憲法二十条三項の宗教的活動を国がするということにはならないし、また、そういうような公金の支出というものは、津の地鎮祭判決等に照らしましても憲法八十九条が禁止いたします宗教上の組織、団体に対するものというふうには言えないと思います。憲法八十九条の面からも問題はない、かように思っております。
○山口(那)委員 少なくとも法的な理解からすれば、世襲ということは血のつながりということを規定しているわけであって、当然に即位の儀式とそれに伴う大嘗祭までも予定しているものと理解するのは困難だろうと思います。また、憲法及び皇室典範二十四条に照らして言えば、皇位の継承というのは即位の礼に限られるわけであって、法律上は大嘗祭というものはそのらち外にあるというふうに理解すべきであろうと思います。
 その上で、この大嘗祭は公的性格があるというふうに盛んに述べられておりますが、公的性格があるなしということは、例えば私的な事柄として内廷費で賄うにはそぐわないという趣旨で述べるのであればそれは理解できますけれども、大嘗祭に国が宮廷費をもってお金を出すということは、まさに国家と宗教とのかかわりは否定できないわけで、それを合憲的にもし説明をするとすれば、もっと説得力のある理由を考える必要があろうかと思います。
 そこで、先ほどおっしゃった津の地鎮祭の事件の判決でありますが、原則的に行政当局としてはこの判決の意義をどのように理解されていますか。
○工藤政府委員 津の地鎮祭判決につきましては、いわゆる憲法の二十条あるいは八十九条、八十九条については比較的触れるところが少ないわけでございますが、そういう意味でそれの解釈の基準になるもの、かように考えております。
○山口(那)委員 行政府としてもその基準を尊重するというお立場かと思いますけれども、いわゆる目的・効果説と言われて先ほどお述べになりました。これは非常に抽象的な表現であったわけですが、大嘗祭とのかかわりにおいて具体的にその目的及び効果についてもう一度述べていただきたいと思います。
○工藤政府委員 今の御質問でございますが、具体的にと申しますと、まず第一に大嘗祭は皇室の行事として行われるもので、国の機関の行為ではないということでございます。その挙行のために必要な費用というものは、大嘗祭が皇位の世襲制と結びついて、一世に一度の儀式として古来から皇位の継承があったときは必ず挙行される、こういうことで行われてまいりました極めて重要な儀式である、そういう面に着目して、宮廷費からあるいは一部は宮内庁費から支出をいたしましても、その支出の目的がその宗教的意義に着目して支出をするものではないということが一つでございます。そういう意味で、目的・効果論のうちのまず目的の部分でございます。
 それから効果としましても、これが特定宗教への助長、介入という津地鎮祭判決で述べておりますようなそういう効果を有することになるとは到底言えないであろう、かように考えているわけでございます。
○山口(那)委員 今の御答弁は非常に抽象的でわかりにくいわけでありますけれども、大嘗祭が人的、物的な一体の宗教的性格を帯びる儀式として行われる以上、それを経済的に支えるということは、その目的において宗教的意義を持つことになりませんか。また、その効果において、特定の宗教かどうかはともかくとしても、それが宗教的儀式にかかわる、それを支持する人々に対してその援助、助長の感覚を覚えさせ、また、他の信仰を持つ人に対して圧迫感を覚えさせる。現に多数の宗教団体でこの大嘗祭の宮廷費支出については反対を述べているところもあるわけですけれども、その点について、今のような御答弁では到底納得しがたいものがあると思いますが、いかがですか。
○工藤政府委員 地鎮祭判決のその部分でございますけれども、「憲法二〇条三項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定するが、ここにいう宗教的活動とは、前述の政教分離原則の意義に照らしてこれをみれば、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。」というふうなことでございまして、私どもはこれに照らして、「かかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、」ということで目的・効果諭を解釈しているわけでございます。
○山口(那)委員 時間が少なくなりましたので、もう一点だけ伺います。
宮中三殿、これは皇室の私有財産として理解され、皇室経済法における「由緒ある物」、こういうふうに理解されているようですが、この宮中三殿の修繕あるいは建てかえ、この費用はどういう費目でお出しになるのですか。
○宮尾政府委員 宮中三殿は皇室御所有の財産でありますが、先生おっしゃったように、皇室経済法第七条に定める「皇室とともに伝わるべき由緒ある物」、こういう特殊な性格もあるわけでございます。したがいまして、これは国有財産ではもちろんありませんで、皇室が御所有の財産であるといたしましても、皇室経済法に特に「由緒ある物」として規定をされておるという意味におきまして公的な色彩を持つ財産というふうに考えられますから、建てかえということまでは申せませんが、その保存上必要な営繕等については宮廷費からこれを支出できると考え、また、そういうふうにいたしておるわけでございます。
○山口(那)委員 この宮中三殿の中に神殿というものもあるわけでして、やはりお金を出すということは宗教とのかかわりを否定できないわけですが、この点についても先ほどの目的・効果説のような御説明をされるわけですか。
○工藤政府委員 さようでございます。
○山口(那)委員 それでは最後になりますが、天皇陛下といえども私的生活の部分では信教の自由を当然享受されるわけでありまして、また、主権者である国民各位も同様であると思います。これらの行事の挙行に当たっては、そうした国民とともに歩む皇室を標榜されるわけですから、この信教の自由に対して十分な配慮をした上で行っていただくよう要望して、私の質問を終わります。

*1 しんぶん赤旗HP「天皇の「代替わり」にともなう儀式に関する申し入れ」(2018年3月22日発表)に,①剣璽(けんじ)等承継の儀,②即位後朝見の儀,③即位礼正殿の儀及び④大嘗祭に関する日本共産党の問題意識が書いてあります。
*2 以下の記事も参照してください。
① 柳本つとむ裁判官に関する情報,及び過去の分限裁判における最高裁判所大法廷決定の判示内容
② 人事院規則14-7(政治的行為),及び名古屋家裁裁判官の反天皇制に関する行為


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