目次
第1 死刑囚再審特例法案を成立させる代わりに実施された,死刑囚に対する個別恩赦による減刑
1 死刑囚再審特例法案等に関する国会での発言
2 死刑囚に対する個別恩赦による減刑
3 昭和天皇の御大葬恩赦では,死刑は対象外とされたこと
4 死刑囚に対する恩赦に否定的な政府見解
第2 無期刑の受刑者に対する政令恩赦又は個別恩赦による減刑
1 昭和34年以前の減刑の実例
2 昭和35年以降に減刑された人はいないこと
3 マル特無期事件
第3 関連記事その他
第1 死刑囚再審特例法案を成立させる代わりに実施された,死刑囚に対する個別恩赦による減刑
1 死刑囚再審特例法案等に関する国会での発言
(1) 西郷吉之助法務大臣は,昭和44年7月8日の衆議院法務委員会において以下の答弁をしています(ナンバリング及び改行をしています。)。
① およそ刑の確定者につきましては、刑政の本義にのっとり、寛厳よろしきを得た執行がなさるべきことは言をまたないところでございます。
また、犯情、行状並びに犯罪後の状況等にかんがみまして、特に恩赦を行なうことが相当であると認められるものにつきましては、これを行なうべきこともまた当然でございます。
今般この再審特例法案が提案されましたことを契機といたしまして、この法案の対象となるもののような死刑確定者に対しましては、この際、さらに右の観点から十分の検討を遂げ、恩赦の積極的運用について努力いたしたいと考えておる次第でございます。
② 再審特例法案の対象者は、全国で七名でございます。
その現在地を地方別に申し上げますと、大阪府二名、福岡県三人、宮城県二名と相なっております。
(2) 再審特例法案については,昭和45年4月15日の衆議院法務委員会において,畑和衆議院議員(社会党)が以下の説明をしています(ナンバリング及び改行をしています。)。
① われわれ社会党のほうで、この前の六十一国会におきまして、俗にいう死刑囚再審特例法でありますが、正確に申しますと死刑の確定判決を受けた者に対する再審の臨時特例に関する法律案、全文十三条からなっております法案を提出いたしました。
この法案の意味するものは、進駐軍がおりました当時の裁判の結果、死刑を宣告されて、それが確定をして、しかもその死刑の執行をされないで今日までおります七名ほどの人たちのことについて、特にいままでの再審の法規と違って、若干特例を設けて、その人たちに関する限り再審の門を広くしよう、こういうことで提案をいたしました。
すなわち、従来の再審の法規によりますと、いままでの判決の結果をくつがえすに足りる新たな、「明らかな証拠」がなければならぬということでありますけれども、それを「相当な証拠」というふうに変えて、そして相当の証拠がありさえすれば再審が開始できるということにして入り口を広げてやって、進駐軍がおりました当時、そうした進駐軍の干渉等があったような状況等において行なわれた、しかも死刑、この判決をもう一度再検討してもらいたい、こういうための法案であったのであります。
② この法案について、六十一国会で一、二回は質疑応答がなされたのでありますが、その後与野党の理事の問でいろいろ話をいたしました。特に与党の理事諸君の中にも、われわれの説に耳を傾ける方が相当多うございました。
非常に熱心なわれわれの先輩の主張するところでもございますし、きわめて人道主義に基づく処置であるということで、何とかしなければならぬというような御気分であられたのでありますけれども、一方また裁判所あるいは法務省等の、いわゆる法の安定というかそういった観点から、そうかりそめに再審の門戸を広げることもどうかといったような意見等もあったようでありまして、その辺与党の理事の方方も、その処置をどうするかでいろいろ考えあぐんでおられた模様でありました。
その結果、御承知でもあろうと思いますけれども、去年の七月八日の法務委員会におきまして、大臣の答弁という形でこれに終止符を打つことになりました、こういう御相談がございましたので、われわれも大きな立場からその点を了承いたしまして、われわれの案を引っ込めて、そのかわり大臣の答弁によって別の道を選ぶということになったとわれわれは記憶いたしておるわけです。
2 死刑囚に対する個別恩赦による減刑
(1) 昭和43年11月30日から昭和45年1月14日まで法務大臣をしていた西郷吉之助(西郷隆盛の孫です。)は,以下の6事件7人の死刑囚について恩赦の検討を開始した結果,②の死刑囚について昭和45年7月17日,③の死刑囚について昭和44年9月2日,⑤の死刑囚の1人について昭和50年6月17日,無期懲役に減刑しました(Wikipediaの「再審特例法案」参照)。
① 帝銀事件(昭和23年1月26日発生)
→ 帝国銀行(帝銀)は,後の三井銀行です。
② 市川賭博仲間殺人事件(昭和23年5月17日発生)
③ 菅野村(すがのむら)強盗殺人・放火事件(昭和24年6月10日発生)
→ 戦後初の女性死刑囚でした。
④ 財田川事件(昭和25年2月28日発生)
⑤ 福岡ヤミ商人殺人事件(昭和22年5月20日発生)
→ 死刑囚は2人でした。
⑥ 免田事件(昭和23年12月30日発生)
(2) ①の死刑囚は昭和62年5月10日に獄死し,⑤の死刑囚のもう1人は,昭和50年6月17日に死刑を執行されました。
(3)ア ④財田川事件(さいたがわじけん)については昭和59年3月12日に再審無罪となり,⑥免田事件については昭和58年7月15日に再審無罪となりました。
イ ④財田川事件及び⑥免田事件のほか,松山事件(昭和30年10月18日発生)及び島田事件(昭和29年3月10日発生)の4つの事件は,四大死刑冤罪事件です。
(4) ⑤福岡ヤミ商人殺人事件の死刑囚に対する恩赦が現在,死刑囚に対する最後の恩赦事例となっています。
3 昭和天皇の御大葬恩赦では,死刑は対象外とされたこと
・ 昭和天皇御大喪の際の特別基準恩赦では,「無期懲役は、十五年の有期懲役とし、無期禁錮は、十五年の有期禁錮とする。」という特別減刑が定められていました。
しかし,Wikipediaの夕張保険金殺人事件にあるとおり,死刑囚に対する特別減刑は定められませんでした(「昭和天皇の崩御に際会して行う特別恩赦基準(平成元年2月8日臨時閣議決定)」参照)。
4 死刑囚に対する恩赦に否定的な政府見解
衆議院議員保坂展人君提出拷問等禁止委員会最終見解のうち、刑事司法・刑事拘禁と入管手続などに関する質問に対する答弁書(平成19年6月15日付)には以下の記載があります。
① 裁判所は、犯罪事実の認定についてはもとより、被告人に有利な情状についても、慎重な審理を尽くした上で死刑判決を言い渡しているものと承知しており、最終的に確定した裁判について速やかにその実現を図ることは、死刑の執行の任に当たる法務大臣の重要な職責であると考えている。仮に再審の請求や恩赦の出願を死刑執行の停止事由とした場合には、死刑確定者が再審の請求や恩赦の出願を繰り返す限り、死刑の執行をなし得ず、刑事裁判を実現することは不可能になり、相当ではないと考えられる。
② 裁判所は、犯罪事実の認定についてはもとより、被告人に有利な情状についても、慎重な審理を尽くした上で死刑判決を言い渡しているものと承知しており、最終的に確定した裁判について速やかにその実現を図ることが重要であると考えており、御指摘のような制度改正(山中注:立法措置等による死刑執行の停止,恩赦制度の実効化を含めた減刑のための制度の改革を含めた制度改正)は相当でないと考えている。
第2 無期刑の受刑者に対する政令恩赦又は個別恩赦による減刑
1 昭和34年以前の減刑の実例
(1) 昭和20年8月24日発生の松江騒擾事件(青年グループ「皇国義勇軍」数十人が武装蜂起し,島根県庁を全焼させるなどした事件)の首謀者は,大審院昭和22年5月2日判決により無期懲役判決が確定したものの,日本国憲法発布恩赦及び講和条約発効恩赦により2回の減刑を受けた後,昭和27年に仮出獄しました。
(2) 昭和21年1月27日発生の和歌山一家8人殺害事件の犯人は死刑判決を受けたものの,罪名が殺人罪だけであったために講和条約発効恩赦により無期懲役に減刑となり,昭和43年春,仮出獄しました。
(3) 昭和24年9月14日発生の小田原一家5人殺害事件の犯人は死刑判決を受けたものの,罪名が殺人罪だけであったために講和条約発効恩赦により無期懲役に減刑となり,昭和45年に仮出獄し,昭和59年7月8日に殺人未遂事件を起こして仮出獄が取り消されたため,平成21年10月27日に獄死しました。
2 昭和35年以降に減刑された人はいないこと
(1) 平成12年10月3日付の「衆議院議員保坂展人君提出死刑と無期懲役の格差に関する質問に対する答弁書」には以下の記述があります。
① 戦後、無期懲役が確定した後、個別恩赦により減刑された者(仮出獄中の者を除く。)は八十六人である。なお、無期懲役が確定した後、昭和三十五年以降に個別恩赦により減刑された者はいない。
また、戦後、無期懲役が確定した後、政令恩赦により減刑された者については、十分な資料がないため、総数は不明である。なお、最後に政令恩赦により減刑が行われたのは、昭和二十七年四月の日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号)の発効に際してである。
② 加害者の無期懲役が確定した事件の被害者等の感情については、平成八年及び平成十年に、いずれも法務総合研究所が調査を実施している。平成八年の調査においては、刑事確定訴訟記録に基づき、死亡被害者が発生した事件のうち加害者の無期懲役が確定した事件について、遺族の被害感情等に関する調査を行った。平成十年の調査においては、保護観察所を通じて面接を行うことにより、加害者が無期懲役を含む長期の刑の執行を受けている事件について、被害者等の意識に関する調査を行った。
平成八年の調査の結果によれば、判決確定前の時点において、遺族のうち、七十三・三パーセントの者が加害者を死刑に処することを、十二・三パーセントの者が無期懲役に処することを希望すると述べており、また、八十四・〇パーセントの者が加害者の社会復帰に絶対に反対すると述べている。
平成十年の調査の結果によれば、事件後平均十九年余りを経過した時点においても、加害者が無期懲役に処せられた事件の被害者等のうち、三十八・二パーセントの者が加害者に対して「憎い」との感情を持ち続けていると答えており、五十五・九パーセントの者が加害者の社会復帰に絶対反対と答えている。
(2) 最高裁大法廷昭和48年4月4日判決は,尊属殺の罪に関する刑法200条(法定刑は死刑又は無期懲役だけでした。)が憲法14条1項に違反すると判示したため,職権上申による個別恩赦まで検討されました(昭和48年5月8日の参議院法務委員会における横山精一郎法務省保護局恩赦課長の答弁参照)ものの,無期懲役から減刑された事例はなかったこととなります。
3 マル特無期事件
(1) 東洋経済オンラインの「新元号「令和」下で実施の「恩赦」はどうなるか 93年の皇太子ご成婚以来、26年ぶり」には以下の記載があります。
『犯罪白書』によると、17年の死刑確定数は2件。近年、最も多かった07年は23件に上る。無期懲役の確定数も17年は18件だが、05年は134件、06年は135件もあったのだ。こうした量刑の歪みを正す必要があると、石塚氏は指摘する。
「いまの相場からすると、量刑が重過ぎる人がたくさんいることになります。無期懲役の受刑者が仮釈放になるまで35年くらいかかります。1審死刑判決から2審で無期懲役に減刑されたようなケースは“マル特無期”といって、一生刑務所から出られない。仮釈放しないのが慣行になっているのです。無期懲役の受刑者は全国の刑務所に約1800人いると思われますが、どんどん高齢化しています。職員や他の受刑者が介護しながら、刑務作業をさせていることも少なくないのが現状です」
(2) 「マル特無期事件」に指定された受刑者の場合,終身又はそれに近い期間,服役させられることとなる点で,事実上の終身刑となっています(「特に犯情悪質等の無期懲役刑確定者に対する刑の執行指揮及びそれらの者の仮出獄に対する検察官の意見をより適正にする方策について(平成10年6月18日付の最高検察庁の次長検事依命通達)」(「最高検マル特無期通達」などといいます。)参照)
1945年8月24日02:00 「皇国義勇軍」が島根県庁舎を襲撃。これにより島根県庁舎は全焼する。なお襲撃の余波で近所の茶店の主人である曽田完が殺害された #松江騒擾事件 #芙蓉録 pic.twitter.com/ITPQujARHM
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) August 23, 2020
第3 関連記事その他
(1) 自由権規約6条4項は「死刑を言い渡されたいかなる者も、特赦又は減刑を求める権利を有する。死刑に対する大赦、特赦又は減刑はすべての場合に与えることができる。」と定めています。
(2) 以下の記事も参照して下さい。
・ 死刑執行に反対する日弁連の会長声明等
・ マル特無期事件
・ 恩赦に関する記事の一覧
・ 戦後の政令恩赦及び特別基準恩赦
・ 仮釈放