第1 この記事の対象と裁判例の読み方
1 別々に検討すべき四つの問題
平成の即位礼及び大嘗祭をめぐる訴訟では,①国が儀式を挙行して国費を支出したこと,②知事,副知事又は議会議長が儀式に参列したこと,③地方公共団体が参列のための旅費等を支出したこと,④これらの行為により原告個人の権利又は法律上保護される利益が侵害されたかが争われた。対象となる行為と請求の法的根拠が異なるため,請求棄却という結論だけを見て,大嘗祭全体に対する「合憲判決」であるとまとめることはできない。
2 平成の裁判例から分かること
平成の代替わりについて,最高裁判所が憲法20条3項違反を否定した主要な裁判例は,大分県の主基斎田抜穂の儀,鹿児島県知事の大嘗祭参列,神奈川県知事・県議会議長の即位礼及び大嘗祭参列を扱った三判決である。これらは,地方公共団体関係者の参列を,公職にある者が天皇の即位に祝意を表す社会的儀礼と評価したものであり,国が大嘗祭を宮廷費で挙行したこと自体について包括的な合憲判断を示したものではない。
大阪高裁平成7年3月9日判決は,大嘗祭の神道儀式としての性格を明白とし,宮廷費による執行に政教分離上の疑義を示した。しかし,同判決は国費支出差止請求及び違憲確認請求を不適法とし,損害賠償請求についても原告らの具体的かつ直接の権利侵害を認めなかった。このため,同判決も大嘗祭を違憲とする結論を主文で示した判決ではない。
第2 憲法・皇室法制と政府の整理
1 憲法20条,89条と皇室関係法令
日本国憲法20条1項は信教の自由と宗教団体への特権付与の禁止,同条2項は宗教上の行為等への参加強制の禁止,同条3項は国及びその機関による宗教的活動の禁止を定める。憲法89条は,宗教上の組織又は団体の使用,便益又は維持のために公金その他の公の財産を支出し,又は利用に供することを禁じている。
皇室典範24条は,皇位の継承があったときに「即位の礼」を行うと定めるが,大嘗祭を明記していない。皇室経済法4条によれば,内廷費として支出されたものは御手元金となり,宮内庁の経理に属する公金ではない。これに対し,同法5条の宮廷費は,内廷諸費以外の宮廷諸費に充てられ,宮内庁が経理する公金である。
2 平成の大嘗祭を宮廷費で行った政府の説明
政府は,平成元年12月21日の閣議口頭了解に関する説明において,大嘗祭が宗教上の儀式としての性格を有するため,憲法7条10号の国事行為として行うことは困難であるとした。他方で,皇位の世襲に伴う一世に一度の重要な伝統的皇位継承儀式として公的性格もあるため,皇室行事として挙行し,費用を宮廷費から支出するのが相当であると整理した。
この政府整理は,大嘗祭の宗教性を否定して公費支出を正当化したものではない。宗教上の儀式としての性格と皇位継承儀式としての公的性格を併存させ,国事行為ではない皇室行事に宮廷費を用いるという構成である。平成当時の資料は,大嘗祭の合憲性に関する内閣法制局の国会用資料等及び内閣法制局の国会答弁の抜粋で確認できる。
3 令和の大嘗祭と公表された異論
政府は令和の大嘗祭でも平成の整理を踏襲した。第197回国会衆議院内閣委員会平成30年11月30日会議録には,大嘗祭の宗教性,公的性格及び宮廷費支出に関する政府答弁が収録されており,宮内庁の令和元年10月2日付「大嘗祭について」は儀式の意義と構成を説明している。
これに対し,文仁親王殿下は平成30年11月の記者会見で,宗教色の強い大嘗祭を国費で賄うことの適否に疑問を示し,内廷費で行うべきであるとの考えを述べた。これは裁判所の判断ではないが,政府整理に対して公に示された異なる見解である。
第3 国費支出差止等請求事件
1 大阪地裁平成4年11月24日判決
大阪地裁平成4年11月24日判決(平成2年(行ウ)第81号)は,即位の礼及び大嘗祭に関する国費支出の差止め,違憲確認及び損害賠償等が求められた事件である。同判決は,差止請求及び確認請求を不適法とし,損害賠償請求も退けた。
2 大阪高裁平成7年3月9日判決
大阪高裁平成7年3月9日判決(平成4年(行コ)第48号)は,大嘗祭が神道儀式としての性格を有することは明白であるとした上で,これを公的な皇室行事として宮廷費で執行したことについて,政教分離規定違反の疑義を一概には否定できないと述べた。即位礼正殿の儀についても,宗教的要素が残ることや,国民主権の趣旨にふさわしくないと思われる点が存在することを指摘した。
もっとも,同判決は,既に支出された国費の差止めを求める部分及び違憲確認請求を不適法とし,損害賠償請求についても,儀式が原告らに参列を強制したものではなく,思想・良心の自由又は信教の自由に具体的かつ直接の影響を与えたとはいえないとして退けた。違憲の疑義を示した理由部分と,権利侵害を否定した主文上の結論を分けて読む必要がある。
第4 地方公共団体関係者の参列をめぐる裁判例
1 大分県主基斎田抜穂の儀参列事件
最高裁平成14年7月9日第三小法廷判決(平成11年(行ツ)第77号,集民206号605頁)は,知事,副知事及び県農政部長が主基斎田抜穂の儀に参列して拝礼した行為を扱った。同判決は,この儀式が大嘗祭の一部を構成する一連の儀式の一つであることを前提としつつ,参列は公職にある者が天皇の即位に祝意と敬意を表す社会的儀礼を目的とし,特定の宗教を援助,助長又は促進する効果を持たないとして,憲法20条3項違反を否定した。
2 鹿児島県知事大嘗祭参列事件
最高裁平成14年7月11日第一小法廷判決(平成11年(行ツ)第93号,民集56巻6号1204頁)は,大嘗宮に神道施設が設置され,儀式が神道の儀式にのっとって行われ,知事が拝礼したことから,参列行為が宗教とのかかわり合いを持つことを認めた。その上で,参列目的は社会的儀礼として即位に祝意を表すことにあり,その効果も特定の宗教を援助,助長又は促進するものではないとして,憲法20条3項違反を否定した。大嘗祭の宗教性を否定した判決ではない。
鹿児島県知事の参列訴訟については,小栗実「大嘗祭違憲訴訟」が鹿児島大学リポジトリで公開されている。令和8年8月9日現在で確認できるのは,(1),(5),(6),(7),(8)及び(九・完)である。(2)ないし(4)は,同リポジトリの検索では確認できない。
3 神奈川県即位儀式・大嘗祭参列事件
最高裁平成16年6月28日第二小法廷判決(平成14年(行ツ)第279号,判例時報1890号41頁)は,県知事及び県議会議長の即位礼正殿の儀への参列並びに県議会議長の大嘗宮の儀への参列を扱った。同判決は,いずれも伝統的な皇位継承儀式に際し,社会的儀礼として即位に祝意を表す目的で行われたとして,憲法20条3項違反を否定した。
4 東京都知事大嘗祭参列事件
東京高裁平成16年4月16日判決(平成11年(行コ)第92号)は,国による大嘗祭の挙行・費用支出と東京都知事の参列行為は別個に評価すべきであり,仮に国費支出に憲法89条上の問題があるとしても,そのことから参列行為が直ちに違法になるものではないとした。同判決は,知事の参列を即位に祝意を表す社会的儀礼と評価し,政教分離規定違反を否定した。
国立国会図書館のレファレンス協同データベース等によれば,上告審は最高裁平成17年12月8日第一小法廷判決であり,上告棄却により原告敗訴が確定した。ただし,同最高裁判決は裁判所HP未掲載であり,事件番号及び判決全文を同HPでは確認できない。
第5 最高裁三判決が判断した範囲
1 参列の目的と効果を個別に判断したこと
平成14年及び平成16年の最高裁三判決は,公職者が実際にどの儀式に参列し,どのような行為をし,何を目的としていたかを個別に認定した。大分事件では拝礼にとどまったこと,鹿児島事件では神道儀式への参列であっても社会的儀礼としての祝意表明を目的としたこと,神奈川事件では即位礼と大嘗祭の各参列行為がそれぞれ検討されたことが結論を支えている。
2 国による大嘗祭の挙行・宮廷費支出を判断していないこと
三判決は,国が大嘗祭を皇室行事として挙行したこと,又は宮廷費を支出したこと自体が憲法20条又は89条に適合するかを正面から判断していない。公職者の参列を合憲としたことと,儀式の実施主体・実施方法・国費支出の合憲性とは,法的に別の問題である。
3 請求棄却と合憲判断を区別すること
最高裁平成18年6月23日第二小法廷判決(平成17年(受)第2184号,集民220号573頁)は,内閣総理大臣の靖国神社参拝により個人の心情又は宗教上の感情が害されたとしても,損害賠償の対象となる法的利益の侵害はないとした判決である。同判決は参拝の憲法20条3項適合性を判断しておらず,「合憲判決」と位置付けることはできない。大嘗祭訴訟でも,訴訟要件又は個人の権利侵害の不存在を理由とする請求棄却と,対象行為についての憲法適合性判断を区別する必要がある。
第6 令和の代替わりをめぐる後続訴訟
1 東京高裁令和元年12月24日判決
東京高裁令和元年12月24日判決(令和元年(行コ)第202号)は,即位の礼・大嘗祭等に係る国費支出の差止めを求めた事件である。第一審が口頭弁論を経ずに訴えを却下したのに対し,同判決は,原告らが人格権に基づく差止請求も主張しているのに第一審がその適法性及び当否を審理していないとして,原判決を取り消し,東京地裁へ差し戻した。儀式又は国費支出の合憲性を判断した判決ではない。
2 東京地裁令和6年1月31日判決と控訴審
東京地裁令和6年1月31日判決(平成30年(ワ)第38165号,平成31年(ワ)第8155号及び令和3年(ワ)第17144号)は,即位礼及び大嘗祭等についての国家賠償請求をすべて棄却した。同判決は,政教分離規定は制度的保障であり,国の行為が信教の自由を制限し,又は宗教上の行為への参加を強制するなどして私人の信教の自由を直接侵害しない限り,私人との関係で当然に違法とはならないとした。また,具体的争訟を離れて国の行為の違憲・違法を抽象的に判断する権限を裁判所は有しないと述べた。
東京高裁令和7年2月28日判決(令和6年(ネ)第1001号)も控訴を棄却した。法務省公表の判決概要によれば,控訴審も政教分離規定の制度的保障という性質と,控訴人らに対する権利・法的利益の直接的侵害がないことを理由としている。令和8年8月9日現在,同控訴審判決に対する最高裁の公刊判断は裁判所HPで確認できない。
3 京都府知事らの参列をめぐる住民訴訟
京都地裁令和6年2月7日判決は,京都府知事らの主基田抜穂の儀及び大嘗宮の儀への参列と旅費支出をめぐる住民訴訟であり,請求を退けたと報じられている。大阪高裁も令和7年4月に控訴を棄却したと報じられているが,令和8年8月9日現在,両判決は裁判所HP未掲載であり,判決全文,正確な事件番号及び大阪高裁の判決年月日は同HPでは確認できない。このため,本記事では報道で確認できる訴訟経過を示すにとどめる。
第7 政教分離判例と学説上の評価
1 近時の政教分離判例との関係
政教分離に関する最高裁判例は,目的と効果だけを抽象的に当てはめるのではなく,対象となる施設又は行為の性格,成立の経緯,関与の態様,一般人の評価,宗教団体との関係及び公的利益の程度等を社会通念に照らして総合的に検討している。最高裁令和3年2月24日大法廷判決(令和元年(行ツ)第222号・同年(行ヒ)第262号)は,那覇市による孔子廟敷地の使用料全額免除を憲法20条3項に違反するとした。もっとも,この判断枠組みから大嘗祭の宮廷費支出について直ちに一定の結論が導かれるわけではなく,儀式の宗教性,公的性格,国の関与及び利益の内容を具体的に検討する必要がある。
2 大嘗祭参列判決に対する学説上の批判
佐々木弘通「天皇代替わり諸儀式の憲法問題」は,皇位にある者の皇室神道実践と国家の関与を憲法4条1項の天皇の公私区分から検討し,平成14年最高裁判決が通常の目的効果論を用いたことを批判する。同論文は,即位に対する公的な祝意は国事行為である即位の礼への参列で足り,大嘗祭への公的参列まで社会的儀礼として正当化することはできないと論じる。
飯野賢一「象徴天皇制と政教分離原則」は,大嘗祭を私的な皇室行事として位置付け,政府が公的性格を付与せず,実施方法に関与せず,公費を用いないことを前提とすべきであると論じる。また,本秀紀編『憲法講義〔第4版〕』は,宗教性の明らかな儀式に知事が参加する効果を最高裁が過小評価していると批判する。これらは判例の結論とは異なる学説上の評価である。
3 日弁連会長声明
中坊公平日弁連会長は,平成2年10月24日付「大嘗祭と即位の礼について」で,大嘗祭は極めて宗教性の強い儀式であり,国の関与及び宮廷費支出は政教分離原則に反するとして,国の関与と国費支出を行わないよう求めた。即位の礼についても,旧登極令を継承する形態には国民主権及び政教分離上の問題があるとして,憲法の理念に合致した簡素なものとするよう求めた。これは裁判例ではなく,日弁連会長が当時公表した見解である。
第8 出典・参考資料
1 法令
①日本国憲法7条10号・20条・89条(e-Gov法令検索)
②皇室典範24条(昭和22年法律第3号,e-Gov法令検索)
③皇室経済法4条・5条(昭和22年法律第4号,e-Gov法令検索)
2 裁判例
①大阪地裁平成4年11月24日判決(平成2年(行ウ)第81号,裁判所ウェブサイト)
②大阪高裁平成7年3月9日判決(平成4年(行コ)第48号,裁判所ウェブサイト)
③最高裁平成14年7月9日第三小法廷判決(平成11年(行ツ)第77号,集民206号605頁,裁判所ウェブサイト)
④最高裁平成14年7月11日第一小法廷判決(平成11年(行ツ)第93号,民集56巻6号1204頁,裁判所ウェブサイト)
⑤最高裁平成16年6月28日第二小法廷判決(平成14年(行ツ)第279号,判例時報1890号41頁,裁判所ウェブサイト)
⑥東京高裁平成16年4月16日判決(平成11年(行コ)第92号,裁判所ウェブサイト)
⑦最高裁平成17年12月8日第一小法廷判決(事件番号及び判決全文は裁判所HPで確認できず,裁判所HP未掲載。国立国会図書館レファレンス協同データベースにより訴訟経過を確認)
⑧東京高裁令和元年12月24日判決(令和元年(行コ)第202号,裁判所ウェブサイト)
⑨東京地裁令和6年1月31日判決(平成30年(ワ)第38165号,平成31年(ワ)第8155号及び令和3年(ワ)第17144号,裁判所ウェブサイト)
⑩東京高裁令和7年2月28日判決(令和6年(ネ)第1001号。裁判所HP未掲載。法務省公表の判決概要により確認)
⑪最高裁平成18年6月23日第二小法廷判決(平成17年(受)第2184号,集民220号573頁,裁判所ウェブサイト)
⑫最高裁令和3年2月24日大法廷判決(令和元年(行ツ)第222号・同年(行ヒ)第262号,民集75巻2号29頁,裁判所ウェブサイト)
3 政府・宮内庁・日弁連資料
①内閣「即位の礼,大嘗祭等の挙行について」及び平成元年12月21日閣議口頭了解関係資料(大嘗祭の合憲性に関する内閣法制局の国会用資料等及び国立国会図書館インターネット資料収集保存事業で保存された旧首相官邸資料を確認)
②第197回国会衆議院内閣委員会第8号(平成30年11月30日,衆議院)
③宮内庁「大嘗祭について」(令和元年10月2日)及び「皇室の経済に関する用語」
④宮内庁「文仁親王殿下お誕生日に際し(平成30年)」(会見年月日:平成30年11月22日)
⑤日本弁護士連合会会長中坊公平「大嘗祭と即位の礼について」(平成2年10月24日)
4 文献
①佐々木弘通「天皇代替わり諸儀式の憲法問題」愛敬浩二・蟻川恒正・阪口正二郎編『憲法学の領分―中島徹先生古稀記念論集』(日本評論社,令和7年)523頁~541頁
②飯野賢一「象徴天皇制と政教分離原則」愛敬浩二・藤井康博・高橋雅人編『水島朝穂先生古稀記念 自由と平和の構想力―憲法学からの直言』(日本評論社,令和5年)385頁~404頁
③本秀紀編『憲法講義〔第4版〕』(日本評論社,令和8年)89頁
5 大学リポジトリ・報道資料
①小栗実「大嘗祭違憲訴訟(1)―鹿児島県知事の大嘗祭出席についての住民訴訟の記録」鹿児島大学社会科学雑誌15巻15頁~48頁(平成4年)及び同連載(5)~(九・完)(鹿児島大学リポジトリ)
②週刊金曜日「京都地裁が大嘗祭参列訴訟で原告の請求棄却」(令和6年3月11日)及び「大嘗祭等違憲訴訟,二つの控訴審で原告側敗訴」(令和7年7月29日)