目次
1 平成の代替わりに伴う大嘗祭等に関する最高裁判例
2 大分県主基斎田抜穂の儀参列違憲訴訟
3 鹿児島県大嘗祭参列違憲訴訟
4 神奈川県即位儀式・大嘗祭参列違憲訴訟
5 平成の代替わりに伴う儀式に関する下級裁判所の裁判例(裁判所HPの「裁判例情報」に最高裁判決が掲載されていないもの)
6 政教分離原則に関する最高裁判決の裁判要旨(大嘗祭等の合憲性に関係すると思われるもの)
7 大嘗祭等
8 天皇の行為に関する内閣法制局長官の答弁等
9 下級審裁判官が既存の最高裁判例に反する裁判をなす場合
10 大嘗祭の合憲性に関する内閣答弁書及び内閣法制局の資料
11 大嘗祭及び即位の礼に関する中坊公平日弁連会長の所信表明
12 名古屋家裁裁判官に関する,平成31年3月13日付の産経新聞の報道
13 関連記事その他
1 平成の代替わりに伴う大嘗祭等に関する最高裁判例
裁判所HPの「裁判例情報」に掲載されている,平成の代替わりに伴う大嘗祭等に関する最高裁判例は以下の三つです(首相官邸HPの「第2回 天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会 議事次第」の「資料6 平成の御代替わりに伴う儀式に関する最高裁判決(PDF/398KB)」参照)。
① 大分県主基斎田抜穂の儀参列違憲訴訟(H14.7.9第3小法廷)
② 鹿児島県大嘗祭参列違憲訴訟(H14.7.11第1小法廷)
③ 神奈川県即位儀式・大嘗祭参列違憲訴訟(H16.6.28第2小法廷)
2 ①大分県主基斎田抜穂の儀参列違憲訴訟
(1) 最高裁平成14年7月9日判決の裁判要旨は以下のとおりです。
知事,副知事及び県農政部長が県内で行われた主基斎田抜穂の儀に参列した行為は,主基斎田抜穂の儀が皇位継承の際に通常行われてきた皇室の伝統儀式である大嘗祭の一部を構成する一連の儀式の一つであること,他の参列者と共に参列して拝礼したにとどまること,参列が公職にある者の社会的儀礼として天皇の即位に祝意,敬意を表する目的で行われたことなど判示の事情の下においては,憲法20条3項に違反しない。
(2)ア 第一審判決は大分地裁平成6年6月30日判決(担当裁判官は24期の丸山昌一,36期の金光健二及び42期の大崎良信)です。
イ 控訴審判決は福岡高裁平成10年9月25日判決(担当裁判官は17期の小長光馨一,25期の小山邦和及び36期の長久保尚善)でした。
(3) 弁護士法人おおいた市民総合法律事務所HPの「4.大嘗祭,抜穂の儀違憲訴訟」に,大分県主基斎田抜穂の儀参列違憲訴訟のことが書いてあります。
3 ②鹿児島県大嘗祭参列違憲訴訟
(1) 最高裁平成14年7月11日判決の裁判要旨は以下のとおりです。
知事が大嘗祭に参列した行為は,大嘗祭が皇位継承の際に通常行われてきた皇室の伝統儀式であること,他の参列者と共に参列して拝礼したにとどまること,参列が公職にある者の社会的儀礼として天皇の即位に祝意を表する目的で行われたことなど判示の事情の下においては,憲法20条3項に違反しない。
(2)ア 第一審判決は鹿児島地裁平成4年10月2日判決(担当裁判官は19期の宮良允通,30期の原田保孝及び40期の宮武康)です。
イ 控訴審判決は福岡高裁宮崎支部平成10年12月1日判決(担当裁判官は18期の海保寛,36期の多見谷寿郎及び40期の水野有子)です。
(3) 鹿児島大学リポジトリの以下の資料(なぜか<資料>大嘗祭違憲訴訟(1)ないし(4)が見当たりません。)に,鹿児島県大嘗祭参列違憲訴訟のことが非常に詳しく書いてあります。
① <資料>大嘗祭違憲訴訟 (5) 〔控訴審編その 3〕 : 鹿児島県知事の大嘗祭出席についての住民訴訟の記録
② <資料>大嘗祭違憲訴訟 (6) 〔控訴審編その 4〕 : 鹿児島県知事の大嘗祭出席についての住民訴訟の記録
③ <資料>大嘗祭違憲訴訟 (7) 〔控訴審編その 5〕 : 鹿児島県知事の大嘗祭出席についての住民訴訟の記録
④ <資料>大嘗祭違憲訴訟 (8) 〔上告審編その 1〕 : 鹿児島県知事の大嘗祭出席についての住民訴訟の記録
⑤ 大嘗祭違憲訴訟(九・完)〔上告審編その2〕 : 鹿児島県知事の大嘗祭出席についての住民訴訟の記録
4 ③神奈川県即位儀式・大嘗祭参列違憲訴訟
(1) 最高裁平成16年6月28日判決の裁判要旨は以下のとおりです。
① 県知事及び県議会議長が即位礼正殿の儀に参列した行為は,即位礼正殿の儀が皇室典範24条の規定する即位の礼の一部を構成する伝統的な皇位継承儀式であること,参列が公職にある者の社会的儀礼として他の参列者と共に天皇の即位に祝意を表する目的で行われたことなど判示の事情の下においては,憲法20条3項に違反しない。
② 県議会議長が大嘗祭に参列した行為は,大嘗祭が即位の礼に際しての皇室の伝統儀式であること,参列が公職にある者の社会的儀礼として他の参列者と共に天皇の即位に祝意を表する目的で行われたことなど判示の事情の下においては,憲法20条3項に違反しない。
(2)ア 第一審判決は横浜地裁平成11年9月27日判決(担当裁判官は26期の岡光民雄,28期の近藤壽邦及び51期の平山馨)です。
イ 控訴審判決は東京高裁平成14年9月19日判決(担当裁判官は20期の森脇勝,28期の中野信也及び35期の藤下健)です。
5 平成の代替わりに伴う大嘗祭等に関する下級裁判所の裁判例(裁判所HPの「裁判例情報」に最高裁判決が掲載されていないもの)
(1) 大阪高裁平成7年3月9日判決(担当裁判官は10期の山中紀行,16期の武田多喜子及び31期の井戸謙一)
ア 事件名は,即位の礼・大嘗祭国費支出差止等請求控訴事件でした。
イ 傍論として,「現実に実施された本件即位礼正殿の儀(即位の礼の諸儀式・行事のうち、本件諸儀式・行事に含まれるのは、即位礼正殿の儀のみである)は、旧登極令及び同附式を概ね踏襲しており、剣、璽とともに御璽、国璽が置かれたこと、海部首相が正殿上で万歳三唱をしたこと等、旧登極令及び同附式よりも宗教的な要素を薄め、憲法の国民主権原則の趣旨に沿わせるための工夫が一部なされたが、なお、神道儀式である大嘗祭諸儀式・行事と関連づけて行われたこと、天孫降臨の神話を具象化したものといわれる高御座や剣、璽を使用したこと等、宗教的な要素を払拭しておらず、大嘗祭と同様の趣旨で政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できないし、天皇が主権者の代表である海部首相を見下ろす位置で「お言葉」を発したこと、同首相が天皇を仰ぎ見る位置で「寿詞」を読み上げたこと等、国民を主権者とする現憲法の趣旨に相応しくないと思われる点がなお存在することも否定できない。」などと判示したものの,結論としては,個人の思想等の形成,維持に具体的かつ直接的に影響を与えたとはいえないということで,請求棄却判決でした。
ウ 多面体Fブログの「スタートした即位大嘗祭違憲訴訟の会」には,大阪高裁平成7年3月9日判決に関して,「かつてない裁判所の判断だし、しかも高裁判決として温存したほうがよいと考え、全国の控訴人とも相談のうえ最高裁への上告は行わなかった。」と書いてあります。
エ 東京新聞HPの「<代替わり考 皇位継承のかたち>(4) 大嘗祭に国費 違憲可能性」(平成31年1月11日付)には以下の記載があります。
一九九五年三月、大阪高裁は一審と同様、原告の慰謝料請求などを退けた。ただし、判決の結論に影響しない「傍論」で、大嘗祭と即位礼正殿の儀への国費支出を「ともに憲法の政教分離規定に違反する疑いは否定できない」と指摘した。
判決原案を書いたのは、主任裁判官の井戸だった。あえて傍論で憲法判断に踏み込んだ理由を「結論に関係がなくとも、できる範囲で答えるべきだと考えた」と明かす。裁判長ら三人の合議でも異論は出なかったという。
国を相手に儀式への国費支出の合憲性を争う集団訴訟は他になく、全国の千人以上が原告として参加した。原告側は「実質勝訴」として上告せず、判決を確定させた。このため国費支出の合憲性について最高裁の判断は出されていない。
オ 未来政治塾HPの「井戸謙一」には,「退官後は、滋賀県弁護士会でいわゆる「マチ弁護士」として、「自分が正しいと信じることを貫くこと」を理念に、憲法9条問題や原発問題に取り組み、大飯原発の運転差し止め訴訟等の画期的判決を勝ち取る。 」などと紹介されています。
カ 第一審判決は大阪地裁平成4年11月24日判決(担当裁判官は16期の福富昌昭,36期の小林元二及び43期の大藪和男)です。
(2) 東京高裁平成16年4月16日判決(担当裁判官は21期の相良朋紀,31期の三代川俊一郎及び33期の野山宏)
ア 事件名は,即位の礼・大嘗祭違憲住民訴訟請求控訴事件でした。
イ 第一審判決は東京地裁平成11年3月24日判決(担当裁判官は26期の青柳馨,39期の増田稔及び49期の篠田賢治)です。
ウ 上告審判決は最高裁平成17年12月8日判決であるかもしれません(レファレンス協同データベースHPの「平成17年(2005年)12月8日に最高裁判所第一小法廷で判決が下された、「都知事が大嘗祭に参列したことを合憲」とした判例を探している。」で始まる記事参照)。
6 政教分離原則に関する最高裁判決の裁判要旨(大嘗祭等の合憲性に関係すると思われるもの)
(1) 津地鎮祭訴訟に関する最高裁大法廷昭和52年7月13日判決(破棄自判・合憲判決)の裁判要旨(抜粋)
市が主催し神式に則り挙行された市体育館の起工式は、宗教とかかわり合いをもつものであることを否定することはできないが、その目的が建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果が神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められない判示の事情のもとにおいては、憲法二〇条三項にいう宗教的活動にあたらない。
(2) 愛媛玉串訴訟に関する最高裁大法廷平成9年4月2日判決(上告棄却・違憲判決)の裁判要旨(抜粋)
愛媛県が、宗教法人靖国神社の挙行した恒例の宗教上の祭祀である例大祭に際し玉串料として九回にわたり各五〇〇〇円(合計四万五〇〇〇円)を、同みたま祭に際し献灯料として四回にわたり各七〇〇〇円又は八〇〇〇円(合計三万一〇〇〇円)を、宗教法人愛媛県護国神社の挙行した恒例の宗教上の祭祀である慰霊大祭に際し供物料として九回にわたり各一万円(合計九万円)を、それぞれ県の公金から支出して奉納したことは、一般人がこれを社会的儀礼にすぎないものと評価しているとは考え難く、その奉納者においてもこれが宗教的意義を有する者であるという意識を持たざるを得ず、これにより県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができないのであり、これが、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており右宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないなど判示の事情の下においては、憲法二〇条三項、八九条に違反する。
(3) 靖国参拝違憲訴訟に関する最高裁平成18年6月23日判決(上告棄却・合憲判決)の裁判要旨
内閣総理大臣の地位にある者が靖國神社に参拝した行為によって個人の心情ないし宗教上の感情が害されたとしても,損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとはいえない。
(補足意見がある。)
(4) 白山ひめ神社訴訟に関する最高裁平成22年7月22日判決(破棄自判・合憲判決)の裁判要旨
神社の鎮座2100年を記念する大祭に係る諸事業の奉賛を目的とする団体の発会式に地元の市長が出席して祝辞を述べた行為は,地元にとって,上記神社が重要な観光資源としての側面を有し,上記大祭が観光上重要な行事であったこと,上記団体はこのような性質を有する行事としての大祭に係る諸事業の奉賛を目的とするもので,その事業自体が観光振興的な意義を相応に有していたこと,上記発会式は,市内の一般の施設で行われ,その式次第は一般的な団体設立の式典等におけるものと変わらず,宗教的儀式を伴うものではなかったこと,上記市長は上記発会式に来賓として招かれて出席したもので,その祝辞の内容が一般の儀礼的な祝辞の範囲を超えて宗教的な意味合いを有するものであったともうかがわれないことなど判示の事情の下においては,憲法20条3項に違反しない。
7 大嘗祭等
(1) 平成2年11月に挙行された大嘗祭についての政府の説明
第8回皇室典範に関する有識者会議(平成17年8月30日開催)の「資料3 皇位の継承に係わる儀式等(大嘗祭を中心に)について」によれば,平成2年11月に挙行された大嘗祭についての政府の説明は以下のとおりです。
① 皇室典範に即位(践祚)と即位の礼を規定し、大嘗祭を規定しなかった理由
・ 即位の礼に関しましては、今回制定せられまする典範の中にやはり規定が設けてありまして、実質において異なるところはございませんので、大嘗祭等のことを細かに書くことが一面の理がないわけではありませんが、これはやはり信仰に関する点を多分に含んでおりまするが故に、皇室典範の中に姿を現わすことは、或は不適当であろうと考えておるのであります。……
(昭和21年12月5日 衆議院本会議皇室典範案第一読会 金森徳次郎国務大臣)
・ 現行の皇室典範の二十四条というものは、天皇の即位に伴いまして国事行為たる儀式として即位の礼を行うことを予定したものと解されますが、大嘗祭には宗教的な面があるということも考えまして、これに関する規定は制定当時設けなかった、将来の慎重な検討にゆだねる、こういうことのように考えております。
(平成2年5月24日 参議院内閣委員会 工藤敦夫内閣法制局長官)
② 大嘗祭の意義
・ 大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。それは、皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である。
(平成元年12月21日 閣議口頭了解(「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について)の別紙より)
③ 大嘗祭の儀式の位置付け
・ 大嘗祭は、前記のとおり、収穫儀礼に根ざしたものであり、伝統的皇位継承儀式という性格を持つものであるが、その中核は、天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式であり、この趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考える。……
(平成元年12月21日 閣議口頭了解(「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について)の別紙より)
④ 大嘗祭の費用
・ 大嘗祭を皇室の行事として行う場合、大嘗祭は、前記のとおり、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味において、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。
(平成元年12月21日 閣議口頭了解(「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について)の別紙より)
(2) 大嘗祭の沿革
平成2年に宮内庁が報道機関等に配布した資料には,「大嘗祭の沿革」として以下の記載があったみたいです(第8回皇室典範に関する有識者会議(平成17年8月30日開催)の「資料3 皇位の継承に係わる儀式等(大嘗祭を中心に)について」参照)。
大嘗祭の沿革をたどると、その起源は、新嘗の祭に由来する。新嘗の祭については、我が国最古の歴史書である古事記(712年に撰進)や日本書紀(720年に撰進)において、皇祖天照大神が新嘗の祭を行われたことや上古の天皇が新嘗の祭を行われたことの記述が見られるように、その起源は、それらの歴史書が編纂された奈良時代以前にまで遡ることができる。
なお、新嘗の祭が、我が国の社会に古くから伝承されたものであることは、常陸国風土記(720年ごろに完成)に引く説話や万葉集(8世紀半ば過ぎに編纂)の歌によっても明らかである。
7世紀中頃までは、一代に一度行われる大嘗祭と毎年行われる新嘗祭との区別はなかったが、第40代天武天皇の時(御在位673年~686年)に、初めて、大嘗祭と新嘗祭とが区別された。爾来、大嘗祭は一世に一度行われる極めて重要な皇位継承儀式とされ、歴代天皇は、即位後必ずそれを行われることが皇室の伝統となった。
なお、歴代天皇のうち大嘗祭を行われなかった若干の例があるが、それは、大嘗祭を行われる前に退位されたり、或いは相次ぐ兵乱などのために経費の調達が困難であったことにより、大嘗祭を挙行することができなかったという特殊事情があったからである。
(3) 訴訟で知事等の参列が問題となった,主基斎田抜穂の儀及び大嘗宮の儀
ア ①大分県主基斎田抜穂の儀参列違憲訴訟で参列が問題となった主基斎田抜穂の儀は,斎田で新穀の収穫を行うための儀式であり,平成2年10月10日に大分県で行われた儀式です。
イ ②鹿児島県大嘗祭参列違憲訴訟及び③神奈川県即位儀式・大嘗祭参列違憲訴訟で参列が問題となった,大嘗祭の一部である「大嘗宮の儀」は,天皇が即位した後,大嘗宮の悠紀殿及び主基殿において初めて新穀を皇祖及び天神地祇に供えられ,自らも召し上がり,国家・国民のためにその安寧と五穀豊穣などを感謝し,祈念される儀式です。
ウ それぞれの儀式の内容については,宮内庁HPの「ご即位・大礼の主な儀式・行事」が参考になります。
エ 東京地裁平成11年3月24日判決63頁には,「本件諸儀式(注:即位の礼及び大嘗祭の関連諸儀式のこと。)のうち「即位礼正殿の儀」、「祝賀御列の儀」及び「饗宴の儀」は、国により国事行為として挙行され、一方、それ以外の諸儀式については、その儀式の宗教性及び態様から、皇室による私的な代替わりの儀式として挙行されたものであり、後者の儀式の挙行については、国が費用を負担するなど一定の事務的な援助の措置を講じている」と書いてあります。
オ 公益財団法人協和協会HPの「大嘗祭が合憲・合法であることの法的論拠」(平成2年11月提出)には,大嘗祭を国事行為として行っても違憲ではないという主張が書いてあります。
(4) 即位礼正殿の儀及び大嘗祭の日程
ア 平成の代替わりでは,即位礼正殿の儀は平成2年11月12日に実施され,大嘗祭は同年11月22日及び同月23日に実施されました。
イ 令和の代替わりでは,即位礼正殿の儀は同年10月22日に実施され,大嘗祭は同年11月14日及び同月15日に実施されました(宮内庁大礼委員会の「議事次第」の「資料2 大嘗祭関係資料」参照)。
(5) 平成の即位の礼関連の閣議決定及び閣議口頭了解
第2回 天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会(平成30年2月20日開催)の「平成の御代替わり時における式典の挙行内容に関する閣議決定等(PDF/459KB)」に以下の閣議決定及び閣議口頭了解等が載っています。
① 剣璽等承継の儀を国の儀式として行うことについて(昭和64年1月7日閣議決定)
② 即位後朝見の儀を国の儀式として行うことについて(昭和64年1月7日閣議決定)
③ 「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について(平成元年12月21日閣議口頭了解)
④ 「即位の礼」の挙行について〔大綱〕(平成2年1月19日即位の礼委員会決定・閣議口頭了解)
⑤ 即位礼正殿の儀を国の儀式として行うことについて(平成2年1月19日閣議決定)
⑥ 祝賀御列の儀を国の儀式として行うことについて(平成2年1月19日閣議決定)
⑦ 饗宴の儀を国の儀式として行うことについて(平成2年1月19日閣議決定)
(6) 過去の代替わりに関する宮内庁作成の資料
第2回 天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会(平成30年2月20日開催)に以下の資料が載っています。
① 資料1(歴史上の実例)
→ 文化14年(1817年)3月22日,光格天皇(47歳)が仁孝天皇(18歳)に譲位した事例が書いてあります。
② 資料2(天皇皇后両陛下の平成御大礼時の御日程について)
(7) その他
平成31年4月30日放送のNHKスペシャル「日本人と天皇」では,NHKが再現したところの大嘗祭が放送されました。
8 天皇の行為に関する内閣法制局長官の答弁等
(1) 横畠裕介内閣法制局長官は,平成31年3月13日の参議院予算委員会において以下の答弁をしています。
天皇の行為は、①国家機関としての行為である国事行為、②象徴としての地位に基づいて公的な立場で行われる公的行為、③その他の行為の三つに分類されます。
まず、国事行為は、国家機関としての天皇の行為であり、その内容は、憲法第四条第二項、第六条及び第七条に規定されているとおりでございます。
また、憲法第四条第一項におきまして「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを」行うと定められており、憲法第三条において「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」と定められているところでございます。
もっとも、言うまでもなく、天皇は、国家機関としての国事行為を行う以外にも、自然人として様々な事実行為を行うことがございます。
②の天皇の公的行為は、このような事実行為のうち、憲法第一条に規定する「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」としての地位に基づいて公的な立場で行われるものであり、憲法上の明文の根拠はありませんが、象徴としての地位にある天皇の行為として当然に認められるものと解されます。
天皇の公的行為は、国事行為ではないので、憲法に言う内閣の助言と承認は必要ではなく、あくまでも天皇の御意思を基として行われるべきものでありますが、象徴としての地位に基づいて公的な立場で行われるものであることから、当然、内閣は、これが憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っております。
具体的に申し上げますと、天皇の公的行為については、①国事行為におけるのと同様に、国政に関する権能が含まれてはならない、すなわち、政治的な意味を持つとか、あるいは政治的な影響を持つものが含まれてはならない、②象徴たる性格に反するものであってはならない、③内閣が責任を負うものでなければならないという制約があると考えられ、直接には宮内庁が、最終的には内閣がその責任において配慮しているところでございます。
③のその他の行為でございますけれども、天皇の自然人としての事実行為のうち公的行為以外のものでございますけれども、そのような行為である限りは基本的に内閣が関与するということではございませんが、政治的な意味を持つものが含まれてはならないといった制約はあると考えられているところでございます。
(2) 「法の番人として生きる――大森政輔 元内閣法制局長官回顧録」164頁には以下の記載があります。
宮内庁は(山中注:大嘗祭を)宮廷費で賄えるという面では公的性格があるんだという部分を捉えまして、大嘗祭以後は、宮内庁は天皇の行為を三分類ではなくて四分類にしてしまいました。国事行為、公的行為、そしてその他の行為に二種類あって、その経費を宮廷費で賄う公的性格を有するものと、全くそういう色彩のないまさに内廷費で賄うものです。前閣議口頭了解は、法制局としては、決して天皇の行為を四分類にしたつもりはなかったのですね。「その意味において」というところは、四分類ではなくて、金の出し方だけ、ということだったのですが、勝手読みをされて、少なくとも宮内庁においては四分類説がもう成立してしまっているのです。
(3) 参議院議員浜田聡君提出国葬、国葬儀、合同葬儀の違い等に関する質問に対する答弁書(令和4年8月15日付)には以下の記載があります。
① 日本国憲法第七条第十号に規定する儀式は、いずれも国の儀式として行われている。また、宮内庁法第二条第八号に規定する儀式については、そのうち日本国憲法第七条第十号に規定する儀式に該当するものが国の儀式として行われている。
② お尋ねの「内閣儀式等において、天皇が国事行為、公的行為又はその他の行為を行った事例」の意味するところが必ずしも明らかではないが、例えば、直近の内閣の行う行事である令和四年四月十八日に行われた第十六回みどりの式典への天皇陛下の御臨席等は、天皇の自然人としての事実行為のうち象徴としての地位に基づいて公的な立場で行われる公的行為に該当するものと考えている。
9 下級審裁判官が既存の最高裁判例に反する裁判をなす場合
(1) 「刑事実務と下級審判例」(著者は11期の小林充裁判官)が載ってある判例タイムズ588号の12頁及び13頁には以下の記載があります。
次に、特殊な場合として下級審裁判官が既存の最高裁判例(または大審院判例-裁判所法施行令5条参照)に反する裁判をなす場合につき若干考察しておく。
まず、それがまったく容認され得ないものでないことはいうまでもない。最高裁判所の拘束力の根拠は、当該事件に関する国の裁判所としてのあるべき法解釈の推測資料として、最高裁が同種事件についてなした法解釈が重要な意味をもつということにあった。すなわち、そこで重要なのは、最高裁判例それ自体ではなく、国家機関としてのあるべき法解釈ということにあるといわなければならない。ところで、法解釈は社会情勢の変化等に対応して不断に生成発展すべき性質をも有するものであり、最高裁判例も、常にあるべき法解釈を示すとは限らない。このことは、刑訴法410条2項において最高裁自体によって既存の最高裁判例が変更されることが予定されていることから明らかであろう。そして、下級審裁判官としては、あるべき法解釈が既存の最高裁判例と異なると信ずるときには、既存の最高裁判例と異なる裁判をなすことが容認されるといい得るのである。
ただ、あるべき法解釈というのが、既に述べたように、当該裁判官が個人的に正当であると信ずる法解釈ではなく、国の裁判所全体としてのあるべき法解釈、換言すれば、当該事件が最高裁判所に係属した場合に最高裁が下すであろう法解釈を意味するものであるとすれば、下級裁判所裁判官が右のように信じ得るのは、当該事件が最高裁に係属した場合に最高裁が従前の判例を変更し自己の採った法解釈を是認することが見込まれる場合ということにほかならない。そして、最高裁判例の変更が見込まれるということの判断がしかく容易にされるものではないことは明らかである。その意味では、下級審裁判官が最高裁の判例に従わないことは例外的にのみ許容されるといってよいであろう。下級審裁判官としてただ単に最高裁判例に納得できないということが直ちにこの判断と結びつくものではないことはもとより、最高裁判例に従わない所以を十分の説得力をもって論証できると考えるときも、そのことから直ちに右判例の変更が見込まれるということはできないであろう。下級審裁判官として、最高裁判例の変更が見込まれるかどうかの判断に当たっては、当該判例につき、最近に至るまで何回も同趣旨の判例が反復して出されているか古い時期に一度しか出ていないものであるか、大法廷の判例であるか小法廷の判例であるか、少数意見の有無およびその数の多少、同種の問題につき他の判例と調和を欠くものでないか、それが出された後これに反する下級審判決が現われているか等を、慎重に勘案すべきであろう。
(2) 35期の元裁判官である弁護士森脇淳一HPの「裁判官の身分保障について(3)」(平成31年2月21日付)には,「刑事実務と下級審判例」(著者は11期の小林充裁判官)は,裁判官国家機関説(一審の裁判官たるものは,高裁や最高裁がするであろう判断と異なる判断をしてはならないとする説)を裁判官全体に浸透させるのに大いに力があったという趣旨のことが書いてあります。
10 大嘗祭の合憲性に関する内閣答弁書及び内閣法制局の資料
(1) 衆議院議員小森龍邦君提出即位の礼、大嘗祭に関する質問に対する答弁書(平成2年11月20日付)は以下のとおりです。
一について
高御座は、歴史上、伝統的皇位継承儀式の中核であるいわゆる即位礼において用いられるのが常とされ、皇位と密接に結びついた、古式ゆかしい調度品として伝承されてきたという、文化的・伝統的な面を有しており、今回の即位礼正殿の儀に際し、高御座のこのような面に着目してこれを用いたものであるから、高御座の使用は、憲法上の天皇の地位をゆがめるものではないと考える。
二について
大嘗祭は、天皇陛下が、御即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからもお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穰などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穰などを祈念される儀式であると認識している。なお、御指摘のような記述のあることは承知しているが、それは当時の特殊事情によるものと考える。
三について
御指摘のいわゆる寝座は、皇祖がお休みになられるために見立てられた神座であると承知している。
四について
御指摘の采女は、天皇陛下が神饌を御親供になる際にお手伝いをすると承知している。
五について
大嘗祭の中核である大嘗宮の儀は、深夜、厳粛かつ静寂な中で、悠紀殿及び主基殿において、天皇陛下が皇祖及び天神地祇に安寧と五穀豊穰などを感謝し、祈念される儀式であり、儀式の性格上、その公開にはおのずから制約があるものと承知している。
(2) 内閣法制局の資料を以下のとおり掲載しています。
① 大嘗祭の合憲性に関する内閣法制局の国会用資料等
② 大嘗祭の合憲性に関する内閣法制局の国会答弁の抜粋
11 大嘗祭及び即位の礼に関する中坊公平日弁連会長の所信表明
中坊公平日弁連会長は,平成2年10月24日,「大嘗祭と即位の礼について」と題して,以下の所信を表明しました。
来る11月に挙行される「大嘗祭」と「即位の礼」について、日本弁護士連合会会長として、次のとおり所信を表明する。
現行憲法は、国民主権を基本原則とし、象徴天皇制と政教分離の原則を採用している。これは、大日本帝国憲法下の天皇主権、神格天皇の原理とは、基本的に異なることを意味している。
まず「大嘗祭」は、極めて宗教性の強い儀式であるので、国が関与し宮廷費を支出することは、その目的及び効果から見ても、現行憲法の政教分離の原則に抵触するものと言わざるを得ない。
そこで「大嘗祭」に国が関与し、宮廷費を支出することがないよう、政府に強く要望する。
また、「即位の礼」は、既に廃止された大日本帝国憲法下の「登極令」を踏襲することなく、国民主権、政教分離の原則に基づき、象徴天皇制にふさわしい儀式として挙行するよう期待する。
12 名古屋家裁裁判官に関する,平成31年3月13日付の産経新聞の報道
(1) 産経新聞HPの「昭和の日を「無責任の日」と批判 判事、過激派参加団体で活動も」(平成31年3月13日付)には以下の記載があります(ナンバリング及び改行を追加しました。)。
① 4月末の天皇陛下の譲位を前に、名古屋家裁の男性判事(55)が「反天皇制」をうたう団体の集会に参加していたことが12日、明らかになった。
判事は平成21年以降、少なくとも3つの団体で活動。反皇室、反国家、反権力などを掲げ、中には過激派活動家が参加する団体もあった。
② 「反天皇制運動連絡会」(反天連、東京)などが呼びかけた「代替わり」反対集会では、皇室を批判する激しい発言が繰り返される。
判事は昨年、こうした反天連による別の集会に複数回にわたって参加し、自らも「批判的に考察していきたい」などと発言していた。
③ 関係者によると、判事は津地家裁四日市支部勤務だった21年、広島県呉市で行われた反戦団体「ピースリンク広島・呉・岩国」(呉市)の集会に参加。実名でスピーチした。
その後、広島地家裁呉支部に異動し、同団体の活動に参加した。
④ 名古屋家裁に異動すると、反戦団体「不戦へのネットワーク」(名古屋市)に参加。会報に「夏祭起太郎」の名前で論考を寄稿した。
⑤ 産経新聞は今年2月、判事に複数回、直接取材を申し込んだが、いずれも無言で足早に立ち去った。
⑥ 名古屋家裁には昨年11月に判事の政治運動疑惑を伝え、見解を質問した結果、書面で「承知していない」「仮定の質問にはお答えできない」との回答があった。
今年2月に再度取材したが、家裁は判事に事情を聴くなどの調査をしたかについても明らかにせず、「お答えすることはない」とした。
(2) その余の詳細については,「柳本つとむ裁判官に関する情報,及び過去の分限裁判における最高裁判所大法廷決定の判示内容」を参照してください。
13 関連記事その他
(1) 天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ,天皇には民事裁判権が及びませんから,天皇を被告とする訴えは,訴状却下命令(民訴法137条2項)の対象となります(最高裁平成元年11月20日判決。ただし,第一審は訴え却下判決(民訴法140条)を出し,原審はこれを維持していました。)。
(2) 瓜生順良宮内庁次長は,昭和38年3月29日の衆議院内閣委員会において以下の答弁をしています。
こういう問題(山中注:名誉毀損の問題)は、親告罪でございまするから、(山中注:皇太子妃)御本人のお気持できまることでございまするが、われわれがまあ推察いたしますると、皇族という御身分の方が一般の国民を相手どって原告・被告で法廷で争われるというようなことは、これは事実問題としては考えさせられる点が非常に多いですから、まああまりないと思います。
(3) 以下の記事も参照してください。
・ 国葬儀