第1 最低賃金と比較する際の前提
1 最低賃金法の適用ではなく生活保障水準の比較であること
最低賃金法2条1号は,同法上の労働者を労働基準法9条に規定する労働者と定義し,最低賃金法4条1項は,使用者に最低賃金額以上の賃金を支払う義務を課している。他方,裁判所法67条の2第3項は,基本給付金を,司法修習生が修習期間中の生活を維持するために必要な費用として,修習専念義務その他の状況を勘案して定めるものとしている。修習給付金は国に対する労務提供の対価である賃金ではないため,最低賃金法が直接適用されるものではない。
最高裁昭和42年4月28日第二小法廷判決・昭和38年(オ)第5号・民集21巻3号759頁は,司法修習生が国家公務員等退職手当法上の職員に当たらないと判断し,司法修習生の法的地位は各法律の趣旨・目的に照らして判断すべきであるとした。ただし,同判決は最低賃金法上の労働者性を直接判断したものではない。本記事では,最低賃金を違法性の基準ではなく,修習給付金の生活保障水準を検討する政策上の指標として用いる。司法修習生の労働者性については,民間労働者と司法修習生との比較――労働者性,休暇,社会保険及び労働基本権(AIリライト)で詳しく整理している。
2 地域と時間数を固定しなければ月額を比較できないこと
地域別最低賃金は都道府県ごとに異なり,全国一律の月額最低賃金は存在しない。厚生労働省が示す月給制賃金の換算方法では,月給額を月間所定労働時間で除し,月ごとに所定労働時間が異なる場合は1年間の1か月平均所定労働時間を用いる。司法修習生には賃金計算の基礎となる所定労働時間がないため,本記事の月額・時給相当額は,仮定した時間数による政策比較であって法定額ではない。
司法研修所は埼玉県和光市にあるため,導入修習及び集合修習について埼玉県最低賃金を指標とすることには一定の合理性がある。他方,分野別実務修習の配属地は全国に及ぶため,制度全体を見るときは地域別最低賃金の全国加重平均額も併記する必要がある。
第2 修習給付金と現在の最低賃金・物価
1 基本給付金,住居給付金及び移転給付金
最高裁判所の第79期司法修習生向け案内によれば,基本給付金は1給付期間につき13万5000円である。住居給付金は1給付期間につき3万5000円であるが,自ら居住する住宅を借りて家賃を負担することなどの要件を満たす場合に限られるため,全司法修習生が一律に17万円を受け取るわけではない。移転給付金は,修習に伴う住所又は居所の移転が必要と認められる場合に路程に応じて支給されるものであり,毎月の生活費ではない。
基本給付金13万5000円及び住居給付金3万5000円は,平成29年11月に採用された第71期司法修習生から支給が始まって以降,据え置かれている。制度の沿革,給費制・貸与制との違い及び修習専念資金については,司法修習生の給費制,貸与制及び修習給付金(AIリライト)を参照されたい。
2 埼玉県最低賃金の推移
埼玉労働局の公表資料によれば,平成30年の埼玉県最低賃金898円は,同年10月1日に発効した。40時間×30日÷7日という従前の記事の仮定では月171.428時間となり,当時の最低賃金による月額は15万3943円,基本給付金の時給相当額は787.50円である。月間時間を先に171時間へ丸めれば789円となるが,計算過程を統一するため,本記事では丸める前の時間数を用いる。
現在の埼玉県最低賃金は,令和7年11月1日発効の1141円であり,平成30年の898円から約27.1%上昇した。令和8年度最低賃金は令和8年8月1日現在で審議中であるため,以下では現に効力を有する1141円を使用する。
3 仮定時間別の比較
| 比較仮定 | 埼玉県最低賃金1141円による月額 | 基本給付金13万5000円 | 基本給付金+住居給付金17万円 |
|---|---|---|---|
| 月160時間 | 18万2560円 | 時給相当843.75円・最低賃金月額の73.9% | 時給相当1062.50円・同93.1% |
| 週40時間の年平均(月173.33時間) | 約19万7773円 | 時給相当約778.85円・同68.3% | 時給相当約980.77円・同86.0% |
| 40時間×30日÷7日(月171.43時間) | 19万5600円 | 時給相当787.50円・同69.0% | 時給相当約991.67円・同86.9% |
月160時間という比較では,基本給付金は埼玉県最低賃金による月額の約73.9%であり,住居給付金の支給要件を満たす場合の合計額でも約93.1%である。ただし,この表は司法修習生の労働時間又は最低賃金法違反を示すものではなく,時間数を変えれば比率も変わる。
4 全国加重平均最低賃金及び消費者物価
厚生労働省の令和7年度地域別最低賃金改定状況によれば,全国加重平均額は1121円である。修習給付金制度が始まった平成29年度の848円から約32.2%上昇しており,月160時間なら17万9360円となる。
総務省統計局の消費者物価指数では,総合指数が平成29年平均98.6から令和7年平均111.9へ約13.5%上昇した。平成29年の13万5000円をこの指数だけで令和7年価格へ換算すると約15万3210円となり,住居給付金を含む17万円は約19万2931円となる。消費者物価指数だけで適正な給付額が決まるわけではないが,名目額の据置きによって給付金の実質的な購買力が低下したことは確認できる。
5 制度導入時の支給等一覧
次の画像は,法務省が作成した令和元年6月18日の参議院文教科学委員会答弁資料であり,給費制,貸与制及び第71期以降の修習給付金制度を比較したものである。基本給付金及び住居給付金の額は現在も同じであるが,画像中の「新制度(予定)」という表記は制度導入時のものである。

第3 税務及び社会保険を含めた比較
1 修習給付金は雑所得として扱われること
第79期司法修習生の修習給付金案内18頁(PDF22頁)によれば,基本給付金及び住居給付金は雑所得として所得税の確定申告及び住民税の課税対象となり,移転給付金は確定申告の対象外である。基本給付金及び住居給付金について源泉徴収は行われず,同案内は,必要経費として控除できる経費はないとしている。
大阪地裁令和4年12月22日判決・令和3年(行ウ)第48号は,基本給付金が所得税法9条1項15号の「学資に充てるため給付される金品」に当たらず,雑所得として課税されると判断した。大阪高裁令和5年7月26日判決・令和5年(行コ)第15号も第一審判決を維持し,最高裁令和5年12月22日第二小法廷決定により上告受理申立てが不受理となって確定した。第一審判決は,基本給付金の額が埼玉県最低賃金で週40時間働いた場合の収入より少ないという事情は,学資金該当性の判断を左右しないとも判示している。
2 給与所得との比較
給与には給与所得控除があり,多くの給与所得者は源泉徴収と年末調整によって所得税額が精算される。しかし,国税庁が案内する確定申告の要否のとおり,一定額を超える給与収入,複数の勤務先からの給与又は給与以外の所得などがある場合には,給与所得者でも確定申告が必要であるため,「給与所得であれば確定申告は不要」と一律に説明することはできない。
他方,修習給付金が雑所得に分類されることと,全ての司法修習生に所得税の納付額が生じることも同じではない。基礎控除その他の所得控除,他の所得及び個人の事情によって最終的な税額は異なるため,本記事では一律の手取り額を算定しない。制度上の主な相違は,給与所得控除がないこと,源泉徴収・年末調整による精算がないこと及び確定申告手続を自ら行う必要があることである。
3 健康保険及び年金
第79期司法修習生の修習給付金案内18頁(PDF22頁)は,司法修習生が裁判所共済組合の健康保険及び年金保険に加入できないと案内している。採用前の加入状況や扶養関係によって手続は異なるが,国民健康保険への加入及び国民年金第1号被保険者への変更が必要となる場合がある。最低賃金との政策比較では,給付額だけでなく,この保険料負担も可処分所得に影響する事情として区別して考える必要がある。
第4 技能実習生の賃金との比較
1 技能実習生は雇用契約に基づく労働者であること
技能実習法2条2項及び4項は,企業単独型及び団体監理型の技能実習を,雇用契約に基づいて業務に従事する制度として定義している。同法9条9号は,技能実習生の報酬額が日本人が従事する場合の報酬額と同等以上であることなどを技能実習計画の認定基準としており,技能実習生には最低賃金法その他の労働関係法令が適用される。技能実習生の給与は労務提供の対価であり,生活保障のための修習給付金とは法的性質が異なる。
2 令和6年外国人雇用実態調査の賃金
厚生労働省「令和6年外国人雇用実態調査の概況」9頁(PDF11頁)によれば,技能実習の在留資格を持つ一般労働者について,きまって支給する現金給与額は月額21万0000円,所定内給与額は月額17万7600円である。所定内実労働時間は月163.8時間,超過実労働時間は月21.6時間であり,昨年1年間の賞与・期末手当等特別給与額は3万9400円である。
同調査は令和6年9月30日現在の全国調査であり,有効回答率は事業所調査40.8%,労働者調査26.3%である。調査結果を全技能実習生の厳密な平均と断定することはできないが,平成21年度の民間団体調査による平均給与14万3000円よりも,調査時点,対象及び賃金項目が明確な最新の公的資料である。所定内給与額17万7600円は基本給付金13万5000円を4万2600円上回り,住居給付金を受ける場合の合計17万円も7600円下回るが,両者を同じ賃金制度として評価してはならない。
第5 給付額の据置きと見直しをめぐる議論
1 最高裁判所が国会で説明した据置きの理由
令和7年12月11日の衆議院法務委員会で,最高裁判所長官代理者は,基本給付金及び住居給付金は第71期から変更されていないと答弁した。その上で,給付額は法曹人材確保の趣旨,司法修習生の生活実態その他の事情を総合考慮して定められたものであり,その時々の物価水準に合わせて逐次変更することまでを想定したものではないと説明し,今後も関係機関と連携して諸般の状況を注視すると述べた。
この説明によれば,最低賃金又は消費者物価が上昇しても,給付額が自動的に改定される制度ではない。他方,裁判所法67条の2第3項は生活維持費,修習専念義務その他の状況を基本給付金額の考慮要素としているため,現在の生活実態に照らした水準の検討まで排除されるものではないと考えられる。
2 広島弁護士会の増額提言
広島弁護士会の令和7年10月9日会長声明は,全国加重平均最低賃金1121円を月160時間で換算した17万9360円などを踏まえ,基本給付金を取り急ぎ月額18万円とし,最終的には国家公務員総合職(院卒)の初任給と同様の水準まで引き上げるよう国に求めた。これは弁護士会による政策提言であり,法令上の最低基準又は裁判所の見解ではない。
最低賃金との比較から直ちに違法性又は唯一の適正額を導くことはできない。しかし,第71期からの名目額据置き,最低賃金の上昇,物価上昇,税務上の取扱い及び社会保険料負担は,生活保障水準を検討するための相互に異なる指標である。本記事では,これらを混同せず,地域,時点,時間数及び給付要件を明示して比較することが適切であると整理する。
第6 関連記事
① 司法修習生の給費制,貸与制及び修習給付金(AIリライト)――制度の沿革,現行の給付・貸与,課税訴訟及び谷間世代の問題を整理した記事
② 民間労働者と司法修習生との比較――労働者性,休暇,社会保険及び労働基本権(AIリライト)――司法修習生の労働者性及び最低賃金法との関係を整理した記事
③ 司法修習生の給費制と修習給付金制度との比較等――給費制当時の給与・手当と修習給付金制度を比較した資料記事
第7 出典
1 法令
③ 外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律2条及び9条(e-Gov法令検索)
2 裁判例
① 最高裁昭和42年4月28日第二小法廷判決・昭和38年(オ)第5号・退職手当金請求事件・民集21巻3号759頁
② 大阪地裁令和4年12月22日判決・令和3年(行ウ)第48号・所得税更正処分取消請求事件
③ 大阪高裁令和5年7月26日判決・令和5年(行コ)第15号・所得税更正処分取消請求控訴事件
④ 最高裁令和5年12月22日第二小法廷決定・所得税更正処分取消請求上告受理事件・不受理・国税庁税務訴訟資料第273号順号13915
3 公文書・統計
② 最高裁判所「修習給付金案内(第79期)」18頁(PDF22頁)
④ 埼玉労働局「埼玉県最低賃金が改正されます」平成30年9月3日公表
⑦ 厚生労働省「令和6年外国人雇用実態調査の概況」令和7年8月29日公表,8頁~9頁(PDF10頁~11頁)
⑧ 総務省統計局「2020年基準消費者物価指数 全国 2025年12月分及び2025年平均」令和8年1月23日公表,4頁(PDF4頁)
⑨ 衆議院「第219回国会法務委員会第7号」令和7年12月11日
⑩ 広島弁護士会「司法修習生に対する経済的支援の抜本的改善を求める会長声明」令和7年10月9日
4 文献
① 芦原一郎『実務家のための労働判例読本 2023年版』(経営書院,令和5年)224頁~226頁
② 木山泰嗣「司法修習生の基本給付金は『学資に充てるため給付される金品』にあたらず非課税ではないとされた事例」『税経通信』令和8年1月号115頁~122頁
③ 山脇康嗣『技能実習法の実務』(日本加除出版,平成29年)89頁,194頁