生年月日 S9.9.26
出身大学 東北大
退官時の年齢 65 歳
H11.9.26 定年退官
H8.11.7 ~ H11.9.25 仙台高裁秋田支部長
H5.4.1 ~ H8.11.6 仙台家裁判事
H1.4.1 ~ H5.3.31 盛岡地裁刑事部部総括
S60.4.1 ~ H1.3.31 仙台地家裁石巻支部長
S54.4.1 ~ S60.3.31 青森地裁刑事部部総括
S52.4.1 ~ S54.3.31 仙台高裁判事
S48.4.2 ~ S52.3.31 仙台家地裁判事
S46.4.14 ~ S48.4.1 東京家裁判事
S45.5.9 ~ S46.4.13 東京家裁判事補
S42.5.1 ~ S45.5.8 札幌地家裁室蘭支部判事補
S39.4.15 ~ S42.4.30 東京家地裁判事補
S36.4.14 ~ S39.4.14 宇都宮地家裁判事補
*1 「守柔 現代の護民官を志して」(日本評論社)71頁には以下の記載があります。
一二期の実務修習で、弁護、検察修習を終わって、刑事裁判の修習になったときに、病気が再発して、一年休むことになりました。右側肺結核で、昭和三四年六月に右肺の六分の一を切除する手術を受けました。昭和三五年四月に復帰して、刑事裁判修習を二回やりました。その頃、刑事裁判には興味を覚えていましたので、部総括の佐々木次雄判事に引き続き指導を受けました。
*2 「守柔 現代の護民官を志して」(日本評論社)201頁によれば,仙台地家裁石巻支部長になった時点で判事3号棒になったとのことです。
*3 東京経済大学学術機関リポジトリに,13期の守屋克彦裁判官が執筆した「青年法律家協会裁判官部会の消滅」が載っています。
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