生年月日 T13.10.31
出身大学 京大
退官時の年齢 65 歳
叙勲 H6年秋・勲二等瑞宝章
H1.10.31 定年退官
S59.2.1 ~ H1.10.30 東京高裁9民部総括
S57.4.1 ~ S59.1.31 和歌山地家裁所長
S55.11.2 ~ S57.3.31 福井地家裁所長
S53.1.20 ~ S55.11.1 東京高裁判事
S50.8.1 ~ S53.1.19 法務大臣官房司法法制調査部長
S48.10.1 ~ S50.7.31 法務大臣官房参事官
S47.4.10 ~ S48.9.30 東京地裁35民部総括
S46.4.1 ~ S47.4.9 東京地裁判事
S43.4.5 ~ S46.3.31 大阪高裁判事
S38.4.10 ~ S43.4.4 司研民裁教官
S37.4.8 ~ S38.4.9 東京地家裁判事
S35.4.1 ~ S37.4.7 東京地家裁判事補
S33.8.30 ~ S35.3.31 札幌地家裁判事補
S32.8.26 ~ S33.8.29 旭川地家裁判事補
S29.5.13 ~ S32.8.25 最高裁民事局付
S27.4.8 ~ S29.5.12 名古屋地家裁判事補
*1 以下の記事も参照してください。
・ 高裁の部総括判事の位置付け
・ 毎年6月開催の長官所長会同
・ 部の事務を総括する裁判官の名簿(昭和37年度以降)
・ 判事補の外部経験の概要
・ 判検交流に関する内閣等の答弁
・ 行政機関等への出向裁判官
・ 司法研修所民事裁判教官の名簿
*2の1 東弁リブラ2021年10月号の「朝日訴訟のお二人の裁判官の思い出」に以下の記載があります。
後期修習は19期9組に編入された。民事裁判教官は,研修所入所を決める際の面接官であった賀集唱教官であった。教官とは不思議なご縁があるらしく,実務についてからも,私の事件は何件も賀集裁判官の部に係属し,私はいつまでも生徒であった。後年教官がご逝去された後に,9組で教官の奥様をお招きして教官を偲ぶ会が催された。その際奥様から朝日訴訟の高裁判決の起草者が教官であることを初めて伺った。私は不勉強にも高裁判決を読んだことがなかった。奥様のお話では,夏の暑い盛りに,クーラーもない官舎で,山積みの裁判資料に埋もれて汗を流しながら根を詰めて取り組んでおられたという。そして,判決後,体調を崩されて長期入院し,当初は命も危うい状態であったという。朝日訴訟の高裁判決は,賀集裁判官が命をかけて書かれたものであった。
*2の2 東京高裁昭和38年11月4日判決(朝日訴訟控訴審判決)では,左陪席裁判官として関与しています(裁判所HPに最高裁大法廷昭和42年5月24日判決が載っています。)。
*3 「準備書面の書き方の工夫」には以下の記載があります(判例タイムズ321号(1975年7月25日号)26頁)
準備書面を書く場合の工夫であるが、この部分は追加であり、この部分は変更であり、そして繰り返しになっても再度強調したいところはこういう点であるという具合に、一つの準備書面の中でも、ねらいをはっきりさせて裁判官に訴えることが肝要である。そのためには、簡単な短い準備書面は別として、多少とも詳しい長い準備書面であれば、全文を幾つかの項目に分けて項目ごとに見出しを付けること、そして各項目の冒頭においてこれから展開しようとする内容を二、三行に要約すること、こうした試みが、準備書面を書く際の一つの工夫ではなかろうか。
新人弁護士にお勧めの文献。判タ321-26「準備書面の書き方の工夫」賀集判事。短くて古いけど、読むたびに原点に帰れる。
— Masahiro Ito/伊藤雅浩🍀 (@redipsjp) March 31, 2012