千葉庸子裁判官(7期)の経歴


生年月日 S3.7.5
出身大学 中央大
退官時の年齢 65 歳
叙勲 H10年秋・勲二等瑞宝章
H5.7.5 定年退官
H3.12.16 ~ H5.7.4 山口家裁所長
S58.4.1 ~ H3.12.15 横浜家裁少年第2部部総括
S54.4.1 ~ S58.3.31 静岡地裁2刑部総括
S48.11.17 ~ S54.3.31 横浜地家裁川崎支部判事
S46.4.1 ~ S48.11.16 浦和家地裁判事
S45.4.8 ~ S46.3.31 仙台家地裁判事
S42.5.1 ~ S45.4.7 仙台家地裁判事補
S39.4.10 ~ S42.4.30 横浜地家裁判事補(弁護士任官・横浜弁)

*1 以下の記事も参照してください。
・ 毎年6月開催の長官所長会同
・ 新任の地家裁所長等を対象とした実務協議会の資料
・ 部の事務を総括する裁判官の名簿(昭和37年度以降)
・ 地方裁判所支部及び家庭裁判所支部
・ 弁護士任官に対する賛成論及び反対論
・ 法曹一元
*2 法学セミナー1980年5月号12頁には,昭和53年1月16日から昭和54年11月12日まで横浜家裁所長をしていた,期前の三淵嘉子の発言として以下の記載があります。
-話が少し戻りますけど、裁判所の中で女性に刑事裁判は無理という考えがあったのはどんな理由でしたか。また実際にそういえましょうか。
「裁判所はフェミニストなのです。フェミニストは男女差別の基本でしょうが・・・。殺人とか婦女暴行の審理は女性には痛々しいというんでしょう。また合議で一緒に裁判する人たちも女性への心遣いからやりにくかろうということだったと思います。
    いまはそういう風潮はまったくありません。私の知る限りでもヤクザが多くて質の悪い刑事事件の多い川崎で、女性の刑事裁判感が一人でテキパキ処理されて男性顔負けでした。裁判は、結局は裁判官の個性ですからね。男性だから女性だからというより、裁判官個々の適格によるのです」。


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