勝見嘉美裁判官(3期)の経歴


生年月日 T11.9.29
出身大学 東大
退官時の年齢 64 歳
叙勲 H6年秋・勲一等瑞宝章
S62.5.28   依願退官
S61.1.17 ~ S62.5.27 名古屋高裁長官
S57.11.22 ~ S61.1.16 最高裁事務総長
S56.11.1 ~ S57.11.21 千葉地裁所長
S56.2.7 ~ S56.10.31 最高裁事務次長
S51.7.16 ~ S56.2.6 最高裁人事局長
S50.8.1 ~ S51.7.15 東京地裁17民部総括
S48.10.1 ~ S50.7.31 法務大臣官房司法法制調査部長
S46.4.15 ~ S48.9.30 法務大臣官房参事官
S44.2.13 ~ S46.4.14 最高裁経理局総務課長
S40.4.16 ~ S44.2.12 最高裁経理局主計課長
S38.8.20 ~ S40.4.15 最高裁行政局第三課長
S36.4.14 ~ S38.8.19 福岡地家裁判事
S35.4.1 ~ S36.4.13 福岡地家裁判事補
S30.6.16 ~ S35.3.31 最高裁行政局付
S26.4.14 ~ S30.6.15 甲府家地裁判事補

*1 後藤田正晴と矢口洪一の統率力(著者は御厨貴)156頁には,高輪1期の矢口洪一 元最高裁判所長官の発言として以下の記載があります。
    人事も長くなりましたから、もう替わらなければいけないと考えました。村上朝一長官(昭和43年11月~48年5月、最高裁判事。48年5月~51年5月、最高裁長官)に、「人事局長は、もうそろそろ勘弁してもらわなければ・・・」と申し上げました。「後任は誰にするか」と言われるから、二,三の名を挙げたんです。村上さんは「もっと明るい人がよい」と言われる。「ご自分も、明るくないくせに」と私は言ったんです。
(中略)
    村上長官(山中注:村上朝一最高裁判所長官)は三高の先輩でもありましたから、私は勝手なことを言っていましたけれどね。「じゃあ、もう一遍考えます。」と言った。そして、少し前まで法務大臣官房司法法制調査部長だった勝見嘉美君ならいいだろうと思い、「あれなら、どうですか」と言ったら、「どんな男か、一遍連れて来い」と言われる。それで、何か理屈をつけて、彼を長官室に呼んだのです。勝見君は朗らかな男でしたから、「あれなら、いい」と言われました。
*2 昭和62年7月1日から平成4年6月30日までの間,公害等調整委員会委員長をしていました。


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