閣議

1 総論
(1) 内閣は,行政権の行使について,全国民を代表する議員からなる国会に対し連帯して責任を負います(憲法66条3項,内閣法1条2項)。
(2) 内閣は,国会の指名に基づいて任命された首長たる内閣総理大臣及び内閣総理大臣により任命された国務大臣によって,組織されています(憲法66条1項,内閣法2条1項)。
(3)ア 閣議は,内閣総理大臣及び国務大臣により構成され,内閣官房副長官3人(うち,政務担当が2人,事務担当が1人)及び内閣法制局長官が陪席します。
イ 国務大臣は原則として14人である(内閣法2条2項本文)ものの,復興庁が廃止されるまでは,最大で19人です(内閣法附則3項)。
(4)ア 内閣は,閣議によって職権を行います(内閣法4条1項)。
イ 内閣総理大臣は,閣議にかけて決定した方針に基づいて,行政各部を指揮監督します(内閣法6条)し,行政各部の処分又は命令を中止させることができます(内閣法8条)。
ウ 内閣総理大臣は,少なくとも,内閣の明示の意思に反しない限り,行政各部に対し,随時,その所掌事務について一定の方向で処理するよう指導,助言等の指示を与える権限を有します(最高裁大法廷平成7年2月22日判決)。

2 閣議の運営
(1) 閣議は,内閣総理大臣が議長として主宰し(内閣法4条2項),内閣官房長官が議事進行を行います。
(2) 内閣官房副長官(政務担当)が閣議案件の内容を説明します。
(3) 内閣官房副長官(事務担当)及び内閣法制局長官が,閣議運営を補助し,必要に応じて行政・法令に関する補足説明を行います。
(4) 閣議案件の決裁(閣議書への署名)等が終わった後,閣僚懇談会が開催されます。

3 閣議の種類
(1) 閣議には以下のものがあります。
① 定例閣議
・ 毎週,火曜日及び金曜日に開催されるものです。
② 臨時閣議
・ 臨時に開催されるものです。
③ 持ち回り閣議
・ 内閣総務官が閣議書及び矢立(やたて)を持ち回り,それぞれの閣僚の署名を集めることによって閣議を成立させるものです。
(2) 定例閣議及び臨時閣議は,国会閉会中は総理大臣官邸閣議室で開催され,国会開会中は国会議事堂内の院内閣議室で開催されます。
(3) 首相官邸HPの「4階・5階」に以下の部屋の写真が載っています。
① 4階の閣僚応接室
・ 総理を中心に閣僚がコの字型に並んで座っている場面がテレビで放映されている部屋です。
② 4階の閣議室
・ 首相官邸の場合,閣僚応接室の奥にあります。
・ 以前の首相官邸の場合,閣議テーブルは楕円形でしたが,現在の首相官邸の場合,直径5.2メートルの閣議テーブルは円形です。
③ 4階の特別応接室
・ 首脳会談等の少人数の会議や,総理のお客様との応対等に利用されています。
④ 4階の大会議室
・ 正面の壁に取り込まれた「大型スクリーン」で画像情報を用いての会議が可能になっています。
(4) 首相官邸HPの「閣議室~官邸の二階にある大臣応接室と閣議室~」に,以前の首相官邸の閣議室が載っています。

4 閣議における意思決定
(1) 閣議における意思決定は,以下のいずれかの形式により行います。
① 閣議決定
・ 憲法又は法律により内閣の意思決定が必要とされる事項,及び法令上規定がない場合でも特に重要な事項について行われます。
② 閣議了解
・ 各府省所管に属する事項で他府省にも関係するなどその及ぼす影響にかんがみ,閣議において意思決定しておく必要のある事項について行われます。
③ 閣議口頭了解
・ 関係閣僚会議の設置や独立行政法人などの人事に関することなどで,閣議書を作成せず口頭で了解する事項について行われます。
・ 内閣官房HPの「各種本部・会議等の活動情報」に,関係閣僚会議等へのリンクが貼られています。
(2) 閣議の議決は,多数決の方式等を採用せず,全員一致によることとされています。
これは,「内閣は、行政権の行使について、全国民を代表する議員からなる国会に対し連帯して責任を負う」(内閣法第1条第2項)ことに基づくものです。
(3)ア 閣議決定及び閣議了解は,いずれも内閣の意思決定である点においてその効力に違いはありません。
イ 閣議報告は,各主管の大臣がそれぞれの所管事項について閣議に報告するものであり,内閣の意思決定ではありません。

5 法令上規定がない場合でも特に重要な事項
(1) 法令上規定がない場合でも特に重要な事項としては,以下のものがあります。
① 政府声明
② 内閣総理大臣談話
③ 国会における内閣総理大臣の演説案
④ 各府省の事務次官,局長等の内閣の承認を要する人事
(2) 政府声明の例は以下のとおりです。
・ 平成24年11月16日付の政府声明(衆議院の解散)
・ 平成26年11月20日付の政府声明(衆議院の解散)
・ 平成29年 9月28日付の政府声明(衆議院の解散)
(3) 内閣総理大臣談話の例は以下のとおりです。
・ 平成 7年 8月15日付の談話(いわゆる「戦後50年談話」)
・ 平成17年 8月15日付の談話(いわゆる「戦後60年談話」)
・ 平成27年 8月14日付の談話(いわゆる「戦後70年談話」)
・ 平成31年 4月 1日付の談話(新しい元号「令和」について)
(4) 国会における内閣総理大臣の演説としては以下のものがあります。
① 施政方針演説
・ 通常国会の冒頭で行います。
② 所信表明演説
・ 臨時国会及び特別国会の冒頭で行います。

6 開示対象の閣議関係資料
(1) 内閣官房に対する開示請求があった場合における,開示対象の閣議関係資料は以下のとおりです。
① 閣議案件表
② 閣議配布資料(閣議決定案(法律案等))
③ 閣議書(閣議決裁書)
④ 閣議発言要旨(あらかじめ提出のあった者)
⑤ 御署名原本(条約,法律,政令の公布等の際の御名・御璽の文書)
(2)ア 平成26年4月1日以降,閣議及び閣僚懇談会の議事録の作成及び公開が開始しました(内閣官房HPの「閣議等の議事録の作成及び公表について」参照)。
イ 首相官邸HPの「閣議」に,定例閣議案件,臨時閣議案件及び持ち周り閣議案件が載っています。

7 閣議書
(1) 首相官邸HPの「内閣制度と歴代内閣」に以下の記載があります。
閣議書に閣僚の意思を表わす花押を毛筆で書くことが内閣制度創始以来の慣習となっている。花押は、別名「書き判」とも言われ、その形が花文様に似ていることから「花押」と呼ばれている。広く使われている花押は、そもそも中国の明時代に流行した形が、江戸時代初期に伝えられたもので、先ず天と地の両線(上下の二線)を横に引き、この天地の中間に自分で考えた文字を簡単な形にして作成している。
(2) 以下の閣議書を掲載しています。
① 最高裁判所長官任命の閣議書
② 最高裁判所判事任命の閣議書
③ 衆議院解散の閣議書(平成29年9月28日付)

8 閣議の説明をしている公式HP
閣議の説明をしている公式HPは以下のとおりです。
① 首相官邸HPの「内閣制度と歴代内閣」
② 内閣官房HPの「閣議の概要について」,及び「閣議及び閣僚懇談会について」
③ 衆議院議員金田誠一君提出閣議に関する質問に対する答弁書(平成12年7月14日付)

9 閣僚懇談会
(1) 閣僚懇談会は、法令上の根拠はないが、通常、閣議に引き続いて行われ、各大臣がその所管に拘わらず国務大臣としての立場から、自由で忌憚のない意見交換を行う場であり、閣僚給与の一部返納のような申合せを除いては、原則として意思決定を目的としません。
(2) Wikipediaの「閣議(日本)」には以下の記載があります。
首相が入院したために、閣議を開催できない状態で首相臨時代理を指定しないまま定例閣議の時間を迎えた第1次安倍内閣末期の場合、定例閣議に代わる閣僚懇談会が閣議の議事進行役の内閣官房長官が主導する形で行われ、全閣僚が閣議書に署名した後で首相が入院先の病院で決裁する「持ち回り閣議」の手法をとっていた。

明治憲法時代の親任官,勅任官,控訴院及び検事局

1 親任官
(1) 明治憲法時代の親任官は大体,現在の認証官に大体,対応しています。
   ただし,司法関係の親任官ポストは,司法大臣,大審院長及び検事総長だけでした。
(2) 大審院長及び検事総長の定年は65歳でした。
ただし,判事の場合,控訴院又は大審院の総会決議により,検事の場合,司法大臣の決定により,さらに3年間在職することができました(裁判所構成法74条の2及び80条の2)。
(3) 皇室儀制令(大正15年10月21日皇室令第7号)29条に基づく宮中席次によれば,親任官である大審院長は第11ですから,第10の陸軍大将,海軍大将及び枢密顧問と,第12の貴族院議長及び衆議院議長の間でした。
2 勅任官
(1)ア  司法関係の勅任官ポストは,司法省の次官及び局長,大審院部長判事,控訴院長及び地裁所長,並びに控訴院検事長及び地裁検事正だけでした(外部HPの「主要戦前官吏官僚ポスト表」参照)。
   それぞれのポストの序列は,外部HPの「大正・昭和戦前期における幹部裁判官のキャリアパス分析」が分かりやすいです。
イ 狭義の勅任官は高等官1等及び高等官2等の総称であり,広義の勅任官はこれらに親任官を含んだ総称でした。
ウ 狭義の勅任官は現在の指定職に大体,対応しています。
(2) 大審院長以外の裁判官,及び検事総長以外の検事の定年は63歳でしたが,判事の場合,控訴院又は大審院の総会決議により,検事の場合,司法大臣の決定により,さらに3年間在職することができました(裁判所構成法74条の及び80条の2)。
(3)ア 日本の歴史学講座HP「主要戦前官吏官僚ポスト」によれば,大審院部長判事は高等官1等又は高等官2等であり,大審院判事は高等官1等ないし高等官7等でした。ただし,大審院判事の等級に開きがありすぎる気がしますから,正しいかどうか不明です。
イ 高等官3等ないし高等官9等の総称は奏任官でした。

3 控訴院
(1) 控訴院は,現在の高等裁判所に相当する裁判所です。
(2) 函館控訴院ノ移転ニ関スル法律(大正10年4月8日法律第51号)及び大正10年12月6日勅令453号に基づき,大正10年12月15日,函館控訴院が札幌控訴院となりました。
(3) 昭和20年8月1日公布の勅令第443号に基づき,昭和20年8月15日,長崎控訴院が福岡控訴院となり,高松控訴院(昭和21年1月10日廃止)が設置されました(高松控訴院につき,高松高検HPの「高松高等検察庁の沿革」参照)。

4 検事局
(1) 明治憲法時代は大審院以下の各裁判所に対応して,大審院検事局,控訴院検事局,地方裁判所検事局及び区裁判所検事局が付置されていました(裁判所構成法6条参照)。

(2)   裁判所と検事局が分化していませんでしたから,戦後でいう判検交流は普通に行われていた人事でした。

5 参考となるHP
(1) 親任官,勅任官及び奏任官の区別につき,日本近現代史研究HP「官僚について」が参考になります。
(2) 国立国会図書館HPの「レファレンス」につき,平成31年2月号に「アメリカが見た明治憲法体制の進化と後退―政党内閣期から2.26事件まで―」が載っています。
(3) 「司法官採用に関する戦前の制度」も参照してください。

軍用地投資

1 軍用地投資
(1) 軍用地とは,米軍基地や自衛隊基地の底地のことです。
(2)ア 沖縄県の軍用地の場合,年間借地料×倍率で計算されます。
倍率は,軍用地ごとに異なる係数のようなものであり,通常は30倍から40倍であるものの,返還の見込みが少ない軍用地ほど倍率は高くなるのであって,例えば,陸上自衛隊那覇駐屯地は44倍,嘉手納飛行場は44~46倍,航空自衛隊那覇基地は46倍だそうです(トラベラーズマップHP「沖縄の軍用地を購入する前に知っておきたいこと」(平成29年9月8日の記事)参照)。
イ 開南コーポレーションHP「軍用地の一覧」に,価格,倍率,年間借地料及び土地面積の実例が載っています。
(3) 沖縄県の軍用地を売買する場合,軍用地料(年間借地料)が記載されている土地賃借料算定調書,登記簿謄本及び地図(航空写真+地積併合図)を確認する必要があるものの,現地の確認は不要です(カミヤプロデュースHP「軍用地購入の流れ」参照)。
(4) 軍用地の場合,購入価格の3分の1から4分の1が相続税評価額となっていますし,嘉手納飛行場,航空自衛隊那覇基地及び那覇空港の場合,年間借地料の40倍が銀行の担保評価になっているみたいです(RETAX HP「【相続税対策】軍用地投資による究極の節税方法」参照)。
(5) 軍用地の相続税評価額は以下の方法で計算されます(税理士事務所おき会計HP「軍用地の評価方法について教えてください。」参照)。
① 固定資産税評価証明書に記載の固定資産税評価額を入手する。
② 「登記簿」の地目に対応する「公用地の評価倍率表」から該当する倍率を探す。
・ 公用地の評価倍率表は,沖縄県の財産評価基準書に載っています。
③ 固定資産税評価額×倍率×(1-40%(※1))=相続税評価額
(※1)原則として,地上権で「存続期間の定めのないもの」の割合40%を使用します。(相続税法23条)
(6) 軍用地のデメリットは,①購入チャンスが滅多にないこと,及び②土地を自由に使うことができないことの2点だけみたいです(税理士相談Cafe HP「軍用地のメリットと相続税評価額の計算方法」参照)。
(7) 一般社団法人沖縄県軍用地等地主会連合会(土地連)HP「軍用地に係る税務について-所得税と相続税,贈与税への対策に関する説明会-」(平成29年9月作成)が載っています。
(8) 沖縄防衛局HPに載ってある,沖縄防衛局広報誌「はいさい」の平成22年度発行分に,「駐留軍用地特措法の手続き」及び「駐留軍施設の用地買収」が載っています。
(9) 沖縄防衛局の駐留軍年度別購入実績表(平成20年度ないし平成29年度)を掲載しています。

2 軍用地投資入門
(1) ビジネスブックマラソンHP「『「軍用地投資」入門』里中一人・著 vol.5015」によれば,軍用地投資には以下のメリットがあるそうです(譲渡所得税の5000万円控除は租税特別措置法33条の4第1項1号に基づきます。)。
・ 超ローリスクで年利3%
・ 日本政府が借り主(家賃の滞納リスクなし)
・ 土地だけなので減価しない
・ 景気に左右されない
・ 流動性が高く、換金しやすい
・ 通常の民間地と比べて固定資産税が低い
・ 国に売却できる(譲渡所得税控除で5000万円まで非課税)
・ 現地調査も測量も必要ない(そもそも基地に入れない)
・ 軍用地料は今後もゆるやかに上昇する見込み
(2)ア 「軍用地投資」入門は,現職の沖縄防衛局職員によって平成30年4月22日に発売されたところ,その2日後,職場に出版が発覚し,著者は,別室に軟禁状態となり,出版の差し止め,全冊回収を命令されたみたいですお金持ちはこっそり始めている 本当は教えたくない「軍用地投資」入門ブログ「再復活しました。①」(平成30年6月9日の記事)参照)。
イ 平成30年6月8日の沖縄防衛局長による懲戒処分(停職20日)関係文書(手続文書)を掲載しています。
(3) 「軍用地投資」入門の主な内容について(沖縄防衛局が作成したもの)によれば,軍用地投資入門の主な内容は以下のとおりです。
ア 軍用地投資を始めよう
・ 軍用地の借主は、国で収入が安定。滞納リスクなし。
・ 借地料は毎年値上がり、景気に左右されにくい。
・ 軍用地投資の利回りは、平均2.33%。
・ 通常の民有地と比べて軍用地は、固定資産税が安い。
・ 軍用地を国へ売却する際は、5千万円まで不課税。
イ 軍用地の基本を押さえる
・ 一般の地価動向と関係なく、軍用地料は年々増加傾向にある。
・ 軍用地料は、毎年、国と地元の土地連との交渉で決まる。
・ 軍用地投資の一番のリスクは、基地の返還。
・ バブル崩壊以後、相続税を支払えない地主が軍用地を手放すケースが増え、軍用地投資が活発になってきた。
ウ 軍用地投資はメリットだらけの投資法
・ 不動産投資には、主に①自然災害、②すぐに現金化ができない、③空室、④老朽化というリスクがあるが、軍用地投資はこれらのリスクが極めて低い。
・ 軍用地は国が借り主であり、なおかつ、米軍が管理しているので、自然災害リスクは無視でき、継続的かつ半永久的に投資資金を回収できる。
・ 軍用地は不動産のわりに換金性が高く、最短一週間で売却が可能。
エ 軍用地の地主になるまでの流れを知る
・ 軍用地は、一般の地主が悩む「借地人との人間関係」「地代の滞納」「安い地代の割に高い税金問題」などがほとんどなく、管理が簡単。
・ 軍用地料の単価上昇度を考慮すれば、「自衛隊基地」よりも「米軍基地」の方が有利。
・ 単価が低く、なおかつ上昇しやすい「宅地見込み地」がねらい目。
・ 「軍用地」の返還はリスクだが、その場合は給付金制度があり、跡地利用・で資産価値が上昇することもある。
オ 軍用地投資を始めるなら、ここに注意
・ 契約前に確認すべきは、土地賃借料算定調書、登記簿謄本、航空写真の3セット。
・ 地主会のメリットは、①軍用地料が早く支払われる。②低利な共済融資制度を活用できる。ただし、年会費はバカにならない。

3 「在日米軍基地」も参照してください。

在日米軍基地

第1 総論
1 ポツダム宣言,旧日米安保条約及び日米安保条約
(1) ポツダム宣言

ア   1945年7月26日に発表され,同年8月14日に日本が受諾を通告したポツダム宣言12項は,「前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ」と定めていました(当時の公式の日本語訳による全文につき国立国会図書館HPの「ポツダム宣言」,非公式の現代語訳による全文につき外部HPの「ポツダム宣言条文 全訳」参照)。
イ 最高裁大法廷昭和28年4月8日判決は,以下の判示をしています(ナンバリングを追加しました。)。
① 連合国の管理下にあつた当時にあつては、日本国の統治の権限は、一般には憲法によつて行われているが、連合国最高司令官が降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる関係においては、その権力によつて制限を受ける法律状態におかれているものと言わねばならぬ。すなわち、連合国最高司令官は、降伏条項を実施するためには、日本国憲法にかかわりなく法律上全く自由に自ら適当と認める措置をとり、日本官庁の職員に対し指令を発してこれを遵守実施せしめることを得るのである。
② かかる基本関係に基き前記勅令第五四二号、すなわち「政府ハポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ聯合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為、特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ為シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得」といふ緊急勅令が、降伏文書調印後間もなき昭和二〇年九月二〇日に制定された。この勅令は前記基本関係に基き、連合国最高司令官の為す要求に係る事項を実施する必要上制定されたものであるから、
日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的效力を有するものと認めなければならない。
ウ 最高裁大法廷昭和35年4月18日決定レッドパージに関する裁判例です。)は,以下の判示をしています。
   平和条約発効前においては、わが国の国家機関及び国民は、連合国最高司令官の発する一切の命令指示に誠実且つ迅速に服従する義務を有し(昭和二〇年九月二日降伏文書五項、同日連合国最高司令官指令一号一二項)、わが国の法令は右指示に牴触する限りにおいてその適用を排除されるものであることは、当法廷の判例とするところである昭和二六年(ク)一一四号、同二七年四月二日大法廷決定、民集六巻四号三八七頁参照)。
(2) 日本国との平和条約及び旧日米安保条約
ア   日本国との平和条約
昭和26年9月8日にサンフランシスコ講和会議で署名された日本国との平和条約の関係条文は以下のとおりであり,昭和27年4月28日に発効しました。
3条
   日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。
6条(a)項
   連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。
イ 旧日米安保条約及び日米行政協定
(ア)   日本国との平和条約6条(a)項を受けて,昭和26年9月8日に署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(いわゆる旧日米安保条約です。)の関係条文は以下のとおりであり,昭和27年4月28日に発効しました。
1条
   平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じようを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。 
3条
   アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその附近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する。
(イ) 旧日米安保条約3条に基づき,昭和27年2月28日,日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(いわゆる「日米行政協定」です。)が東京で締結されました。
その結果,在日米軍の駐留が継続することとなりました。
(ウ) 旧日米安保条約では,アメリカは日本防衛義務を負っていませんでした。
(3) 日米安保条約及び日米地位協定
ア 日米安保条約
(ア) 昭和35年1月19日にワシントンDCで署名された日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(現在の日米安保条約です。)は昭和35年6月19日に国会承認が自然成立し(憲法61条・60条2項),同月21日に批准され,同月23日に批准書の交換により発効しました(日米安保条約8条)(同日,岸信介首相が辞意を表明しました。)ところ,その関係条文は以下のとおりです。
1条
締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。
   締約国は、他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に遂行されるように国際連合を強化することに努力する。

5条
 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
   前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。
6条
 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
  前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。
(イ) 外務省HPの「日米安全保障条約(主要規定の解説)」に,日米安保条約の解説が載っています。
(ウ) 平成29年8月17日発表の日米安全保障協議委員会共同発表(仮訳)には,「日米安全保障条約第5条が尖閣諸島に適用されること,また,日米両国は,同諸島に対する日本の施政を損なおうとするいかなる一方的な行動にも反対することを再確認した。」と書いてあります。
また,尖閣諸島に関する日本政府の主張は外務省HPの「尖閣諸島」に書いてあります。
イ 日米地位協定

(ア) 日米安保条約と同じ日に署名された,日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(略称は「日米地位協定」です。)(昭和35年6月23日発効)2条1項(a)前段は「合衆国は、相互協力及び安全保障条約第六条の規定に基づき、日本国内の施設及び区域の使用を許される。個個の施設及び区域に関する協定は、第二十五条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければならない。」と定め,同条3項は「合衆国軍隊が使用する施設及び区域は、この協定の目的のため必要でなくなつたときは、いつでも、日本国に返還しなければならない。合衆国は、施設及び区域の必要性を前記の返還を目的としてたえず検討することに同意する。」と定めています。
(イ) 日米地位協定に関しては,日米地位協定各条及び環境補足協定に関する日米合同委員会合意刑事裁判手続きに関する運用の改善(日米地位協定17条参照),環境に関する改善の措置が取られていますが,条文の文言自体は全く変更されていません。

2 刑事特別法
(1) 在日米軍に対する犯罪行為は,日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法(昭和27年5月7日法律第138号)(いわゆる「刑事特別法」です。)によって処罰されます。
(2)ア 在日米軍基地に無断で立ち入った場合,刑事特別法2条本文に基づき,1年以下の懲役又は2000円以下の罰金若しくは科料に処せられます。
イ 昭和32年7月8日,在日米軍立川基地の拡張工事に関して,北多摩郡砂川町(現在の立川市の北半分です。)で,基地拡張に反対するデモ隊の一部が在日米軍基地の立ち入り禁止の教会策を壊し,基地内に数メートル立ち入ったとして,デモ隊のうちの7人が刑事特別法2条違反で起訴されるという砂川事件が発生しました。
東京地裁昭和34年3月30日判決(いわゆる「伊達判決」です。)は7人の被告人全員を無罪としたものの,
最高裁大法廷昭和34年12月16日判決は,統治行為論に基づき原判決である伊達判決を破棄して差戻しとしました(外部HPの「『砂川事件』をマンガで解説。アメリカ軍駐留と日米安保条約は憲法違反になるの?」参照)。
ウ 昭和38年5月1日,北多摩郡砂川町が立川市に編入されました。

3 日米安全保障協議委員会及び日米合同委員会
(1)ア 日米安全保障協議委員会(略称は「SCC」です。)は日米安保条約4条などを根拠とし,昭和35年1月19日付の内閣総理大臣及び米国国務長官との往復書簡に基づいて設置されており,日米両政府間の理解の促進に役立ち,及び安全保障の分野における協力関係の強化に貢献するような問題で安全保障の基盤をなし,かつ,これに関連するものについて検討しており,日米防衛協力のための指針(平成27年4月27日付)等を決定しています。
出席対象者は,日本側が外務大臣及び防衛大臣であり,アメリカ側は国務長官及び国防長官です。ただし,平成2年12月28日以前のアメリカ側出席者は駐日米国大使及び太平洋軍司令官でした(平成25年度防衛白書「第3章 日米安全保障体制の強化」参照)。
イ   出席対象者に着目して,2+2(ツー・プラス・ツー)ともいいます。
(2)ア 日米合同委員会は日米地位協定25条を根拠とし,日米地位協定の実施に関して協議しています。
日本側出席者は外務省北米局長,防衛省地方協力局長等であり,アメリカ側の出席者は在日米軍副司令官,在日アメリカ大使館公使等です(平成25年度防衛白書「第3章 日米安全保障体制の強化」参照)。
イ   日米合同委員会の組織図は外務省HPの「日米合同委員会組織図」のとおりです。

4 返還された米軍基地の跡地利用
(1) 「米軍提供財産の返還後の利用に関する基本方針について」(昭和51年6月21日付の国有財産中央審議会答申)(いわゆる「三分割答申」です。)は,利用区分に関する統一的な処理基準として,地元地方公共団体等が利用するA地区,国・政府関係機関等が利用するB地区及び当分の間処分を留保するC地区に3等分すべきとしました。
(2) 「大口返還財産の留保地の取扱いについて」(昭和62年6月12日付の国有財産中央審議会答申)(いわゆる「留保地答申」です。)では,以下のような留保地の取扱いについての基本的な考え方が示されました。
留保地については、「①大都市圏に残された数少ないまとまった国有地であり、今後再びこのような土地が得られることは期待できないため、長期的観点からその有効活用を考える必要があること、②当審議会が答申した処理計画に従い、留保地以外の地区において各種施設等の整備が行われ、また今後も整備が進められる見込みであり、それによって都市環境の改善及び防災性の向上が図られると考えられること、から引き続きできる限りこれを留保しておくことが望ましい」とされる一方、「留保地の利用要望がある場合は個別に検討し、必要性及び緊急性があると認められるものについては、留保地を利用することもやむを得ない」、「留保地は公用・公共用の用途に充てる」場合に例外的に利用が認められることとされた。(以下「原則留保、例外公用・公共用利用」という。)
(3) 財政制度等審議会国有財産分科会不動産部会は,平成15年4月,東京都立川市及び昭島市に所在する立川飛行場跡地及び埼玉県朝霞市等に所在するキャンプ朝霞跡地の留保地について現地視察を実施しました(「大口返還財産の留保地の今後の取扱いについて」(平成15年6月24日付の財政制度等審議会の答申) 「第2 現地視察結果」参照)。
(4)ア 「大口返還財産の留保地の今後の取扱いについて」(平成15年6月24日付の財政制度等審議会の答申)別紙によれば,大口返還財産の内訳は以下のとおりです。
① 横浜海浜住宅地区(33ha):昭和57年3月31日返還
② 立川飛行場(460ha):昭和51年5月31日及び昭和52年11月30日返還
→ 跡地の一部に東京地家裁立川支部があります。
③ キャンプ朝霞(302ha):昭和46年11月10日~昭和61年2月14日返還
→ 跡地の一部に司法研修所があります。
④ 大和空軍施設(34ha):昭和48年6月30日返還
⑤ ジョンソン飛行場住宅地区(168ha):昭和33年7月25日~昭和53年9月1日返還
⑥ 府中空軍施設(59ha):昭和48年4月12日~昭和61年3月31日返還
⑦ キャンプ淵野辺(66ha):昭和49年11月30日返還
⑧ 水戸対地射爆撃場(1182ha):昭和48年3月15日返還
⑨ 柏通信所(152ha):昭和52年9月30日及び昭和54年8月14日返還
⑩ 関東村住宅地区(62ha):昭和47年3月31日~昭和49年12月10日返還
⑪ 北富士演習場(214ha):昭和48年5月19日返還
イ 「大口返還財産の留保地の今後の取扱いについて」(平成15年6月24日付の財政制度等審議会の答申)の「第4 終わりに」には以下の記載があります。
   当審議会は、今回、留保地の今後の取扱いについての答申書をとりまとめ、これまでの「原則留保、例外公用・公共用利用」の基本的考え方を、「原則利用、計画的有効活用」の基本方針に転換し、新しい発想の下で地域の実情に則した計画的な有効活用の促進を図るとともに、留保地の活用に向けた具体策として、利用計画の策定、関係地方公共団体に対する支援措置、民間に対する処分等及び国による暫定的利用の拡大について提言を行った。
   今後、本答申に基づき、国と関係地方公共団体が、それぞれの責任の下で、民間の発想をも活用しながら、留保地の利用計画の策定及びその具体化に真摯に取り組み、都市部に残された最後の広大な留保地を我が国の構造改革に資する都市再生、経済活性化等の起爆剤として、有効に活用することを期待するものである。
(5) 財務省大臣官房地方課が平成21年6月に作成した財務省財務局六十年史の「第3章 管財編」の「第4節 普通財産事務」の「5.大口返還財産の利用」に,平成20年6月現在の,11の大口返還財産(合計面積は27.3平方キロメートル)について,留保地等の利用計画策定状況及び跡地別処理状況一覧が載っています。

5 その他の在日米軍基地
(1) 昭和27年の平和条約発効前,米軍基地は2824件,合計1353平方キロメートルに及んでいたらしいです(防衛省防衛研究所の戦史研究年報第11号(2008年3月)「「関東計画」の成り立ちについて」6頁参照)。
(2) 主な在日米軍基地は以下のとおりです(Wikipediaの「在日米軍」参照)。
① 三沢飛行場(青森県三沢市)
② 横田飛行場(東京都福生市,瑞穂町,武蔵村山市,羽村市,立川市及び昭島市)
③ 横須賀海軍施設(神奈川県横須賀市)
④ 厚木海軍飛行場(神奈川県綾瀬市,大和市等)
⑤ 岩国飛行場(山口県岩国市)
⑥ 佐世保基地(長崎県佐世保市)
⑦ 嘉手納飛行場(沖縄県中頭郡嘉手納町,沖縄市,中頭郡北谷町)
⑧ 普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)
(3) 在日米軍基地については,Wikipediaの「都道府県別の全ての米軍施設規模と都道府県別の米軍施設」が一番詳しいです。
(4) 以下のHPが参考になります。
① 青森県三沢市HPの「三沢基地の概要」
② 東京都都市整備局HPの「都内の米軍基地」
③ 神奈川県HPの「県内米軍基地一覧表」
④ 山口県HPの「米軍岩国基地の概要」
⑤ 長崎県HPの「米軍佐世保基地」
⑥ 沖縄県HPの「沖縄の米軍基地」

6 2001年のアフガニスタン攻撃では集団的自衛権が発動されたこと
(1) 1949年4月4日に作成された北大西洋条約5条は「締約国は、ヨーロッパ又は北アメリカにおける一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。したがつて、締約国は、そのような武力攻撃が行われたときは、各締約国が、国際連合憲章第五十一条の規定によつて認められている個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力の使用を含む。)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する。」という集団防衛条項を定めています。
(2)   アメリカ同時多発テロ事件の翌日である2001年9月12日採択の安保理決議1368(外務省HPの「安保理決議1368(訳文)」参照),同月28日採択の安保理決議1373(国際連合広報センターHPの「決議1373(2001)」参照)等で集団的自衛権が言及され,集団的自衛権は同年10月7日開始の,アメリカ及びイギリスを始めとした有志連合諸国によるアフガニスタン攻撃の根拠とされました。
また,2001年のアフガニスタン攻撃は,北大西洋条約5条に基づく集団的自衛権が発動された最初の事例となりました。
(3) 平成13年12月から平成19年11月1日までの間はテロ対策特別措置法(平成13年11月2日法律第113号)に基づき,平成20年1月16日から平成22年1月15日までの間は新テロ対策特別措置法(平成20年1月16日法律第1号)(別称は「補給支援特別措置法」です。)に基づき,海上自衛隊がインド洋において補給支援活動等を行いました(外務省HPの「補給支援活動~「テロとの闘い」」「補給支援を通じた「テロとの闘い」への我が国の貢献 補給支援特別措置法」等参照)。
(4)  アメリカ同時多発テロ事件以降の,日本の国際テロ対策協力は,外務省HPの「国連及びG8におけるグローバルなテロ対策協力」に載っています。

7 沖縄返還協定及び沖縄返還密約
(1) 沖縄返還協定
ア 沖縄返還協定3条1項は「日本国は、1960年1月19日にワシントンで署名された日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約及びこれに関連する取極に従い、この協定の効力発生の日に、アメリカ合衆国に対し琉球諸島及び大東諸島における施設及び区域の使用を許す。 」と定めています。
イ 沖縄返還協定3条に関連し,昭和46年6月17日付愛知外務大臣とマイヤー大使との間の了解覚書は,(A)復帰の日から米軍に提供する用意のある施設・区域(88カ所),(B)復帰後日本側に返還されることとなる施設・区域(12ヵ所)および(C)米国政府が現に使用している基地で復帰の際またはその前にその全部または一部が使用解除されるもの(34ヵ所)のリストを掲げています(外務省HPの「わが外交の近況(昭和47年版)」「第3節 北米地域」参照)。
(2) 沖縄返還密約
ア 沖縄返還協定においてアメリカが支払うことになっていた,地権者に対する原状回復費用400万ドルを,実際には日本政府が肩代わりしてアメリカに支払うという沖縄返還密約は,昭和47年3月27日,衆議院予算委員会で暴露され,同年4月4日,外務省の機密電文を漏らした女性の外務事務官及び毎日新聞の西山太吉記者が逮捕され,同月15日に起訴されました(「外務省機密伝聞漏洩事件」といわれる事件です。)。
西山記者は,最高裁昭和53年5月31日決定(国家公務員法100条1項の「秘密」の意義等について判示しました。)により,懲役4月執行猶予1年の有罪判決が確定しました。
イ 平成12年5月,アメリカ国立公文書記録管理局で,25年間の秘密指定が解かれた公文書類の中に,密約を裏付ける文書が発見され,そこには,西山太吉記者がスクープした400万ドル以外に日本がアメリカに1億8700万ドルを提供する密約が記されていました。
このことに関して,西山太吉記者は平成17年4月に国家賠償請求訴訟を提起したものの,平成20年9月2日,最高裁で上告棄却となりました。
ウ 平成20年9月7日,沖縄返還に関する密約文書について情報公開請求が出され,同年10月2日,対象文書の不存在を理由に不開示決定となりました。
平成22年3月9日,外務省の「密約」問題に関する有識者委員会による報告書(①安保条約改定時の核持込みに関する「密約」,②安保条約改定時の朝鮮有事の際の戦闘作戦行動に関する「密約」,③沖縄返還時の有事の際の核持ち込みについての「密約」及び④沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」)が公表されました(外務省HPの「いわゆる「密約」問題に関する調査結果」参照)。
最高裁平成26年7月14日判決は,沖縄返還に関する密約文書について,対象文書について不存在を理由とする不開示決定を維持しました。

8 その他
(1)   日米安全保障体制については,外務省HPの「日米安全保障体制について」及び防衛省HPの「日米安全保障体制」が参考になります。
(2)   日米安保条約日米地位協定,日米防衛協力のための指針等は,外務省HPの「資料コーナー」に載っています。
(3) 沖縄返還協定及びその付属文書は,データベース「世界と日本」「日米関係資料集1971-1980」に載っています。
(4) ①ソ連侵攻を念頭に昭和53年11月27日に策定された「日米防衛協力のための指針」,②朝鮮半島有事を想定して平成9年9月23日に改定された「日米防衛協力のための指針」,及び③平成27年4月27日に改定された「日米防衛協力のための指針」は,防衛省HPの「日米防衛協力のための指針」に載っています。
(5) 内閣官房国民保護ポータルサイトの「武力攻撃事態の類型ごとの特徴」によれば,①着上陸侵攻の場合,②弾道ミサイル攻撃の場合,③ゲリラ・特殊部隊による攻撃の場合,及び④航空攻撃の場合が想定されています。
また,「有事関連法制に関する政府の取り組み」には,平成15年成立の事態対処法,平成16年成立の国民保護法等の解説が載っています。
(6) 首相官邸HPの「なぜ・いま 平和安全法制か?」には,平成28年3月29日施行の平和安全法制の解説が載っています。

第2 各論(司法研修所関係,東京地家裁立川支部関係及び沖縄関係)
1 司法研修所関係
(1) 在日米軍の旧キャンプ朝霞
ア 昭和20年9月の米軍進駐以降,現在の埼玉県和光市,同県朝霞市(あさかし),同県新座市(にいざし)及び東京都練馬区(ねりまく)にまたがる地域に,在日米軍のキャンプ朝霞(別名は「キャンプ・ドレイク」です。)が形成されるようになりました。
イ キャンプ朝霞は,国道254号線より北の部分であるキャンプ朝霞北地区(別名は「キャンプ・ノース」です。),及び国道254号線より南の部分であるキャンプ朝霞南地区(別名は「キャンプ・サウス」です。)からなりました。
キャンプ朝霞北地区は昭和61年2月14日までにすべてが返還され,キャンプ朝霞南地区は,昭和53年7月10日までに,AFN送信所(AFNアンテナが設置されている敷地)を除いて返還されました。
ウ Wikipediaの「キャンプ・ドレイク」「Camp Drake 全体の概要図 昭和49年撮影の航空写真より」を見れば,キャンプ朝霞の全体像が分かります。
(2) 旧キャンプ朝霞の北地区及び南地区の現状
ア 旧キャンプ朝霞北地区の現状
・   旧キャンプ朝霞北地区の現状については,朝霞市HPの「朝霞市の基地跡地利用」(リンク先の写真は,北方向が右側になっています。)が参考になります。
朝霞中央公園,青葉台公園,朝霞第一中学校,都市開発用地,朝霞西高等学校,朝霞保健所等になっています。
・ 平成21年3月,国は,北地区の跡地の一部(3ha)で国家公務員宿舎の建設事業に着手することを決定しました。
しかし,財務省は,平成23年12月1日付の国家公務員宿舎の削減計画(財務省HPの「国家公務員宿舎の削減のあり方についての検討会」に載っています。)に基づき,朝霞住宅(仮称)整備事業の中止を正式に発表しました。
イ 旧キャンプ朝霞南地区の現状
・ 旧キャンプ朝霞南地区の大部分は現在,陸上自衛隊の朝霞駐屯地(陸上自衛隊HPの「東部方面隊」参照)及び朝霞訓練場となっています。
・   陸上自衛隊の朝霞駐屯地の北側に陸上自衛隊広報センター「りっくんランド」があります。
・   陸上自衛隊朝霞訓練場では,3年に1度,陸上自衛隊の中央観閲式が開催されています(防衛省HPの「平成28年度自衛隊記念日観閲式」に中央観閲式の動画が載っています。)。
また,1964年の東京オリンピックではライフル射撃競技が行われましたし,2020年の東京オリンピックでもライフル射撃競技が行われる予定です(埼玉県発!大会関連情報HPの「陸上自衛隊朝霞訓練場」参照)。
・   Wikipediaの写真中の「South Canp」と書いてある部分は現在,埼玉県営和光樹林公園(平成元年3月28日開園)及び東京都の大泉中興公園(平成2年6月1日開園)になっていて,写真中の「桃出地区」と書いてある部分は現在,税務大学校和光校舎,国立保健医療科学院,司法研修所別館及び理化学研究所南地区となっています。
写真中の「AFNアンテナ」と書いてある部分は現在でも在日米軍が管理しています。
・ 平成19年3月,和光樹林公園の北東部に和光市総合体育館が建設されました。

2 東京地家裁立川支部関係
(1) 立川基地,府中基地及び横田基地に関する経緯
ア 在日米軍基地の設置
・   昭和20年9月,アメリカ軍は,立川陸軍飛行場,立川陸軍航空工廠等を接収して,在日米軍立川基地(別名は「キャンプ・フィンカム」でした。)としました。
同月,アメリカ軍は,府中にあった陸軍燃料廠を接収して在日米軍府中基地とし,多摩陸軍飛行場(地元では「福生(ふっさ)飛行場」と呼ばれていました。)を接収して在日米軍横田基地としました。
・ 横田という名前は,太平洋戦争中にアメリカ軍が付けたものでありますところ,アメリカ陸軍サービスが1944年に作成した地図では,北多摩郡村山町(現在の武蔵村山市)の大字名であった「Yokota」が「Fussa」より飛行場近くに記載されていたためと考えられています(Wikipediaの「横田基地」参照)。
イ 立川基地に関する経緯
・ 昭和44年12月8日までにアメリカ空軍の立川基地における飛行活動はすべて停止し,横田基地に移転しました。
・   昭和52年11月30日までに,在日米軍立川基地が全面的に返還されました。
・ 昭和54年11月19日,国有財産中央審議会は,大蔵大臣に対し,「立川飛行場返還国有地の処理の大綱について」を答申し,約460ヘクタールの在日米軍立川基地跡地を3分割(地元地方公共団体等利用の地区,国・政府関係機関等利用の地区及び留保地)して処理すべきとしました(「立川飛行場(留保地)に係る利用計画について」(平成20年6月)参照)。
・ 昭和58年5月,在日米軍立川基地の東側跡地に陸上自衛隊立川駐屯地(東京地家裁立川支部の西側すぐ近くにあります。)が完成しました。
・ 昭和58年10月26日,在日米軍立川基地の中央跡地に国営昭和記念公園が開園しました。
ウ 府中基地に関する経緯
・ 昭和32年8月1日,航空自衛隊府中基地が在日米軍府中基地の一角に併設されました(航空自衛隊府中基地HPの「府中基地沿革」参照)。
・ 昭和50年6月30日,立川市の東隣の府中市にあった在日米軍府中基地が,米軍通信施設を除いて全面的に返還されました。
・ 昭和56年11月24日,国有財産中央審議会は,大蔵大臣に対し,「府中空軍施設返還国有地の処理の大綱について」を答申し,約56ヘクタールの在日米軍府中基地跡地を4分割(公園用地,公共公益施設用地,自衛隊用地及び留保地)して処理すべきとしました(「府中基地跡地留保地活用基本方針」(平成28年2月)参照)。
エ 横田基地に関する経緯
・ 昭和48年1月23日,日米安全保障協議委員会は,関東平野地域にある在日米軍の空軍施設を削減し,その大部分を横田基地に統合する,その際の代替施設の建設は日本側の経費負担により行うという「関東平野地域における施設・区域の整理・統合計画」(略称は「KPCP」,別名は「関東空軍施設整理統合計画」です。)を了承しました(防衛省防衛研究所の戦史研究年報第11号(2008年3月)「「関東計画」の成り立ちについて」等1頁参照)。
・ 昭和49年11月7日,在日米軍司令部及び第5空軍司令部が横田基地に移転しました。
・ 平成22年12月17日,「平成23年度以降に係る防衛計画の大綱」(平成22年12月17日安全保障会議及び閣議決定)(略称は「22大綱」です。)に従って定められた「中期防衛力整備計画(平成23年度~平成27年度)」(平成22年12月17日安全保障会議及び閣議決定)(略称は「23中期防」です。)3頁に,「米軍とのインターオペラビリティを向上するため、横田基地を新設し、航空総隊司令部等を移転する。」と記載されました(防衛省HPの「防衛大綱と防衛力整備」に関連資料が掲載されています。)。
・ 平成23年1月13日,福生市議会は,北関東防衛局に対し,中期防衛力整備計画に対する抗議申入れ書を提出し,同月31日,北関東防衛局長は,福生市議会議長に対し,回答書を提出しました(福生市HPの「中期防衛力整備計画に対する抗議・申入れへの回答について(平成23年1月13日)」参照)。
・ 平成24年3月21日,航空自衛隊の航空総隊司令部等が府中基地から横田基地に移転し,同月26日,航空自衛隊横田基地が運用を開始しました(横田基地の住所は立川市の西隣にある福生市(ふっさし)ですが,立川市にもまたがっています。)。
(2)   法務省の国際法務総合センターに関する経緯(東京都昭島市HPの「立川基地跡地昭島地区」参照)
ア 平成19年9月,法務省及び財務省が,昭島市に対し,立川基地跡地昭島地区(在日米軍立川基地の西側跡地です。)を,国際法務総合センター(仮称)建設のために自ら利用したいと要請しました。
イ 平成21年8月5日,法務省大臣官房長及び昭島市長が,「立川基地跡地昭島地区における「国際法務総合センター(仮称)」の整備に関する覚書」を締結しました。
覚書2条では,国連アジア極東犯罪防止研修所(法務総合研究所国際協力部を含む。),強制研修所(東京支所を含む。),公安調査庁研修所,八王子医療刑務所,関東医療少年院,神奈川医療少年院,八王子少年鑑別所,東京婦人補導員及び職員宿舎を昭島地区に集約整備し,これを「国際法務総合センター(仮称)」と呼ぶものとされました。
ウ 平成28年4月1日,国際法務総合センターの住所が昭島市もくせいの杜(もり)二丁目1番地となりました(昭島市HPの「住居表示の実施により,「もくせいの杜」が誕生しました」参照)。
エ 国連アジア極東犯罪防止研修所(UNAFEI)と法務総合研究所国際協力部(ICD)は,平成29年10月2日,東京都昭島市内の国際法務総合センター国際棟に移転して業務を開始しました。
また,法務省における国際協力事業を担う両部門がそろって新庁舎に移転したことを記念し,同年11月27日,同センター全体の落成式に引き続き,国際棟の国際会議場において,記念講演会を行いました(法務省HPの「国際法務総合センター開所記念アジ研・ICD講演会を開催しました」参照)。
オ 位置関係としては,西から順に,国際法務総合センター,国営昭和記念公園,陸上自衛隊立川駐屯地及び東京地家裁立川支部となります(昭島市HPの「国際法務総合センターC工区新営工事 工事説明会」(平成29年6月)参照)。
(3) 基地関係訴訟
ア 横田基地関係の訴訟に関する最高裁判決は以下のとおりです(政策研究大学院大学(GRIPS)HPの「基地騒音訴訟を巡る判例の動向」(平成21年10月19日付)4頁参照)。
① 最高裁平成 5年2月25日判決(横田基地夜間飛行禁止等)
② 最高裁平成14年4月12日判決(横田基地夜間飛行差止等請求事件)
③ 最高裁平成19年5月29日判決(横田基地夜間飛行差止等請求事件)
イ 横田基地と厚木基地(所在地は神奈川県の綾瀬市(あやせし)及び大和市(やまとし)であり,神奈川県厚木市でありません。)の位置関係については,東京都町田市HPの「町田市と基地の位置関係図」が分かりやすいです。
また,海上自衛隊及び在日アメリカ空軍が使用している厚木基地の騒音に関しては,最高裁平成5年2月25日判決(航空機発着差止等),最高裁平成28年12月8日判決(各航空機運航差止等請求事件)及び最高裁平成28年12月8日判決(損害賠償等請求事件)があります。
ウ 法務省HPの「基地関係訴訟」には,「国側の主張」として以下の記載があります。
   最高裁判所判例(厚木基地騒音訴訟最高裁判所判決等)では,自衛隊機の離着陸等の差止請求は不適法とされており,また,米軍機の離着陸等の差止請求は国に対してその支配の及ばない第三者の行為の差止めを求めるものであり主張自体失当であるとされています。
  国は,この最高裁判所判例に基づき,自衛隊機及び米軍機の離着陸等の差止請求については,訴え却下及び請求棄却を求めています。損害賠償請求についても,受忍限度を超える被害が現に生じていることについて,個々の原告ごとに個別的に立証されなければならないとして,請求棄却を求めています。

  また,将来分の損害賠償請求について,最高裁判所判例(大阪国際空港最高裁判所判決,横田基地最高裁判所判決等)では,空港周辺住民の航空機騒音に係る将来分の損害賠償請求権について,将来給付の訴えを提起することのできる請求権としての適格を有さないとされており,国はこれらの最高裁判所判例に基づき,訴えが不適法であると主張しています。 
(4) その他
ア 立川市には陸上自衛隊東立川駐屯地航空自衛隊立川分屯基地及び防衛装備庁航空装備研究所もあります。
イ 横田基地及び所在市町村の位置関係は,「横田・基地被害をなくす会」HP「横田基地の概要」に書いてあります。
ウ 横田基地については,福生市HPの「福生市と横田基地」が非常に詳しいです。
エ 横田基地の騒音軽減措置については,第3条に関連する日米合同委員会合意として,外務省HPの「日米地位協定各条及び環境補足協定に関する日米合同委員会合意」に載っています。
オ 横田空域は,新潟県から東京都西部,伊豆半島及び長野県まで広がり,12,000フィート(約3,700m)から最高23,000フィート(約7,000m)の高度に上る空域であり,現在,この空域においては米軍が管制業務を行っています(まとめNAVERの「首都圏の空のタブー『横田空域』…未だに続く米軍の日本支配」参照)。

3 沖縄関係
(1) 総論

ア(ア) 沖縄においては,アメリカ軍は,沖縄戦から対日平和条約が締結されるまでの間は,ハーグ陸戦法規52条に基づき,「占領軍の為にする現品調達」として軍用地を使用してきました(1953年12月5日の民政布告第26号「軍用地域内における不動産の使用に対する補償」参照)。
対日平和条約の締結後は,同条約3条において,沖縄等におけるアメリカの施政権が認められたことから,その後のアメリカ軍は,この施政権を根拠として布令・布告等を交付し,これを根拠として軍用地の接収を行いました(防衛省HPの「沖縄県の施設・区域の提供に係る政府間協定の締結」参照)。
(イ) 1907年10月18日に採択された「陸戦の法規慣例に関する条約」(いわゆる「ハーグ条約」です。)に付属していた「陸戦の法規慣例に関する規則」(いわゆる「ハーグ陸戦法規」です。)52条は以下のとおりです。
現品徴発及課税は、占領軍の需要の為にするに非ざれば、市区町村又は住民に対して之を要求することを得ず。徴発及課税は、地方の資力に相応し、且人民をして其の本国に対する作戦動作に加るの義務を負わしめざる性質のもたることを要す。
   右徴発及課税は、占領地方に於ける指揮官の許可を得るに非ざれば、之を要求することを得ず。
   現品の供給に対しては、成るべく即金にて支払い、然らざれば領収証を以て之を証明すべく、且成るべく速に之に対する金額の支払いを履行すべきものとす。
(ウ) 外部HPの「軍用地を生活と生産の場に!」には,アメリカ軍が根拠としたハーグ陸戦法規52条は軍用地接収の根拠にならないと書いてあります。
(エ) ①戦闘方法等を制限したハーグ陸戦条約等のほか,②武力紛争犠牲者の保護を目的としたジュネーブ条約等をあわせて「国際人道法」といいます(外部HPの「国際人道法について(ジュネーブ条約を中心に)」参照)。
②につき,主たる条約は,第1条約(陸の条約),第2条約(海の条約),第3条約(捕虜の条約)及び第4条約(文民保護の条約)からなるジュネーブ諸条約(1949年8月12日採択),並びにジュネーブ諸条約の第1追加議定書及び第2追加議定書(1977年6月8日採択)です(外務省HPの「ジュネーブ諸条約及び追加議定書」参照)。
イ 昭和47年5月15日の沖縄返還の際,83施設,278平方キロメートルの施設が日米合同委員会における個々の施設・区域に係る提供合意により在沖の施設・区域として米軍に提供されました。
また,沖縄返還時点での本土所在の施設・区域をあわせた,全国の米軍専用施設・区域は,181施設・475平方キロメートルであり,これに対する沖縄に所在する米軍専用施設・区域の占める割合は約59%でした(防衛省HPの「沖縄県の施設・区域の提供に係る政府間協定の締結」参照)。
ウ 防衛施設庁は,沖縄返還までの間に,沖縄返還後においても在日米軍又は自衛隊の用に供する必要がある土地等に関して,件数にして90%以上の土地所有者等から賃貸借契約の合意を得るに至りました(「沖縄県における公用地暫定使用法に基づく土地使用の開始(昭和47年5月15日)」参照)。
沖縄返還後,国は,沖縄返還後においても在日米軍又は自衛隊の用に供する必要がある土地等のうち,土地所有者等との間で賃貸借契約の合意を得られなかった土地に関して,昭和57年5月14日までは,沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律(昭和46年12月31日法律第132号)(略称は「公用地暫定使用法」です。)を適用し,昭和57年5月15日以降は,日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法(昭和27年5月15日法律第140号)(略称は「駐留軍用地特措法」です。)を適用しました。
エ 沖縄県知事は,那覇防衛施設局長に対し,平成7年8月21日,駐留軍用地特措法に基づく使用裁決の手続に必要な土地調書・物件調書への立会い・署名押印(いわゆる「代理署名」です。)を拒否しました。
 最高裁大法廷平成8年8月28日判決は,沖縄県内の土地に駐留軍用地特措法を適用することは憲法に違反しないなどとして,沖縄県知事による代理署名拒否は違法であると判断しました。
平成9年4月23日公布・施行の改正駐留軍用地特措法により,必要な権利手続が完了していなくても防衛施設局長が損失補償のための担保を提供していれば引き続き暫定使用できることとなりました。
平成12年4月1日施行の改正駐留軍用地特措法により,土地調書・物件調書への署名押印は国の直接執行事務となりました(沖縄県HPの「第1節 土地問題の経緯」参照)。
オ 平成25年4月5日に日米が合意した「嘉手納飛行場以南の土地の返還」については,外務省HPの「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」「概要」に載っています(解説記事として外部HPの「沖縄米軍基地返還計画」参照)。
これによれば,嘉手納飛行場(総面積は約19.95平方キロメートル)については返還の予定はありません。
カ 平成29年3月31日現在,全国の在日米軍専用施設・区域は全体で78施設・区域,266平方キロメートルです。
そのうち,本土が47施設・区域,78平方キロメートル(29.62%)であり,沖縄が31施設・区域,186平方キロメートル(70.38%)です(防衛省HPの「在日米軍施設・区域の状況」参照)。
(2) 普天間飛行場関係
ア 平成8年以降の経緯
・ 平成8年4月12日,橋本龍太郎首相及びモンデール駐日米国大使が,5年から7年以内の,普天間飛行場の移設条件付返還の合意(条件は,沖縄県に存在している米軍基地の中に新たにヘリポートを建設すること等でした。)を発表しました(首相官邸HPの「橋本内閣総理大臣とモンデール駐日米国大使共同記者会見」参照)。
・   平成7年11月に設置された沖縄に関する特別行動委員会(SACO)は,平成8年12月2日付の最終報告において,「海上施設の建設を追求し、普天間飛行場のヘリコプター運用機能の殆どを吸収する。」とか,「今後5乃至7年以内に、十分な代替施設が完成し運用可能になった後、普天間飛行場を返還する。」等と決定しました(外務省HPの「SACO最終報告(仮訳)」参照)。
・   日米安全保障協議委員会(略称は「SCC」です。)は,平成18年5月1日,普天間飛行場代替施設の建設は,平成26年までの完成を目標としました(外務省HPの「平成18年5月1日付の再編実施のための日米のロードマップ(仮訳)」参照)。
・ 日米安全保障協議委員会は,平成22年5月28日,平成18年5月1日付の再編案を着実に実施する決意を確認しました(外務省HPの「<仮訳>共同発表 日米安全保障協議委員会」参照)。
・ 最高裁平成28年12月20日判決は,平成27年10月13日に翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事(平成26年11月16日当選,同年12月10日就任)がした,名護市辺野古沿岸部に関する公有水面の埋立ての承認(平成25年12月27日付で仲井眞弘多(なかいまひろかず)沖縄県知事が行ったもの)の取消しを取り消さないことは違法であると判断しました。
イ その他
・ ①米軍の読谷(よみたん)補助飛行場(平成18年12月に返還)の前身となった陸軍沖縄北飛行場,②米軍の嘉手納(かでな)飛行場(返還予定なし。)の前身となった陸軍沖縄中飛行場,③米軍の伊江島(いえじま)補助飛行場の前身となった陸軍伊江島飛行場(返還予定なし。)及び④那覇空港の前身となった海軍小禄(おろく)飛行場(沖縄の本土復帰の際に返還)はいずれも旧日本軍が建設した飛行場です(①及び②は昭和20年4月1日のアメリカ軍の沖縄本島上陸の日に占領されました(沖縄市HPの「沖縄戦の実相」のほか,外部HPの「沖縄戦経過図〔沖縄本島〕」参照))。
これに対して米軍の普天間飛行場は,昭和20年6月以降,地元の住民が収容所に入れられているときに,日本本土への攻撃拠点とするために建設されたものでした(外部HPの「日米の合作による「基地の島」」参照。リンク先には「戦前の宜野湾村と現在の普天間飛行場の位置図」があります。)。
・ 宜野湾市HPの「普天間飛行場」には「「国破れて山河あり」と故事にありますが、戦争が終結し避難先や収容所から帰郷すると、そこには昔日の面影もなく、米軍の前線基地が建設され、立ち入り禁止地域になっていました。戦後は基地の周囲に張り付くように、無計画に住宅が建設されました。その結果、いびつな街がつくられ、今日に至っています。」と書いてあります。
・ 防衛省HPの「SACO最終報告の進捗状況」に,SACO最終報告の概要・進捗状況等が書いてあります。
・ 名護市辺野古は,在日米軍海兵隊の基地である「キャンプ・シュワブ」の沖合にあります。
戦前は日本海軍の潜水艦基地があり,昭和32年に基地建設が開始しました(名護市辺野古区HPの「辺野古の歴史」参照)。
・ 平成29年8月17日発表の日米安全保障協議委員会共同発表(仮訳)には,「閣僚は,この取組〔注:在日米軍再編のための既存の取組み〕の不可欠な要素として,普天間飛行場の代替施設(FRF)の建設の再開を歓迎し,FRFをキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に建設する計画が,運用上,政治上,財政上及び戦略上の懸念に対処し,普天間飛行場の継続的な使用を回避するための唯一の解決策であることを再確認した。」と書いてあります。
・   普天間飛行場(総面積は約4.8平方キロメートル)については,「普天間基地の実態 米軍飛行場がある暮らし」HPが参考になります。

(4) 跡地利用特措法
ア 平成24年4月1日,「沖縄県における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律」(略称は「駐留軍用地特措法」又は「軍転法」でした。)は,「沖縄県における駐留軍用地跡地の有効かつ適切な利用の推進に関する特別措置法」(略称は「跡地利用特措法」です。)に変わりました(内閣府HPの「「沖縄振興特別措置法の一部を改正する法律」及び「沖縄県における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律の一部を改正する法律」について」参照)。
イ 跡地利用特措法の内容については,内閣府HP「「沖縄県における駐留軍用地跡地の有効かつ適切な利用の推進に関する特別措置法の一部を改正する法律」について」に掲載されている「跡地利用特措法の概要」(平成27年3月31日一部改正)が分かりやすいです。

(5) その他
ア 沖縄県にある米軍専用施設の位置関係については,防衛省HPの「在日米軍に関する諸施策」にある「沖縄の基地負担軽減について」が分かりやすいです。
また,沖縄県HPの「沖縄から伝えたい。米軍基地の話。Q&A Book」,宜野湾(ぎのわん)市HPの「普天間飛行場」及び嘉手納(かでな)町HPの「嘉手納町と基地」が参考になります。
イ 沖縄県に関して良くある質問に対する回答が,沖縄県HPの「(よくある質問)沖縄振興策について」「(よくある質問)沖縄振興予算について」及び「(よくある質問)米軍基地と沖縄経済について」に書いてあります。
ウ 沖縄県HPの「基地問題に関する刊行物」に,「沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)」等が載っています。
エ 平成20年3月までの経緯については,沖縄県HPの「沖縄の米軍基地(平成20年3月)」が非常に詳しいです。
オ 嘉手納基地についても騒音訴訟が提起されています(政策研究大学院大学(GRIPS)HPの「基地騒音訴訟を巡る判例の動向」(平成21年10月19日付)4頁参照)。
しかし,最高裁は,平成23年1月27日,第2次嘉手納基地騒音訴訟について上告棄却・上告不受理決定を出しました(弁護団HPの「上告及び上告受理申立棄却決定に対する声明」参照)。
カ 駐留軍用地特措法の施行状況(平成24年5月)によれば,駐留軍用地特措法が日本本土に適用されたのは昭和28年から昭和37年であり,沖縄県に適用されたのは昭和57年5月15日以降となります。
また,平成24年1月1日時点で,民公有地1万5125haのうち,1万5096ha(99.8%)について賃貸借契約等が適用され,29ha(0.2%)について駐留軍用地特措法が適用されています。
キ 沖縄県の区域内における位置境界不明地域内の各筆の土地の位置境界の明確化等に関する特別措置法(昭和52年5月18日法律第40号)に基づき,位置境界不明地域のうち駐留軍用地等については防衛省が,それ以外の土地については内閣府の委託を受けた沖縄県がその明確化を進めており,平成22年4月現在,99.69%の土地について位置境界の明確化がなされました(内閣府HPの「位置境界明確化事業について」参照)。
ク 沖縄戦に伴い発生した所有者不明土地については,那覇市HPの「所有者不明土地について」が参考になります。
ケ 沖縄県HPに「地位協定ポータルサイト」が載っています。
コ 国立国会図書館HPレファレンス平成30年8月号に「米国が締結している地位協定及び地位協定における主要な規定」が載っています。

ドイツの戦後補償

1 最高裁判所判例解説 民事篇(平成19年度)(上)416頁ないし418頁には以下の記載があります。
日本の戦争賠償は, ドイツと比較して不十分であるといわれることがあるので,参考までに, ドイツの戦後補償の概要を以下にみておく。
ア ドイツは,第二次世界大戦後東西に分裂したため,連合国との間の平和条約を締結することができず,戦争賠償の解決については長い間留保されてきた(1953年のロンドン債務協定)ところ.実質的な平和条約の機能を果たすことになった1990年のいわゆる「2プラス4協定」(東西ドイツと英・米・仏・ソの間のモスコー協定)において,戦争賠償に関する条項は盛られず,結局,狭義の戦争賠償は行われないまま事実上放棄されている。
イ 他方,「ナチスの不法に対する補償(Wiedergutmachung)」は戦争賠償とは別の概念であるとの整理の下に,連邦補償法(1956年)の下でホロコースト被害等に対する補償が行われることとなった。当初は西独内に住所を有していた者に対象者を限定していたが,その後,外国居住者にも拡大されている(補償金を一括して各国政府に渡し,各国政府が各被害者に支給するというもの)。また,これより前,1952年にはイスラエルとの間の補償協定(ルクセンブルク協定)も締結された。これらの補償総額は,約1040億マルク(現在のレートで5兆5000億円以上)になるといわれている(総額7兆円を超えるという試算もある。)。
ウ このほか,大戦中に東欧地域(特にポーランド)から連行されドイツ企業で強制労働に従事させられた者に対する補償問題について,西独政府は, こうした問題はナチスの迫害ではなく一般的な戦争被害であると主張し, ロンドン債務協定を盾に請求を拒んできた。しかし, 2000年7月, ドイツ政府と企業が50億マルクずつ(計100億マルク,約5300億円)を拠出して,「記憶・責任・未来財団」という基金を設立することが, ドイツ,旧東欧諸国及びイスラエル政府並びにドイツ企業等の間で合意され,その後, ドイツの国内関連法が成立した。この動きの直接のきっかけとなったのは,米国の弁護士らにより米国裁判所でドイツ企業を被告とする大規模なクラスアクションが提起され,企業が譲歩を余儀なくされたことにあったといわれている。なお, この事業は,人道的な見地から行われるものであって,法的責任に基づくものではないと説明されており, 「記憶・責任・未来基金の創設に関する法律」の前文にも,政府の関与は政治的道義的責任に基づくものであるとの趣旨が明記されている。
このほか,戦争中の強制労働に関与した企業の中には,独自の救済措置を設けて元労働者に対する補償措置を行っているものもいくつか存在するようである。これも,法的義務に基づくものではなく,あくまでも人道的な措置であるとの位置付けが強調されている。
エ 以上のとおり, ドイツの戦後補償は金額の上では我が国の賠償額を大きく上回っているが,それはナチスの不法に対する補償(Wiedergutmachung)という特殊な概念に基づくものであって,狭義の戦後賠償は行われていないことに留意する必要があろう。一方,強制労働に対する補償問題に関しては,法的責任を前提としないとしつつも,官民を挙げて救済措置が講じられていることは,特筆に値すると思われる。

2 欧州どまんなかHP「存在しないドイツ-強制労働の補償」には以下の記載があります。
① ドイツの戦後処理を理想化する人々から軽視されるのは、1953年に西ドイツと米・英などの西側諸国の間で結ばれたロンドン債務協定である。これによって、第2次世界大戦勃発前の戦前と、1945年以降の戦後にドイツに与えられた借款の返済義務が確定された。こうして戦前と戦後の平時に由来する債務は決まったが、戦前と戦後の間に当たる「第2次世界大戦に由来する債務の検討」の方は、その第5条第2項で「賠償問題を最終的に取り決めるまで、保留される」ことになる。これは、冷戦とドイツの分断状態が終わり、正式の平和条約が締結されるまで、賠償問題が棚上げにされることを意味した。
② 当時は冷戦がいつまでも続くと思われたので、この保留条項はドイツが賠償金を支払わないで済むことを意味し、その結果西ドイツは国際金融市場で信用を得て「驚異の経済復興」の道を歩むことができた。これほど西ドイツが優遇されたのは米国がこの国を「反共のとりで」にしようとしたからである。しかしそのことに満足できない国は多く、またドイツもそのことを無視できず、結果として1950年代から1960年代の前半にかけて11カ国に「個人補償」を支払うことを余儀なくされた。
   賠償金を支払ったことになると、ドイツ自身がロンドン債務協定・保留条項を無効にし、賠償要求に対する防壁を壊すのに等しい。そこで、当時のドイツの公式見解が強調しているように、外国への支払いは戦争賠償ではなく「ナチに断固と反対するドイツ国民の精神を国外でも発露させて、政治的、宗教的、人種的な理由から人間を迫害した『ナチ固有の不正』の犠牲者を救済する」ためであるとされた。ちなみに、典型的な「ナチ固有の不正」の犠牲者とは人種的理由から強制収容所に監禁されて、その多くが虐殺されたユダヤ人である。
③ ドイツの「個人補償」は損害賠償でなく、本来は公的見舞金と呼ぶべきで、法的責任を避けて、道徳的・歴史的責任を強調する。これがドイツ式戦後処理である。戦争で与えた被害の賠償となると、あまりに巨額で財政の逼迫(ひっぱく)した敗戦国には支払いは困難である。実際に第1次世界大戦後のドイツがそうであったが、2度目は「ナチ固有の不正」の定義によって支払う範囲を狭めることができた。ただ、戦時下、占領地から連行されて労働を強制された人は1,000万人以上もいて金額が巨大だったこともあり、この件は賠償扱いとされた。
   裁判官も、ロンドン債務協定の保留条項と「ナチ固有の不正」を組み合わせる要領はよく心得ていて、企業もしくはドイツ国家を訴えた元強制労働者に対して、時効を指摘して「訴えが遅過ぎた」と言うか、あるいは平和条約がまだ締結されていないので「訴えが早過ぎる」と言うかのどちらかであった。
   遠い未来の平和条約締結を盾に賠償金の支払いをしないできた分断国家の政治家は、ベルリンの壁が崩壊してからは「平和条約」という言葉を口にしなくなる。東西ドイツが米ソ英仏の主要4カ国と交渉するだけの「2+4会談」で、ドイツ統一が実現。統一に当たり平和会議を避けたのは、旧交戦国が団結して賠償を問題視し始めると、さまざまな困難が出現すると予測されたからであった。
   東西ドイツの統一後、フランス、ギリシャをはじめいろいろな国から、ドイツは、戦時下での強制労働や非戦闘員に対する残虐行為などのために補償や賠償を請求されたが、外交力で押さえ込むことができた。
④ 1998年から1999年にかけて米国で、ナチによるユダヤ人資産没収で利益を得たドイツの金融機関と、戦時下強制労働をさせた企業が、ユダヤ人団体から圧力をかけられたり集団訴訟を起こされたりした。ドイツの代表的な企業は裁判の勝ち負けより、企業イメージの損失を恐れて賠償を決意する。
2000年、ドイツ政府と経済界が100億マルクの資金を半々で負担して「記憶・責任・未来財団」を設立し、米、イスラエルならびに東欧圏居住者に限定し「強制収容所もしくはそれに似た環境」で強制労働に従事した人々に支援金を支払った。反対に、過酷な条件で労働を強いられたにもかかわらず、強制収容所というナチの迫害と無関係である場合は、通常の戦争の犠牲者として支援金を受け取ることができなかった。つまり、この場合も「支払うのはナチ固有の不正にだけ」というドイツ戦後処理の原則にほぼ忠実だったことになる。参考までに、1人当たりの支給額は約2,500ユーロ(約35万円)から7,500ユーロ(約110万円)であった。
⑤ 東西ドイツの統一後、賠償問題をうやむやにするドイツに憤慨した隣国は少なくなかった。有名な例は、戦時下の1944年ギリシャのディストモ村で子どもや女性、老人218人が惨殺された事件だ。村人はドイツに補償を求めて提訴し、ギリシャの最高裁がドイツに支払うように判決。最終的にはギリシャの特別裁判所が判決の執行を不可能と判断する。
イタリアでも似たような悲劇に遭遇した村が幾つもあり、村人およびドイツで過酷な条件で労働を強制された人々も、ギリシャと同様に補償を求めてドイツを訴えた。イタリアの最高裁はこれらの訴えを認め、判決の執行も可能であると判断した。さらに、自国では不可能であるためにイタリアでの判決の執行を求めて訴えていたギリシャのディストモ村の人々の主張も認めた。こうしてドイツ国有資産の差し押さえが始まった。
これに対して2008年、ドイツは、国家は他国の裁判権に服さないとする国際法の裁判権免除にイタリアが違反しているとして、オランダ・ハーグの国際司法裁判所に提訴。2012年2月に判決が下され、ドイツが勝訴した。この判決は戦争犯罪でも裁判権免除を認め、今後ドイツが外国で損害賠償を求められ訴えられることはないことを意味する。現に2014年3月、ギリシャを訪問したドイツのガウク大統領は、ギリシャ大統領から賠償を請求されると「法的手段を取る道は終了した」と言って支払いを断り、戦時下のドイツ人の残虐な行為を非難すると同時に謝罪した。
⑥ 仮に、裁判が実現したとすると、訴えられた企業は面倒なトラブルを避けるために賠償金の支払いを行うかもしれない。しかし、支払ったからといってその問題が解決するとは限らない。というのは、また別の人々から訴えられて、いつまでも終わらない可能性があるからだ。このことこそ、1998~1999年に米国集団訴訟に直面したドイツ企業が一番心配した点であった。そのために、彼らは、今後法的に訴えられないような状態、すなわち「法的安全」の確保を支払うための前提条件にした。
それは、法的紛争でなく「法的平和」の実現を目標として、そのために被害者団体、東欧諸国ならびにドイツと米国が18カ月間も交渉し「記憶・責任・未来財団」の設立に合意したのだ。それだけではない。米国はドイツとの二国間協定の中で「ナチならびに戦争犯罪に関連したドイツ企業に対する訴えを裁判所に却下するように勧告する」義務を負うこととした。

類型ごとの戦後補償裁判に関する最高裁判例

○最高裁判所判例解説 民事篇(平成19年度)(上)409頁ないし411頁によれば以下のとおりです。

1 請求権放棄に伴う補償請求型の事件に関する最高裁判例

・ サンフランシスコ平和条約等において,日本国政府が,国民の有していた在外資産を戦争賠償に充当する趣旨で処分したり,連合国又は連合国民に対する戦争被害に係る国民の請求権を放棄したのは,憲法29条3項に基づく損失補償の対象となるなどとして,在外資産を保有していた者又は連合国に対する損害賠償請求権を有していた旨を主張する者が原告となり,国に対し,補償又は賠償を求める類型の事件です。
・ ①カナダ在外資産補償請求訴訟に関する最高裁大法廷昭和43年11月27日判決,②サンフランシスコ平和条約19条(a)に関する最高裁昭和44年7月4日判決,及び③シベリア抑留者補償請求訴訟に関する最高裁平成9年3月13日判決があります。

2 援護立法の不備主張型の事件に関する最高裁判例

・ 戦傷病者戦没者遺族等援護法や恩給法による戦争被害の救済が狭きに失しているとして,その支給対象とならなかった者(一般民間人被災者,国籍条項に係る欠格者等)が原告となり,立法不作為を理由に国家賠償を請求し,あるいは欠格事由を定める国籍条項の違憲無効を理由に受給請求却下処分の取消しを請求するなどの類型の事件です。
・ ①一般民間人被災者に関する最高裁昭和62年6月26日判決,②台湾住民である軍人軍属に関する最高裁平成4年4月28日判決,③在日韓国人である軍人軍属に関する最高裁平成13年4月5日判決最高裁平成13年11月16日判決最高裁平成13年11月22日判決最高裁平成14年7月18日判決最高裁平成16年11月29日判決があります。

3 戦争遂行過程の違法行為追及型の事件に関する最高裁判例
・ 戦争遂行過程で日本軍兵士や日本企業が犯した犯罪行為につき,国又は当該企業を被告として損害賠償責任を追及するという類型です。
この類型に属する事件には,婦女子に関する監禁暴行事件,強制連行・強制労働事件,捕虜虐待・非戦闘員虐殺事件等の多様なものが含まれています。
提訴時期は,概ね,平成3年以降であり,国別では,当初は韓国関係が多かったが,平静7年ころから中国人を原告とする事件が多数提訴されるようになり, 最高裁平成19年4月27日判決当時の主流を占めるようになっていました。
・ 中国人の強制連行・強制労働に関する最高裁平成19年4月27日判決(第一小法廷)及び最高裁平成19年4月27日判決(第二小法廷)があります。

最高裁平成19年4月27日判決が判示するところの,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおける請求権放棄の趣旨等

   最高裁平成19年4月27日判決は以下の判示をしています(判決文からの抜粋であり,ナンバリング及び改行を追加しました。)。

(1) サンフランシスコ平和条約は,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを前提として,日本国は連合国に対する戦争賠償の義務を認めて連合国の管轄下にある在外資産の処分を連合国にゆだね,役務賠償を含めて具体的な戦争賠償の取決めは各連合国との間で個別に行うという日本国の戦後処理の枠組みを定めるものであった。
この枠組みは,連合国48か国との間で締結されこれによって日本国が独立を回復したというサンフランシスコ平和条約の重要性にかんがみ,日本国がサンフランシスコ平和条約の当事国以外の国や地域との間で平和条約等を締結して戦後処理をするに当たっても,その枠組みとなるべきものであった(以下,この枠組みを「サンフランシスコ平和条約の枠組み」という。)。
サンフランシスコ平和条約の枠組みは,日本国と連合国48か国との間の戦争状態を最終的に終了させ,将来に向けて揺るぎない友好関係を築くという平和条約の目的を達成するために定められたものであり,この枠組みが定められたのは,平和条約を締結しておきながら戦争の遂行中に生じた種々の請求権に関する問題を,事後的個別的な民事裁判上の権利行使をもって解決するという処理にゆだねたならば,将来,どちらの国家又は国民に対しても,平和条約締結時には予測困難な過大な負担を負わせ,混乱を生じさせることとなるおそれがあり,平和条約の目的達成の妨げとなるとの考えによるものと解される。

(2)ア サンフランシスコ平和条約の枠組みにおける請求権放棄の趣旨が,上記のように請求権の問題を事後的個別的な民事裁判上の権利行使による解決にゆだねるのを避けるという点にあることにかんがみると,ここでいう請求権の「放棄」とは,請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく,当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせるにとどまるものと解するのが相当である。
   したがって,サンフランシスコ平和条約の枠組みによって,戦争の遂行中に生じたすべての請求権の放棄が行われても,個別具体的な請求権について,その内容等にかんがみ,債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないものというべきであり,サンフランシスコ平和条約14条(b)の解釈をめぐって,吉田茂内閣総理大臣が,オランダ王国代表スティッカー外務大臣に対する書簡において,上記のような自発的な対応の可能性を表明していることは公知の事実である。

イ   被上告人らは,国家がその有する外交保護権を放棄するのであれば格別,国民の固有の権利である私権を国家間の合意によって制限することはできない旨主張するが,国家は,戦争の終結に伴う講和条約の締結に際し,対人主権に基づき,個人の請求権を含む請求権の処理を行い得るのであって,上記主張は採用し得ない。

(3) 「日本国とマレイシアとの間の1967年9月21日の協定」2条は,「マレイシア政府は,両国間に存在する良好な関係に影響を及ぼす第二次世界大戦の間の不幸な事件から生ずるすべての問題がここに完全かつ最終的に解決されたことに同意する。」というやや抽象的な表現となっており,表現としては唯一の例外といえるが,同協定がサンフランシスコ平和条約やそれ以後の前記二国間平和条約における請求権の処理と異なった請求権の処理を定めたものと解することはできず,この条項も,個人の請求権を含めて戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄するサンフランシスコ平和条約の枠組みに従う趣旨のものと解される。
(4) 日中共同声明5項の文言上,「請求」の主体として個人を明示していないからといって,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる処理が行われたものと解することはできない。(5) 日中共同声明は,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる趣旨のものではなく,請求権の処理については,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを明らかにしたものというべきである。

日中共同声明,日中平和友好条約,光華寮訴訟,中国人の強制連行・強制労働の訴訟等

 日中共同声明 
(1)   昭和47年9月29日に発表された,日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(いわゆる「日中共同声明」です。)5項は,「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」と定めています。
7項は「日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。」と定めています。
(2) 田中角栄内閣総理大臣は、昭和47年10月31日の参議院本会議において以下の答弁をしています。
① 日中共同声明は、国会の承認を求めるべきだという御議論でございますが、先般の日中共同声明は、政治的にはきわめて重要な意味を持つものでございますが、法律的合意を構成する文書ではなく、憲法にいう条約ではないわけでありまして、この共同声明につき、国会の承認を求める必要はないのでございます。
② もっとも、この日中共同声明につきましては、事柄の重要性にかんがみ、その内容につきましては、国会において十分御審議をいただきたいと考えております。
(3) 大森誠一外務省条約局長は、昭和53年10月13日の衆議院外務委員会において以下の答弁をしています。
① 日中間の戦争状態の終結の問題につきましては、法律的には、わが国と中国との間の戦争状態は日華平和条約第1条により終了したとするのがわが国の立場でございます。日中国交正常化に際しまして、わが国としては、日華平和条約を当初から無効なものとします中国側の主張は認めることはできないとの基本的立場を中国側に十分説明いたしまして、日中国交正常化という大目的のために日中双方の本件に関しまする基本的立場に関連する困難な法律問題を克服しますために、共同声明の文言に双方が合意した次第でございます。
このようなわけでございまして、日中間の戦争状態終結の問題は、日中共同声明により最終的に解決している次第でございます。
② ただいま申し上げましたような次第によりまして、この共同声明は国会の承認を要しないということでございました。

2 日中平和友好条約
(1)   昭和53年8月12日に北京で署名された,日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約 (いわゆる「日中平和友好条約」です。)1条1項は「両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。 」と定め,同条2項は「両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。」と定めています。
2条は「両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。 」と定めています。
4条は「この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない。 」と定めています。
(2) 1969年3月2日,国境問題をめぐってウスリー江のダマンスキー島(中国側の呼称は珍宝島です。)で大規模な軍事衝突が発生して中ソ国境紛争が継続するなど,中ソ対立が続いており,中国はソ連を覇権主義国家として非難していました。
そのため,中国は,日本に対し,ソ連の覇権主義に反対するように要求した結果,反覇権条項としての2条が記載され,反覇権条項は特定の第三国に向けられたものではないという意味で第三国条項としての4条が記載されました。

3 その後の共同声明

(1)   「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言 」(平成10年11月26日発表)には,「双方は、1972年9月29日に発表された日中共同声明及び1978年8月12日に署名された日中平和友好条約の諸原則を遵守することを改めて表明し、上記の文書は今後とも両国関係の最も重要な基礎であることを確認した。 」と書いてあります。
(2) 「「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明」(平成20年5月7日発表)には,「2.双方は、1972年9月29日に発表された日中共同声明、1978年8月12日に署名された日中平和友好条約及び1998年11月26日に発表された日中共同宣言が、日中関係を安定的に発展させ、未来を切り開く政治的基礎であることを改めて表明し、三つの文書の諸原則を引き続き遵守することを確認した。また、双方は、2006年10月8日及び2007年4月11日の日中共同プレス発表にある共通認識を引き続き堅持し、全面的に実施することを確認した。」と書いてあります。

4 光華寮訴訟

(1) 最高裁平成19年3月27日判決は,光華寮訴訟において,「原告として確定されるべき者が訴訟提起当時その国名を「中華民国」としていたが昭和47年9月29日の日中共同声明に伴って「中華人民共和国」に国名が変更された国家としての中国である。」と判示しました。
そして,光華寮訴訟は,昭和47年9月29日以後に行われた手続はすべて無効となって京都地裁に差し戻されました。
(2) 光華寮は,平成23年2月当時,中華人民共和国在大阪総領事館の委託を受けて京都華僑総会が管理していたみたいです(外部ブログの「光華寮」参照)。
(3) 平成29年9月22日付の司法行政文書不開示通知書によれば,最高裁が,最高裁平成19年3月27日判決以降,光華寮訴訟に関して京都地裁又は大阪高裁から取得した報告文書のうち,直近のものはすでに廃棄されました。

5 中国人の強制連行・強制労働の訴訟

(1)ア 最高裁平成19年4月27日判決(第二小法廷)は,第二次世界大戦中に中国から日本国内に強制連行され日本企業の下で強制労働に従事させられたと主張する中国人(被害者は5人)が,日本企業に対し,安全配慮義務違反を理由とする損害賠償等を求めた事案(国は共同被告になっていません。)において,
「 日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民の日本国又はその国民若しくは法人に対する請求権は,「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」5項によって,裁判上訴求する権能を失ったというべきである。 」と判示しました。
イ 最高裁平成19年4月27日判決(第一小法廷)も同趣旨の判示をしました。
(2) 最高裁平成19年4月27日判決(第二小法廷)の控訴審である広島高裁平成16年7月9日判決は,日本企業の安全配慮義務違反を認め,消滅時効の援用は信義則に違反し,日華平和条約又は日中共同声明に基づく請求権放棄は認められないということで,一人当たり550万円の損害賠償を命じていました。
(3) 最高裁判所判例解説 民事篇(平成19年度)(上)400頁及び401頁には以下の記載があります。
中国人の強制連行・強制労働とは,第二次世界大戦中の国内の重筋部門の労働力の附則を補うため,閣議決定等を経た国策として遂行されたものであり,戦争末期に総数3万8935人の中国人が日本内地に移入され,35の事業者が経営する全国135の事業所に配置された。実際には,騙されたり強制されたりして連行されたというのが実態とされ,また,事業所での労働条件も劣悪・過酷なものであり,平均在留日数は9ヶ月程度とさほど長期間でなかったにもかかわらず,全労働者の17.5%が死亡している。外務省は,終戦後,中国人労働者の内地移入政策の詳細な記録を作成したが,間もなく廃棄されたとされ,その後,実態を明らかにする機会がないまま歴史の中に埋もれかけていたところ,平成5年に至り,いわゆる「幻の外務省報告書」が発見され,初めてその詳細が世に知られるところとなったものである。
(4) dailymotionに「幻の外務省報告書~中国人強制連行の記録~」(平成5年8月14日放送分)が載っています。

日韓請求権並びに経済協力協定

→ 日本は,韓国に対し,財産・請求権問題が解決されたことを確認するとともに5億ドルの経済協力(無償3億ドル,有償2億ドル)を実施しました。

2(1) 日韓請求権並びに経済協力協定2条は以下のとおりです。

① 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。 
② この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。
(a)一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益
(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて千九百四十五年八月十五日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの
③ 2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。
(2) 合意議事録(1)2項には,日韓請求権並びに経済協力協定2条に関して以下の記載があります。
(a) 「財産、権利及び利益」とは、法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利をいうことが了解された。
(g) 同条1にいう完全かつ最終的に解決されたこととなる両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題には、日韓会談において韓国側から提出された「韓国の対日請求要綱」(いわゆる八項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがつて、同対日請求要綱に関しては、いかなる主張もなしえないこととなることが確認された。
(3) 日韓請求権並びに経済協力協定2条3項は,大韓民国政府の外交的保護権の放棄を含む条文です(最高裁平成13年4月5日判決)。3 財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律(昭和40年12月17日法律第144号)1項に基づき,日韓請求権並びに経済協力協定2条3項の「財産,権利及び利益」に該当するものは,昭和40年6月22日に消滅しましたが,当該法律は憲法17条,29条2項及び3項に違反しません(最高裁平成16年11月29日判決)。
4(1) 修の呟きブログ「新日鉄住金事件大法院判決全文 仮訳」12頁ないし16頁によれば,2018年10月30日の韓国大法院判決は,日本政府は請求権協定の交渉過程において,植民支配の不法性及びそれに対する賠償責任の存在を否認していたことから,被害者側である大韓民国政府が自ら強制動員慰謝料請求権までも含む請求権協定を締結したとは考えられない等の理由により,強制動員慰謝料請求権は請求権協定の対象外であり,消滅していないと判示したみたいです。
(2) 大法官金昭英(キムソヨン),李東遠(イドンウォン)及び盧貞姫(ノジョンヒ)の3人の個別意見(「新日鉄住金事件大法院判決全文 仮訳」20頁ないし32頁)は,強制動員慰謝料請求権は請求権協定の対象であるものの,外交的保護権が放棄されたに過ぎないから,大韓民国において訴訟によって権利行使できると判断しました。
(3) 大法官権純一(クォンスニル)及び趙載淵(チョジュエン)の2人の反対意見(「新日鉄住金事件大法院判決全文 仮訳」32頁ないし42頁)は,請求権協定は外交的保護権の放棄にとどまるものではないから,強制動員慰謝料請求権が請求権協定によって直ちに消滅したり放棄されたわけではないが,訴訟によってこれを行使することは制限されることになったと判断しました。
(4) 新日鐵住金HPに「徴用工訴訟に関する韓国大法院判決について」(平成30年10月30日付)が載っています。5(1) 最高裁判所判例解説 民事篇(平成19年度)(上)418頁,419頁及び423頁によれば,平和条約における請求権放棄条項については,以下の三つの説があります。
① 外交的保護権のみ放棄説(韓国大法院判決の3人の個別意見)
・ 国内法的な意味で個人の請求権を消滅させるものではないし,その権利行使が法的に阻害されるものではなく,外交的保護権が放棄された結果,その実現が実際上困難となったにすぎないとする説です。
② 権利行使阻害説(最高裁平成19年4月27日判決,韓国大法院判決の2人の個別意見)
・ 国内法的な意味で個人の請求権を消滅させるものではないものの,外交的保護権の放棄とは別に,あるいはその反映として,国内法上もその権利行使が法的に阻害されるものの,いわゆる自然債務になる結果,債務者の任意の履行に対する給付保持力を失わせるものではないとする説
③ 請求権消滅説
・ 外交的保護権だけでなく,国内法的な意味で個人の請求権を消滅させるとする説
(2) 請求権放棄条項につき,①カナダ在外資産補償請求訴訟に関する最高裁大法廷昭和43年11月27日判決は「わが国は、日本国民の右資産が当該外国において不利益を取扱いを受けないようにするために有するいわゆる異議権ないし外交保護権を行使しないことを約せしめられたにすぎない」と判示しており,外交的保護権のみ放棄説又は権利行使阻害説のどちらであるかははっきりしません。
   ②サンフランシスコ平和条約19条(a)に関する最高裁昭和44年7月4日判決は,請求権放棄条項が外交的保護権の放棄を意味するかどうかについて一切触れていません。
③シベリア抑留者補償請求訴訟に関する最高裁平成9年3月13日判決は,「仮に所論の請求権が存するとしても,実際上不可能となった」と説示するにとどまっており,個人の私法上の請求権が消滅しているかどうかの点も含めて,断定的な判断が避けられています。
④中国人の強制連行・強制労働の訴訟に関する最高裁平成19年4月27日判決は,②権利行使阻害説を採用することを明示しました。
(3) 2018年10月30日の韓国大法院判決につき,多数意見はそのいずれでもなく,3人の個別意見は外交的保護権のみ放棄説であり,2人の反対意見は権利行使阻害説であると思います。6 「マレイシア政府は,両国間に存在する良好な関係に影響を及ぼす第二次世界大戦の間の不幸な事件から生ずるすべての問題がここに完全かつ最終的に解決されたことに同意する。」と定める「日本国とマレイシアとの間の1967年9月21日の協定」2条は,個人の請求権を含めて戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄する条項です(最高裁平成19年4月27日判決)。

7(1) 最高裁昭和25年4月11日判決は以下の判示をしています。
国家賠償施行以前においては、一般的に国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかつたことは前述のとおりであつて、大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して、常に国に賠償責任のないことを判示して来たのである。(当時仮りに論旨のような学説があつたとしても、現実にはそのような学説は行われなかつたのである。)
(2) 最高裁平成15年4月18日判決は以下の判示をしています。
法律行為が公序に反することを目的とするものであるとして無効になるかどうかは,法律行為がされた時点の公序に照らして判断すべきである。
けだし,民事上の法律行為の効力は,特別の規定がない限り,行為当時の法令に照らして判定すべきものであるが(最高裁昭和29年(ク)第223号同35年4月18日大法廷決定・民集14巻6号905頁),この理は,公序が法律行為の後に変化した場合においても同様に考えるべきであり,法律行為の後の経緯によって公序の内容が変化した場合であっても,行為時に有効であった法律行為が無効になったり,無効であった法律行為が有効になったりすることは相当でないからである。

8 国立国会図書館HPの「調査と情報」に,「朝鮮半島をめぐる動向:解説と年表―第二次世界大戦終結後―」(2019年2月26日発行)が載っています。

9(1) Wikipediaに「日本の戦争賠償と戦後補償」が載っています。
(2)ア 日弁連HPの「戦後補償のための日韓共同資料室」に以下の頁があります。
① 日本の法令・裁判例・その他資料
② 韓国の法令・裁判例・その他資料
イ リンク先には,「日弁連と大韓弁協は韓国併合100周年にあたる2010年に共同宣言を発表し、植民地支配や強制動員の被害者の被害回復のために持続的な調査研究・交流を通じて協働することを宣言しました。」と書いてあります。

日本の戦後賠償の金額等

1 日本の戦後賠償については,外務省HPの「歴史問題Q&A 関連資料 日本の具体的戦後処理(賠償,財産・請求権問題)」が詳しいです。

2(1) 外務省HPの「賠償並びに戦後処理の一環としてなされた経済協力及び支払い等」によれば,日本の戦後賠償の支払総額は264億2864万8268ドル(1兆3525億2789万8145円)みたいです。
(2) 主なものは,賠償額10億1208万ドル(3643億4880万円)及び在外財産の放棄236億8100万ドル(3794億9900万円)です。
(3) フィリピンに対する賠償は5億5000万ドル,ベトナムに対する賠償は3900万ドル,ビルマに対する賠償は2億ドル,インドネシアに対する賠償は2億2308万ドルです。
(4) 在外財産の放棄のうち,朝鮮が702億5600万円,台湾(中華民国)が425億4200万円,中国(東北)が1465億3200万円,中国(華北)が554億3700万円,中国(華中・華南)が367億1800万円,その他の地域(樺太,南洋,その他丹法地域,欧米諸国等)が280億1400万円です。

3(1) NAVERまとめの「日本はドイツのように戦後補償をしていないと主張する人がいますが、本当はどうなんでしょう 」には以下の趣旨の記載があります(②及び③の現在換算の計算方法はよく分かりません。)。
① ドイツの連邦補償法制定以来,同法に基づく給付申請約450万件中220万件が認定され、これまでにおよそ710.5億万マルク(3兆5951.3億円)を給付、現在は約14万人に年間15億マルク(759億円 1人平均月額900マルク(1マルク50.6円換算で45540円))を支払っている。
② 例えばフィリピンには賠償約1980億円、借款約900億円、インドネシアには賠償約803億円、借款約1440億円を支払っています。この他、別表にあるように、賠償、補償の総額は約3565億5千万円、借款約2687億8千万円で併せて6253億円(現在換算20兆971.42億円)にのぼります。
③ これ以外にも事実上の賠償として、当時日本が海外に保有していた財産はすべて没収されました。
それは日本政府が海外にもっていた預金のほか鉄道、工場、建築物、はては国民個人の預金、住宅までを含み、当時の計算で約1兆1千億円(現在換算35兆3540億円)に達しています。
④ 現在の経済大国、日本ではなく、戦後のまだ貧しい時代に、時には国家予算の3割近くの賠償金を約束し、きちんと実行してきていたのです。
⑤ ドイツは個人補償が中心で、国に対する賠償金は支払っていません。
 一方、日本は国に対する賠償、および経済協力という形で、ドイツの数倍の金額を支払っています。
(2) 外務省HPに「外交史料館所蔵資料に見るドイツ戦後賠償の形成過程」が載っています。

4 大審院は,公務員の違法な公権力の行使に関して,常に国に賠償責任はないことを判示してきました(最高裁昭和25年4月11日判決参照)(「国家無答責の法理」といいます。)。

5(1) Wikipediaに「日本の戦争賠償と戦後補償」が載っています。
(2)ア 日弁連HPの「戦後補償のための日韓共同資料室」に以下の頁があります。
① 日本の法令・裁判例・その他資料
② 韓国の法令・裁判例・その他資料
イ リンク先には,「日弁連と大韓弁協は韓国併合100周年にあたる2010年に共同宣言を発表し、植民地支配や強制動員の被害者の被害回復のために持続的な調査研究・交流を通じて協働することを宣言しました。」と書いてあります。
(3) 国立公文書館アジア歴史資料センター(JACAR)HPアジ歴グロッサリー(テーマ別歴史資料検索ナビ)テーマ別検索「公文書に見る終戦-復員・引揚の記録-」が載っています。

 

在外財産補償問題

1 在外財産補償問題とは,第二次世界大戦の敗戦によって失われた引揚者などの日本人の在外資産の補償を巡る問題をいいます。

2(1) 引揚者に対する金銭給付は,昭和32年制定の「引揚者給付金等支給法」に基づき464億円が支給され,昭和42年制定の「引揚者に対する特別交付金支給法」に基づき,全国に350万人いる引揚者に対し,2100億円余りが支給されたみたいです(Wikipediaの「在外財産補償問題」参照)。
(2) 東京都福祉保健局HP「引揚者給付金・引揚者特別交付金」によれば,引揚者給付金(厚生労働省所管)は終戦時の年齢に応じて1人当たり2万8000円から7000円であり,引揚者特別交付金(総務省所管)は終戦時の年齢に応じて1人当たり16万円から2万円です。

3 平和祈念展示資料館(総務省委託)HP「海外からの引揚者」には,「海外からの引揚者とは、さきの大戦の終結に伴い、生活の本拠としていた海外から故国日本への引揚げを余儀なくされた方々をいいます。身の危険が迫る中、すべてを捨て、大変な労苦を体験しながら故国を目指しましたが、引揚げ途中で亡くなった方も多くいました。」などと書いてあります。

4(1) いわゆる戦後補償裁判において,最も初期に争われたのは,サンフランシスコ平和条約等において,日本国政府が,国民の有していた在外資産を戦争賠償に充当する趣旨で処分したり,連合国又は連合国民に対する戦争被害に係る国民の請求権を放棄したのは,憲法29条3項に基づく損失補償の対象となるなどとして,在外資産を保有していた者又は連合国に対する損害賠償請求権を有していた旨を主張する者が原告となり,国に対し,補償又は賠償を求める類型の事件です。
この類型に属する事件の最高裁判例としては,①カナダ在外資産補償請求訴訟に関する最高裁大法廷昭和43年11月27日判決,②サンフランシスコ平和条約19条(a)に関する最高裁昭和44年7月4日判決,③シベリア抑留者補償請求訴訟に関する最高裁平成9年3月13日判決がありますところ,「戦争中から戦後占領にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあっては,国民のすべてが,多かれ少なかれ,その生命・身体・財産の犠牲を堪え忍ぶべく余儀なくされていたのであって,これらの犠牲は,いずれも,戦争犠牲又は戦争損害として,国民のひとしく受任しなければならなかったところであり,右の在外資産の賠償への充当による損害のごときも,一種の戦争損害として,これに対する補償は,憲法の全く予想しないところというべきである」(上記①の半分より抜粋)などとする戦争損害受任論というべき枠組みによって請求が棄却されました
(2) この点については,最高裁判所判例解説(民事篇)(平成19年度)(上巻)409頁及び410頁の記載を全面的に参照しています。

国家公務員採用総合職試験(院卒者試験)法務区分

1 平成25年度以降,国家公務員採用総合職試験(院卒者試験)法務区分という,司法試験合格者を対象とした国家公務員試験が,9月から10月にかけて実施されています。
2 平成28年度の日程は以下のとおりです。
   8月30日(火)午前10時~午後4時
→ 法科大学院修了生及び法科大学院最終学年生が参加できました。
② 受付期間
     9月6日午前9時~9月13日(火)(インターネット申込みだけ)
③ 第1次試験日
    9月25日(日)
④ 第1次試験合格発表日
   10月4日午前9時
⑤ 第2次試験日
   10月6日(木)又は10月7日(金)
⑥ 最終合格発表日
   10月14日(金)午前9時
⑦ 官庁訪問開始日
   10月17日(月)
⑧ 内定解禁
   10月20日(木)午前9時以降
3 過去の実施状況は以下のとおりです(国家公務員採用総合職試験(院卒者試験)法務区分の「試験実施状況」参照)。
(1) 平成25年度
   申込者数が150人,第1次試験合格者数が68人,最終合格者数が36人
(2) 平成26年度
   申込者数が87人,第1次試験合格者数が64人,最終合格者数が39人
(3) 平成27年度
   申込者数が62人,第1次試験合格者数が46人,最終合格者数が28人
(4) 平成28年度
申込者数が66人,第1次試験合格者数が41人,最終合格者数が32人
(5) 平成29年度
申込者数が23人,第1次試験合格者数が17人,最終合格者数が12人
(6) 平成30年度
申込者数が22人,第1次試験合格者数が12人,最終合格者数が11人
4(1) 総合職試験(院卒者・大卒程度)に関する官庁訪問及び採用予定数は,人事院HPの「総合職試験(院卒者・大卒程度)」に掲載されています。

(2)   過去の採用予定数及び採用状況は,採用予定数・採用状況に掲載されています。

5(1) 「3年でエリート公務員 辞めた結果・・・」と題するブログの管理人(東大法学部卒)は,3年で総務省のキャリア官僚を辞めて,平成29年の司法試験予備試験を受験しているみたいです(「国家公務員(1種)を辞めて弁護士を目指す理由」(平成28年9月30日のブログ記事)参照)。
(2) ブログ管理人は,大学3年生だった平成23年に司法試験予備試験を受けたみたいです(「司法試験予備試験早稲田大学会場の環境が最悪だった」(平成29年5月22日のブログ記事)参照)。
また,給費制復活についてはどちらでもいいかなと思っているみたいです(「司法修習生への給費制が復活するって本当?」(平成28年12月19日のブログ記事)参照)。

参議院議員の選挙制度の推移(最高裁大法廷平成29年9月27日判決からの抜粋)

最高裁大法廷平成29年9月27日判決は,参議院議員の選挙制度の推移について以下のとおり判示しています(ナンバリング及び改行を追加しました。)。

1 参議院議員選挙法(昭和22年法律第11号)は,参議院議員の選挙について,参議院議員250人を全国選出議員100人と地方選出議員150人とに区分し,全国選出議員については,全都道府県の区域を通じて選出されるものとする一方,地方選出議員については,その選挙区及び各選挙区における議員定数を別表で定め,都道府県を単位とする選挙区において選出されるものとした。
そして,選挙区ごとの議員定数については,憲法が参議院議員につき3年ごとにその半数を改選すると定めていることに応じて,各選挙区を通じその選出議員の半数が改選されることとなるように配慮し,定数を偶数として最小2人を配分する方針の下に,各選挙区の人口に比例する形で,2人ないし8人の偶数の議員定数を配分した。昭和25年に制定された公職選挙法の定数配分規定は,上記の参議院議員選挙法の議員定数配分規定をそのまま引き継いだものであり,その後に沖縄県選挙区の議員定数2人が付加されたほかは,平成6年法律第47号による公職選挙法の改正(以下「平成6年改正」という。)まで,上記定数配分規定に変更はなかった。
なお,昭和57年法律第81号による公職選挙法の改正(以下「昭和57年改正」という。)により,参議院議員252人は各政党等の得票に比例して選出される比例代表選出議員100人と都道府県を単位とする選挙区ごとに選出される選挙区選出議員152人とに区分されることになったが,この選挙区選出議員は,従来の地方選出議員の名称が変更されたものにすぎない。
その後,平成12年法律第118号による公職選挙法の改正(以下「平成12年改正」という。)により,参議院議員の総定数が242人とされ,比例代表選出議員96人及び選挙区選出議員146人とされた。
2(1) 参議院議員選挙法制定当時,選挙区間における議員1人当たりの人口の最大較差(以下,各立法当時の「選挙区間の最大較差」というときは,この人口の最大較差をいう。)は2.62倍(以下,較差に関する数値は,全て概数である。)であったが,人口変動により次第に拡大を続け,平成4年に施行された参議院議員通常選挙(以下,単に「通常選挙」といい,この通常選挙を「平成4年選挙」という。)当時,選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の最大較差(以下,各選挙当時の「選挙区間の最大較差」というときは,この選挙人数の最大較差をいう。)が6.59倍に達した後,平成6年改正における7選挙区の定数を8増8減する措置により,平成2年10月実施の国勢調査結果による人口に基づく選挙区間の最大較差は4.81倍に縮小した。
その後,平成12年改正における3選挙区の定数を6減する措置及び平成18年法律第52号による公職選挙法の改正(以下「平成18年改正」という。)における4選挙区の定数を4増4減する措置の前後を通じて,平成7年から同19年までに施行された各通常選挙当時の選挙区間の最大較差は5倍前後で推移した。
(2)   しかるところ,当裁判所大法廷は,定数配分規定の合憲性に関し,最高裁昭和54年(行ツ)第65号同58年4月27日大法廷判決・民集37巻3号345頁(以下「昭和58年大法廷判決」という。)において後記3(1)の基本的な判断枠組みを示した後,平成4年選挙について,違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態が生じていた旨判示したが(最高裁平成6年(行ツ)第59号同8年9月11日大法廷判決・民集50巻8号2283頁),平成6年改正後の定数配分規定の下で施行された2回の通常選挙については,上記の状態に至っていたとはいえない旨判示した(最高裁平成9年(行ツ)第104号同10年9月2日大法廷判決・民集52巻6号1373頁,最高裁平成11年(行ツ)第241号同12年9月6日大法廷判決・民集54巻7号1997頁)。
その後,平成12年改正後の定数配分規定の下で施行された2回の通常選挙及び平成18年改正後の定数配分規定の下で平成19年に施行された通常選挙のいずれについても,当裁判所大法廷は,上記の状態に至っていたか否かにつき明示的に判示することなく,結論において当該各定数配分規定が憲法に違反するに至っていたとはいえない旨の判断を示した(最高裁平成15年(行ツ)第24号同16年1月14日大法廷判決・民集58巻1号56頁,最高裁平成17年(行ツ)第247号同18年10月4日大法廷判決・民集60巻8号2696頁,最高裁平成20年(行ツ)第209号同21年9月30日大法廷判決・民集63巻7号1520頁)。
もっとも,上掲最高裁平成18年10月4日大法廷判決においては,投票価値の平等の重要性を考慮すると投票価値の不平等の是正について国会における不断の努力が望まれる旨の,上掲最高裁平成21年9月30日大法廷判決においては,当時の較差が投票価値の平等という観点からはなお大きな不平等が存する状態であって,選挙区間における投票価値の較差の縮小を図ることが求められる状況にあり,最大較差の大幅な縮小を図るためには現行の選挙制度の仕組み自体の見直しが必要となる旨の指摘がそれぞれされるなど,選挙区間の最大較差が5倍前後で常態化する中で,較差の状況について投票価値の平等の観点から実質的にはより厳格な評価がされるようになっていた。
3 平成22年7月11日,選挙区間の最大較差が5.00倍の状況において施行された通常選挙(以下「平成22年選挙」という。)につき,最高裁平成23年(行ツ)第51号同24年10月17日大法廷判決・民集66巻10号3357頁(以下「平成24年大法廷判決」という。)は,結論において同選挙当時の定数配分規定が憲法に違反するに至っていたとはいえないとしたものの,長年にわたる制度及び社会状況の変化を踏まえ,参議院議員の選挙であること自体から直ちに投票価値の平等の要請が後退してよいと解すべき理由は見いだし難く,都道府県が政治的に一つのまとまりを有する単位として捉え得ること等の事情は数十年間にもわ
たり投票価値の大きな較差が継続することを正当化する理由としては十分なものとはいえなくなっており,都道府県間の人口較差の拡大が続き,総定数を増やす方法を採ることにも制約がある中で,都道府県を各選挙区の単位とする仕組みを維持しながら投票価値の平等の要求に応えていくことはもはや著しく困難な状況に至っているなどとし,それにもかかわらず平成18年改正後は投票価値の大きな不平等がある状態の解消に向けた法改正が行われることのないまま平成22年選挙に至ったことなどの事情を総合考慮すると,同選挙当時の最大較差が示す選挙区間における投票価値の不均衡は,違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあった旨判示するとともに,都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行の方式をしかるべき形で改めるなど,現行の選挙制度の仕組み自体の見直しを内容とする立法的措置を講じ,できるだけ速やかに違憲の問題が生ずる上記の不平等状態を解消する必要がある旨を指摘した。
4(1) 平成24年大法廷判決の言渡し後,平成24年11月16日に公職選挙法の一部を改正する法律案が成立し(平成24年法律第94号。以下「平成24年改正法」という。),同月26日に施行された(以下,同法による改正後,平成27年法律第60号による改正前の定数配分規定を「本件旧定数配分規定」という。)。
平成24年改正法の内容は,平成25年7月に施行される通常選挙に向けた改正として選挙区選出議員について4選挙区で定数を4増4減するものであり,その附則には,同28年に施行される通常選挙に向けて,選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い,結論を得るものとする旨の規定が置かれていた。
(2)   平成25年7月21日,本件旧定数配分規定の下での初めての通常選挙が施行された(以下「平成25年選挙」という。)。同選挙当時の選挙区間の最大較差は4.77倍であった。
5 平成25年9月,参議院において同28年に施行される通常選挙に向けた参議院選挙制度改革について協議を行うため,選挙制度の改革に関する検討会の下に選挙制度協議会が設置された。同協議会においては,平成26年4月に選挙制度の仕組みの見直しを内容とする具体的な改正案として座長案が示され,その後に同案の見直し案も示された。
これらの案は,基本的には,議員1人当たりの人口の少ない一定数の選挙区を隣接区と合区してその定数を削減し,人口の多い一定数の選挙区の定数を増やして選挙区間の最大較差を大幅に縮小するというものであるところ,同協議会において,同年5月以降,上記の案や参議院の各会派の提案等をめぐり検討と協議が行われた(上記各会派の提案の中には,上記の案を基礎として合区の範囲等に修正を加える提案のほか,都道府県に代えてより広域の選挙区の単位を新たに創設する提案等が含まれていた。)。
そして,同協議会において,更に同年11月以降,意見集約に向けて協議が行われたが,各会派の意見が一致しなかったことから,同年12月26日,各会派から示された提案等を併記した報告書が参議院議長に提出された。
6 このような協議が行われている状況の中で,平成25年選挙につき,最高裁平成26年(行ツ)第155号,第156号同年11月26日大法廷判決・民集68巻9号1363頁(以下「平成26年大法廷判決」という。)は,平成24年大法廷判決の判断に沿って,平成24年改正法による前記4増4減の措置は,都道府県を各選挙区の単位とする選挙制度の仕組みを維持して一部の選挙区の定数を増減するにとどまり,現に選挙区間の最大較差については上記改正の前後を通じてなお5倍前後の水準が続いていたのであるから,投票価値の不均衡について違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態を解消するには足りないものであったといわざるを得ず,したがって,平成24年改正法による上記の措置を経た後も,選挙区間における投票価値の不均衡は違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあった旨判示するとともに,都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行の方式をしかるべき形で改めるなどの具体的な改正案の検討と集約が着実に進められ,できるだけ速やかに,現行の選挙制度の仕組み自体の見直しを内容とする立法的措置によって上記の不平等状態が解消される必要がある旨を指摘した。
7(1) 選挙制度の改革に関する検討会は,前記(5)の報告書の提出を受けて協議を行ったが,各会派が一致する結論を得られなかったことから,平成27年5月29日,各会派において法案化作業を行うこととされた。
そして,各会派における検討が進められた結果,各会派の見解は,人口の少ない選挙区について合区を導入することを内容とする①「4県2合区を含む10増10減」の改正案と②「20県10合区による12増12減」の改正案とにおおむね集約され,同年7月23日,上記各案を内容とする公職選挙法の一部を改正する法律案がそれぞれ国会に提出された。
上記①の改正案に係る法律案は,選挙区選出議員の選挙区及び定数について,鳥取県及び島根県,徳島県及び高知県をそれぞれ合区して定数2人の選挙区とするとともに,3選挙区の定数を2人ずつ減員し,5選挙区の定数を2人ずつ増員することなどを内容とするものであり,その附則7条には,平成31年に行われる通常選挙に向けて,参議院の在り方を踏まえて,選挙区間における議員1人当たりの人口の較差の是正等を考慮しつつ選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い,必ず結論を得るものとするとの規定が置かれていた。
(2)   平成27年7月28日,上記①の改正案に係る公職選挙法の一部を改正する法律案が成立し(平成27年法律第60号。以下「平成27年改正法」という。),同年11月5日に施行された(以下,同法による改正後の定数配分規定を「本件定数配分規定」という。)。
同法による公職選挙法の改正(以下「平成27年改正」という。)の結果,平成22年10月実施の国勢調査結果による人口に基づく選挙区間の最大較差は2.97倍となった。
8 平成28年7月10日,本件定数配分規定の下での初めての通常選挙として,本件選挙が施行された。
本件選挙当時の選挙区間の最大較差は3.08倍であった。

衆議院議員の選挙制度の推移(最高裁大法廷平成27年11月25日判決からの抜粋)

最高裁大法廷平成27年11月25日判決は,衆議院議員の選挙制度の推移について以下のとおり判示しています(ナンバリング及び改行を追加しました。)。

1(1) 昭和25年に制定された公職選挙法は,衆議院議員の選挙制度につき,中選挙区単記投票制を採用していたが,平成6年1月に公職選挙法の一部を改正する法律(平成6年法律第2号)が成立し,その後,平成6年法律第10号及び同第104号によりその一部が改正され,これらにより,衆議院議員の選挙制度は,従来の中選挙区単記投票制から小選挙区比例代表並立制に改められた(以下,上記改正後の当該選挙制度を「本件選挙制度」という。)。
(2)   本件選挙施行当時の本件選挙制度によれば,衆議院議員の定数は475人とされ,そのうち295人が小選挙区選出議員,180人が比例代表選出議員とされ(公職選挙法4条1項),小選挙区選挙については,全国に295の選挙区を設け,各選挙区において1人の議員を選出するものとされ(同法13条1項,別表第1。以下,後記の改正の前後を通じてこれらの規定を併せて「区割規定」という。),比例代表選出議員の選挙(以下「比例代表選挙」という。)については,全国に11の選挙区を設け,各選挙区において所定数の議員を選出するものとされている(同法13条2項,別表第2)。総選挙においては,小選挙区選挙と比例代表選挙とを同時に行い,投票は小選挙区選挙及び比例代表選挙ごとに1人1票とされている(同法31条,36条)。
2(1) 平成6年1月に上記の公職選挙法の一部を改正する法律と同時に成立した衆議院議員選挙区画定審議会設置法(以下,後記の改正の前後を通じて「区画審設置法」という。)によれば,衆議院議員選挙区画定審議会(以下「区画審」という。)は,衆議院小選挙区選出議員の選挙区の改定に関し,調査審議し,必要があると認めるときは,その改定案を作成して内閣総理大臣に勧告するものとされている(同法2条)。
(2)   平成24年法律第95号による改正前の区画審設置法3条(以下「旧区画審設置法3条」という。)は,上記の選挙区の区割りの基準(以下,後記の改正の前後を通じて「区割基準」という。)につき,①1項において,上記の改定案を作成するに当たっては,各選挙区の人口の均衡を図り,各選挙区の人口のうち,その最も多いものを最も少ないもので除して得た数が2以上とならないようにすることを基本とし,行政区画,地勢,交通等の事情を総合的に考慮して合理的に行わなければならないものと定めるとともに,②2項において,各都道府県の区域内の選挙区の数は,各都道府県にあらかじめ1を配当することとし(以下,このことを「1人別枠方式」という。),この1に,小選挙区選出議員の定数に相当する数から都道府県の数を控除した数を人口に比例して各都道府県に配当した数を加えた数とすると定めていた(以下,この区割基準を「旧区割基準」といい,この規定を「旧区割基準規定」ともいう。)。
(3)   本件選挙制度の導入の際に上記の1人別枠方式を含む旧区画審設置法3条2項所定の定数配分の方式を定めることについて,区画審設置法の法案の国会での審議においては,法案提出者である政府側から,各都道府県への選挙区の数すなわち議員の定数の配分については,投票価値の平等の確保の必要性がある一方で,過疎地域に対する配慮,具体的には人口の少ない地方における定数の急激な減少への配慮等の視点も重要であることから定数配分上配慮したものである旨の説明がされていた。
(4) 選挙区の改定に関する区画審の勧告は,統計法5条2項本文(平成19年法律第53号による改正前は4条2項本文)の規定により10年ごとに行われる国勢調査の結果による人口が最初に官報で公示された日から1年以内に行うものとされ(区画審設置法4条1項),さらに,区画審は,各選挙区の人口の著しい不均衡その他特別の事情があると認めるときは,勧告を行うことができるものとされている(同条2項)。
3(1) 区画審は,平成12年10月に実施された国勢調査(以下「平成12年国勢調査」という。)の結果に基づき,平成13年12月,衆議院小選挙区選出議員の選挙区に関し,旧区画審設置法3条2項に従って各都道府県の議員の定数につきいわゆる5増5減を行った上で,同条1項に従って各都道府県内における選挙区割りを策定した改定案を作成して内閣総理大臣に勧告し,これを受けて,同14年7月,その勧告どおり選挙区割りの改定を行うことなどを内容とする公職選挙法の一部を改正する法律(平成14年法律第95号)が成立した。
(2)   平成21年8月30日施行の衆議院議員総選挙(以下「平成21年選挙」という。)の小選挙区選挙は,同法により改定された選挙区割り(以下「旧選挙区割り」という。)の下で施行されたものである(以下,平成21年選挙に係る衆議院小選挙区選出議員の選挙区を定めた上記改正後(平成24年法律第95号による改正前)の公職選挙法13条1項及び別表第1を併せて「旧区割規定」という。)。
4(1) 平成14年の上記改正の基礎とされた平成12年国勢調査の結果による人口を基に,旧区割規定の下における選挙区間の人口の較差を見ると,最大較差は人口が最も少ない高知県第1区と人口が最も多い兵庫県第6区との間で1対2.064(以下,較差に関する数値は,全て概数である。)であり,高知県第1区と比べて較差が2倍以上となっている選挙区は9選挙区であった。
また,平成21年選挙当日における選挙区間の選挙人数の最大較差は,選挙人数が最も少ない高知県第3区と選挙人数が最も多い千葉県第4区との間で1対2.304であり,高知県第3区と比べて較差が2倍以上となっている選挙区は45選挙区であった。
(2) このような状況の下で旧選挙区割りに基づいて施行された平成21年選挙について,最高裁平成22年(行ツ)第207号同23年3月23日大法廷判決・民集65巻2号755頁(以下「平成23年大法廷判決」という。)は,選挙区の改定案の作成に当たり,選挙区間の人口の最大較差が2倍未満になるように区割りをすることを基本とすべきものとする旧区画審設置法3条1項の定めは,投票価値の平等の要請に配慮した合理的な基準を定めたものであると評価する一方,平成21年選挙時において,選挙区間の投票価値の較差が上記のとおり拡大していたのは,各都道府県にあらかじめ1の選挙区数を割り当てる同条2項の1人別枠方式がその主要な要因となっていたことが明らかであり,かつ,人口の少ない地方における定数の急激な減少への配慮等の視点から導入された1人別枠方式は既に立法時の合理性が失われていたものというべきであるから,旧区割基準のうち1人別枠方式に係る部分及び旧区割基準に従って改定された旧区割規定の定める旧選挙区割りは憲法の投票価値の平等の要求に反する状態に至っていたと判示した。
そして,同判決は,これらの状態につき憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったとはいえず,旧区割基準規定及び旧区割規定が憲法14条1項等の憲法の規定に違反するものということはできないとした上で,事柄の性質上必要とされる是正のための合理的期間内に上記の状態を解消するために,できるだけ速やかに旧区割基準中の1人別枠方式を廃止し,旧区画審設置法3条1項の趣旨に沿って旧区割規定を改正するなど,投票価値の平等の要請にかなう立法的措置を講ずる必要があると判示した。
5(1) その後,平成23年大法廷判決を受けて行われた各政党による検討及び協議を経て,平成24年6月及び7月に複数の政党の提案に係る改正法案がそれぞれ国会に提出され,これらの改正法案のうち,旧区画審設置法3条2項の削除及びいわゆる0増5減(各都道府県の選挙区数を増やすことなく議員1人当たりの人口の少ない5県の各選挙区数をそれぞれ1減ずることをいう。以下同じ。)を内容とする改正法案が,同年11月16日に平成24年法律第95号(以下「平成24年改正法」という。)として成立した。
平成24年改正法は,附則において,旧区画審設置法3条2項を削除する改正規定は公布日から施行するものとする一方で,各都道府県の選挙区数の0増5減を内容とする改正後の公職選挙法の規定は次回の総選挙から適用する(公職選挙法の改正規定は別に法律で定める日から施行する)ものとし,上記0増5減を前提に,区画審が選挙区間の人口の較差が2倍未満となるように選挙区割りを改める改定案の勧告を公布日から6月以内に行い,政府がその勧告に基づいて速やかに法制上の措置を講ずべき旨を定めた。
上記の改正により,旧区画審設置法3条1項が同改正後の区画審設置法3条(以下「新区画審設置法3条」という。)となり,同条においては前記2①の基準のみが区割基準として定められている(以下,この区割基準を「新区割基準」という。)。
(2)   平成24年改正法の成立と同日に衆議院が解散され,その1か月後の平成24年12月16日に衆議院議員総選挙(以下「平成24年選挙」という。)が施行されたが,同選挙までに新たな選挙区割りを定めることは時間的に不可能であったため,同選挙は平成21年選挙と同様に旧区割規定及びこれに基づく旧選挙区割りの下で施行されることとなった。
6(1) 平成24年改正法の成立後,同法の附則の規定に従って区画審による審議が行われ,平成25年3月28日,区画審は,内閣総理大臣に対し,選挙区割りの改定案の勧告を行った。この改定案は,平成24年改正法の附則の規定に基づき,各都道府県の選挙区数の0増5減を前提に,選挙区間の人口の較差が2倍未満となるように17都県の42選挙区において区割りを改めることを内容とするものであった。
(2)   上記勧告を受けて,平成25年4月12日,内閣は,平成24年改正法に基づき,同法のうち上記0増5減を内容とする公職選挙法の改正規定の施行期日を定めるとともに,上記改定案に基づく選挙区割りの改定を内容とする公職選挙法の改正事項(旧区割規定の改正規定及びその施行期日)を定める法制上の措置として,平成24年改正法の一部を改正する法律案を国会に提出し,平成25年6月24日,この改正法案が平成25年法律第68号(以下「平成25年改正法」という。)として成立した。
平成25年改正法は同月28日に公布されて施行され,同法による改正後の平成24年改正法中の上記0増5減及びこれを踏まえた区画審の上記改定案に基づく選挙区割りの改定を内容とする公職選挙法の改正規定はその1か月後の平成25年7月28日から施行されており,この改正により,各都道府県の選挙区数の0増5減とともに上記改定案のとおりの選挙区割りの改定が行われた(以下,上記改正後の公職選挙法13条1項及び別表第1を併せて「本件区割規定」といい,本件区割規定に基づく上記改定後の選挙区割りを「本件選挙区割り」という。)。
(3)   上記改定の結果,本件選挙区割りの下において,平成22年10月1日を調査時とする国勢調査(以下「平成22年国勢調査」という。)の結果によれば選挙区間の人口の最大較差は1対1.998となるものとされたが,平成25年3月31日現在及び同26年1月1日現在の各住民基本台帳に基づいて総務省が試算した選挙区間の人口の最大較差はそれぞれ1対2.097及び1対2.109であり,上記試算において較差が2倍以上となっている選挙区はそれぞれ9選挙区及び14選挙区であった。
(4)   平成24年改正法が成立した日の衆議院解散により施行された平成24年選挙につき,最高裁平成25年(行ツ)第209号,第210号,第211号同年11月20日大法廷判決・民集67巻8号1503頁(以下「平成25年大法廷判決」という。)は,同選挙時において旧区割規定の定める旧選挙区割りは平成21年選挙時と同様に憲法の投票価値の平等の要求に反する状態にあったものではあるが,前記5のような平成24年選挙までの間の国会における是正の実現に向けた取組が平成23年大法廷判決の趣旨を踏まえた立法裁量権の行使として相当なものでなかったとはいえないから,憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったとはいえず,旧区割規定が憲法14条1項等の憲法の規定に違反するものということはできないとした上で,国会においては今後も新区画審設置法3条の趣旨に沿った選挙制度の整備に向けた取組が着実に続けられていく必要があると判示した。
7(1) 平成26年11月21日の衆議院解散に伴い,同年12月14日,前記0増5減の措置による改定を経た本件選挙区割りの下において本件選挙が施行された。本件選挙当日における選挙区間の選挙人数の較差を見ると,選挙人数が最も少ない選挙区(宮城県第5区)と比べて,選挙人数が最も多い選挙区(東京都第1区)との間で1対2.129であり,その他12の選挙区との間で較差が2倍以上となっていた(なお,本件選挙当日において,東京都第1区の選挙人数は,宮城県第5区,福島県第4区,鳥取県第1区,同第2区,長崎県第3区,同第4区,鹿児島県第5区,三重県第4区,青森県第3区,長野県第4区,栃木県第3区及び香川県第3区の12選挙区の各選挙人数のそれぞれ2倍以上となっていた。)。
(2)   このような状況において本件選挙区割りの下で施行された本件選挙について,本件区割規定が憲法に違反するとして各選挙区における選挙を無効とすることを求める選挙無効訴訟が8高等裁判所及び6高等裁判所支部に提起され,平成27年3月から同年4月までの間に,本件の原判決を含む各判決が言い渡された。
上記各判決のうち,4件の判決においては,前記0増5減の措置による改定を経た本件選挙区割りは憲法の投票価値の平等の要求に反する状態にあったとはいえないとされ,13件の判決においては,上記改定後も本件選挙区割りは憲法の投票価値の平等の要求に反する状態にあったとされ,後者のうち,12件の判決においては,憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったとはいえず,本件区割規定は憲法の規定に違反するに至っているとはいえないとされ,1件の判決においては,憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったとして,本件区割規定は憲法の規定に違反するに至っており,本件選挙の違法を宣言すべきであるとされた。
8 平成25年改正法の成立の前後を通じて,国会においては,今後の人口異動によっても憲法の投票価値の平等の要求に反する状態とならないようにするための制度の見直しについて,総定数の削減の要否等を含め,引き続き検討が続けられ,平成26年6月には,衆議院に,有識者により構成される検討機関として衆議院選挙制度に関する調査会が設置され,同調査会において衆議院議員選挙の制度の在り方の見直し等が進められており,衆議院議院運営委員会において同調査会の設置の議決がされた際に,同調査会の答申を各会派において尊重するものとする旨の議決も併せてされている。
同調査会においては,同年9月以降,本件選挙の前後を通じて,定期的な会合が開かれ,投票価値の較差の更なる縮小を可能にする定数配分等の制度の見直しを内容とする具体的な改正案などの検討が行われている。

閉会中解散は可能であることに関する内閣法制局長官の答弁

○真田秀夫内閣法制局長官は,昭和54年3月19日の衆議院決算委員会において以下の答弁をしています(ナンバリング及び改行を行っています。)。
1(1) 衆議院を解散するという、これは厳密に言えば天皇の国事行為でございまして、御承知のとおり、内閣の助言と承認によって天皇の名前で衆議院の解散が行われるわけでございまするが、その解散の時期については憲法上どこにもその制約がございません。
   もともと衆議院の解散という行為は、それは時の政府が国民に向かって自分の政策あるいは自分のその内閣の存続についての国民の意思を問いかけるという非常に政治的な行為でございますが、そういう性格から見まして、憲法上どこにもその制約がない、時期について制約がないということは、もっぱら政府の政治的な判断に基づいてやるべきものであるというふうに理解されるわけでございます。
   この点につきましては、いろいろ学説を調べてみましたけれども、もうほとんど全部と言っていいくらい、理論上は国会の閉会中でも衆議院の解散は可能であるというふうに書いてございます。ただ、明治憲法以来現在まで国会――まあ昔は帝国議会でございますが、議会なり国会の閉会中に現実に衆議院の解散が行われたという事例はございません。
(2) なお、念のために申し上げますと、現在の憲法が審議されましたいわゆる制憲議会、その制憲議会におきまして、やはり閉会中のもちろん新憲法による衆議院の解散というのがあり得るのかという御質問がございまして、当時金森国務大臣が、それは非常に慎重にやらなきゃいかぬことは当然であるけれども、理論的に所見を言えということを申されますならば、もちろん解散はできるものと思っておりますという明確な御答弁がございます。
御参考までに申し上げました。
2 いまだかつて〔閉会中解散の〕前例がないわけでございますので、その前例をもとにして御説明するわけにはいかないわけでございます。
   ただ理屈上は、国会の本会議が開会されている時期に、例の紫色のふくさを持って議長にお届けする、議長が、ただいま解散の詔書が出ましたという朗読をされまして、そうして各衆議院議員の方が、どういう意味合いか知りませんが、万歳を唱えてそこで無事解散ということになるわけなんですが、ただ、いままでに、本会議が開かれておらない時点で解散が行われたこと〔山中注:昭和27年8月28日に第14回国会が解散されたことを指していると思います。その後、昭和55年5月19日に第91回国会が、昭和61年6月2日に第105回国会が、本会議が開いていない時点で解散されました。〕はあるんです。
   その場合には、本会議が開かれておらないわけですから、ただいま申しましたような万歳の機会が実はなかったわけですが、その場合はどうしたかといいますと、議長に――もちろん事務総長を通してでございますが、議長に内閣の方から解散の詔書をお届けして、そして議長が各会派の代表者を議長室にお招きになってそして解散の旨をお伝えになる、そういうことが行われたようでございます。
   したがいまして、それがやや似ていると言えば似ている先例ということになりますので、もし閉会中に解散が行われると、それはただいま申しました本会議が開かれておらない時点において行われた解散の場合の手続に準じて、議長室に議長はいらっしゃいますから、議長のところへお届けして、議長がしかるべき手順を踏んで各会派の方にお伝えになると、こういう御手続を踏まれることになるだろうと思います。
3 なおついでに申し上げますと、もし閉会中は国会解散ができないのだという解釈をとりますと、たとえば国会の会期の最終日なり、あるいは非常に会期の終了間近に衆議院において内閣の不信任案が可決され、または信任案が否決されるというようなことがあった場合に、憲法69条は、そういう場合には10日間、つまり内閣は10日間、総辞職をするか解散をするかどちらかの選択をしなさいという選択権を与えているわけなんで、いま申しましたように、会期の終了間近、つまり10日以内の間近に衆議院において内閣の不信任案が可決されたような場合にはもうその選択ができないというような不都合なことになりますので、それでやはり閉会中においても解散ができるのだという解釈の趣旨は、憲法69条から見てもやはり是認されてしかるべきであろうというふうに考えるわけでございます。