即位の礼及び大嘗祭に関する,平成2年4月17日の衆議院内閣委員会における質疑応答

○即位の礼及び大嘗祭に関する,平成2年4月17日の衆議院内閣委員会における質疑応答は以下のとおりです。
なお,文中の山口(那)委員は山口那津男衆議院議員(平成21年9月30日に第3代公明党代表に就任)(34期の弁護士)であり,工藤政府委員は工藤敦夫内閣法制局長官であり,宮尾政府委員は宮尾盤宮内庁次長であり,多田説明員は内閣官房内閣参事官室首席内閣参事官兼内閣総理大臣官房総務課長です。

○山口(那)委員 私は、即位の礼、大嘗祭等についてお尋ねするものでありますが、その前提として、次の点を確認しておきたいと思います。
まず、公明党は、党の綱領で日本国憲法を守るということを規定した唯一の政党であり、象徴天皇制も是認すると同時に、国民主権及び信教の自由を初めとする基本的人権を擁護する立場に立っております。私は、日本国憲法のもとで生まれ育った者として初めて即位の礼を迎えるわけでありますが、主権を有する国民の一人として、この憲法の趣旨を最大限に尊重する立場で御答弁をお願いしたい、このように思います。
さてそこで、即位の礼に対しては、旧皇室典範及び登極令等に詳細な規定が置かれてありますが、このたびの即位の礼は、国事行為として行う範囲として、即位礼正殿の儀、祝賀御列の儀、饗宴の儀、この三つに集約されました。この儀式の範囲を定めるに当たって、憲法の趣旨に沿ってどのような点を配慮したのか、具体的に述べていただきたいと思います。
○多田説明員 皇室典範の二十四条で「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。」という規定がございまして、その即位の礼というものが具体的にどういうものを指すかということについては、各方面からいろいろな意見がございましたので、準備委員会で慎重に検討いたしまして、そして先生おっしゃったとおり憲法の趣旨に沿って、しかも皇室の伝統等を尊重してという基本路線で各儀式等を検討して整理をしていった結果、この三つは即位の礼ということで国事行為として行うことに非常にふさわしい儀式だというふうに判断をいたしまして、この三つに具体的には決定させていただいたということでございます。
○山口(那)委員 その際、旧登極令に細かな規定があるわけですが、それらのすべての儀式のうちからこの三つに絞ったということは、例えば宗教性の伴う儀式等を外したということになるのでしょうか。
○多田説明員 おっしゃるとおり、宗教の問題のほかにも現行の憲法から考えるとどうもふさわしくないという性格のものもかなりございますので、そういうものは全部外させていただいたということでございます。
○山口(那)委員 その宗教的性格のほかに、現行憲法のもとでふさわしくないとお考えになった具体的な基準を幾つか述べていただきたいと思います。
○工藤政府委員 若干申し上げますと、今首席参事官の方から政教分離原則のお話がございましたけれども、それ以外にも、まず国民主権の原則に反しないかどうかというのが一つございます。それから、憲法一条に規定してございます象徴たる天皇にふさわしいものであるかどうか、こういった基準があろうかと思います。
○山口(那)委員 次に、さきの御崩御の際の内閣総理大臣の謹話にもありますように、天皇陛下におかせられましては国民とともに歩む皇室を念願されておられる旨が表明されておりますが、即位の礼はその陛下の念願を国民に示される非常によい機会であろうと思われます。この儀式のほかに何か具体的な方策をお考えでしょうか。
○宮尾政府委員 ただいま御質問にもありましたように、天皇陛下には国民とともに歩む皇室ということを絶えず念願をされておられまして、折あるごとにそのような機会を持つように努められておるわけでございます。
それで、具体的に即位礼等に関連をして何かあるかということの御質問でございますが、今回の一連の行事の一つといたしまして、御質問の趣旨に沿うような意味合いをもちまして一般参賀というものを新しく設けることといたしております。それから、京都、関西方面への御親謁も予定されておりますので、その際、ゆかりのある京都におきまして茶会を催し、関西方面の方々とも直接お会いして祝意を受けられ、陛下としてもお会いする機会を設けるというようなことを新しく考えておるわけでございます。
○山口(那)委員 そのほかに、例えばマスコミ等を通して国民に対してお言葉を述べられるような機会はお考えですか。
○宮尾政府委員 一般参賀では当然陛下も参賀においでになられた国民の方々に親しくお言葉をおかけになります。それから茶会等におきましても、これはまだ今後どうするかということでありますけれども、何らかのお言葉というものがあるのではなかろうか、こういうふうに考えられます。そしてそういうものが一般参賀なり茶会に取材にお見えになる報道関係等の方々を通じて国民に紹介をされるわけでございますので、御質問のような趣旨というものはそういう機会を設けることによって生かされておると思っております。
今、特別の形で何らかの予定がそれ以外にあるかという点については、考えておるものは特段ないわけでございます。これは一つの機会をつかまえてという御趣旨であろうかと思いますが、陛下のお気持ちというものは今後長い間の陛下のいろいろな機会における国民に対する接触の仕方、お言葉等の中で十分あらわれていくと考えておりますし、私どももそういう意味でいろいろなお手伝いをしていきたいと思っておるわけでございます。
(中略)
○山口(那)委員 次に、大嘗祭についてお尋ねします。
大嘗祭の伝統的意義についてもう一度確認をしたいと思います。いかがですか。
○宮尾政府委員 大嘗祭の伝統的な意義という御質問でございますが、これは日本書紀等にも記述がございますように、古くから大嘗、新嘗という区分は必ずしもその時代はなかったようでございますけれども、大嘗祭というものが御即位に伴って行われておる、こういう記述がございます。
それから、奈良時代に入りましては大嘗、新嘗の区別がなされまして、一番最初にその区別が行われて大嘗祭をとり行われたのは第四十代の天武天皇のときからであると言われております。
以来、御即位の都度、皇室にとりましては一世一度の非常に重要な即位儀礼という形で行われてまいりまして、そういった点は貞観儀式等にもきちんといろいろ書かれておるわけでございます。そういう意味からいたしまして、大嘗祭は皇室で長い間続いてきた伝統的儀式でありますが、これは一世一度の皇位継承儀礼であると私どもは重く考えておるわけでございます。
○山口(那)委員 大嘗祭の歴史的伝統に照らして、これは天皇個人に関する儀式という性格が強いのでしょうか、それとも皇室というある意味での集団に関する儀式という色彩が強いのでしょうか。
○宮尾政府委員 これを歴史的にどういうふうに申し上げるかというのはなかなか難しい話かもしれませんが、少なくとも現在の憲法では天皇は象徴的な地位、国民統合の象徴である。そういう象徴的な地位というお立場に立っておられます。古くから皇室が国内的にどういうお立場であったのか、こういうことはいろいろ難しい、難しいといいますか、一口に言うことはできないかもしれませんが、少なくとも、抽象的に申し上げれば今の憲法に明記されているようなお立場にあったと私ども考えておるわけでございます。
そういう意味で、天皇個人のということではなくて、御主宰になるのは天皇がお一人で御みずからなされますけれども、それは皇室にとっても非常に重要な儀式でありますし、それから現行の憲法のもとにおきましても、あるいは往時のいろいろな歴史的なものをたどってみましても、日本の天皇という意味でそういう行事をとり行われることは大変国家的な意味でも重要なことであったというふうに考えておるわけでございます。
○山口(那)委員 この大嘗祭は宗教的な性格を帯びているということが指摘されておりますが、どのような点で宗教的な性格があるとお考えでしょうか。
○宮尾政府委員 政府が昨年取りまとめました見解の中にもその点は記述をしてあるわけでございますが、大嘗祭の中心的な儀式としましての大嘗宮の儀というのは、陛下御みずからその年とれました新穀を皇祖、天神地祇にお供えになり、また、御みずからも召し上がって、そして安寧と五穀豊穣を感謝する。そういう儀式の趣旨、形式等からいたしまして宗教上の儀式としての性格を有することは否定しがたい。こういうふうに言われておるわけでございます。
○山口(那)委員 その際、宗教的な儀式というその宗教というのはどのような御理解をしておられますか。
○宮尾政府委員 これは皇室の伝統的な方式によりましてとり行われてきておるものでございまして、皇室におきましてはいろいろな祭祀を日常行っておられますし、事あるごとに皇室の伝統的な方式によりまして行っておられるわけでございます。大嘗祭もそういう意味では皇室の伝統に従った儀式のやり方で行われるだろうと理解をしておるわけでございます。
○山口(那)委員 その皇室の伝統的な方式というのは、神式で行うことを指しているわけですか。
○宮尾政府委員 いわゆる神式というのは、私どもそういう教学的な素養も十分持っておりませんし、間々世の中には誤解を招くような使い方もありますので注意をしなければならぬと思いますが、大きく分けて仏式だとか神式だとかキリスト教の方式だとかいろいろな方式というものがあるとすれば、そういう大きな意味での神式という考え方による方式であると言って差し支えないと思います。
○山口(那)委員 天皇が現人神とされた旧憲法のもとでは、学校教育の現場で、アマテラスオオミカミと天皇が御一体とおなりあそばす御神事であって、我が大日本が神の国であることを明らかにするものである、このように修身の教科書には書かれてあったわけですが、この大嘗祭というのはアマテラスオオミカミと天皇が御一体となる神事である、このように理解していいわけですか。
○宮尾政府委員 昭和十八年から終戦までの国定教科書にそのような記述があるということは私どもも承知をしておるわけでございますが、それをちょっと調べてみましたところ、これこそ実にオオミカミが天皇と御一体におなりあそばす御神事であって、我が大日本が神の国であることを明らかにするためというふうに書いてあるわけですね。昭和十八年から終戦までというのは日本にとっても非常に大変な時代でありまして、そういう中で、我が国は神の国だというようなことで戦意高揚を図ったという特殊な事情によってそういう記述がなされておるものではないかというふうに思うわけでございます。
天皇が神と一体となる儀式であるとか、神性を得る儀式であるかといういわゆる説、考え方を大嘗祭に関してはとられている向きがありますけれども、私ども理解しているところでは、大嘗祭は、何度もくどくど申し上げるようでございますが、天皇が御即位の後、初めて大嘗官において、新穀を皇祖、天神地祇にお供えになって、御みずからもお召し上がりになる、そして皇祖、天神地祇に対して安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、今後とも国家国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式というのが正確な理解であると思っておりまして、その式次第とかお告げ文等を先例等で見てみましても、そこには神と一体となるとか神性を得るとかいうことを見受けられる点はございません。したがいまして、宮内庁としてはそのような説には賛成いたしかねると考えておるわけでございます。
○山口(那)委員 大嘗祭が伝統的な皇室の姿に照らしてとり行われるわけでありますから、先ほどの修身の教科書の神事であるという記述はその時代の特殊な理解であって、現行憲法のもとでは皇室の伝統というものはそのような神事という側面を含まない、このように理解するわけですか。
○宮尾政府委員 戦争中の教科書の記述で特殊な事情によるものだと私が申し上げておりますのは、我が大日本が神の国であることを明らかにするためにそういうことが行われるということが書いてあるわけですね。まさに日本は神国であるという意識高揚を盛んに図った時代の特殊な考え方であろうと思うのです。
それで、神と一体になるという説は、私自身も専門外でこんなことを申し上げてはいかがかと思うのですが、いろいろな学説等をたどってみますと、折口信夫さんがそういうことを昭和の初頭に「大嘗祭の本義」というものに記述をされて、大嘗祭というものはそういうものだと一定の方々が唱えておられる。ところが、これについては、専門の学者の中でも、そういうことは全くない、折口さんが私人としての発想からそういうことを申されたのだということを最近の国学院の雑誌等に掲載されている先生もあるわけです。ですから、そういう意味で、特殊な学説で、これは完全に定着をしている学説ではないと御理解をいただきたいと思います。
それから、神事をするのではないかということでございますが、先ほど申し上げましたように陛下が安寧と五穀豊穣を皇祖並びに天神地祇にお祈りをするということでありますから、お祈りをするということはいわゆる神事的なことだと言われればそれを否定することはできないと考えておるわけでございます。
○山口(那)委員 学説のせんさくはともかくとして、私が一番聞きたいことは、天皇が神になるという側面を含むのかどうか、この点なんです。もう一度はっきり言ってください。
○宮尾政府委員 我々の立場と天皇陛下の立場を単純に比較していいかどうかわかりませんけれども、我々も神様にお祈りをする、仏様に手を合わせることがいろいろな折々にあるわけでございます。それから、我々が農民であればことしの五穀豊穣を祈ることはいろいろな形であろうと思うのです。そういうことがありますが、それによって大嘗宮の諸儀式の中に、天皇が神になるんだ、陛下が御みずから神様になるんだ、そういうことが見受けられる部分はないというふうに私どもは考えておるわけでございます。
○山口(那)委員 それでは、憲法二条で世襲を規定しておりますが、これは大嘗祭を当然に予定したものとして理解していますか、それとも大嘗祭は憲法の枠外のものだと理解していますか。
○工藤政府委員 大嘗祭が憲法二条で書いてございます世襲というのに非常に結びついているということは事実だろうと思います。
ただ、いわゆる皇室典範におきまして、先ほどもお話がございましたけれども、これは二十四条「即位の礼を行う。」というふうに書いてございまして、「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う。」ということは国事行為たる儀式として即位の礼を行うことを予定したものだと考えておりますが、大嘗祭の中核は、今も宮内庁次長からお話がございましたように、大嘗宮において天皇が皇祖及び天神地祇に安寧と五穀豊穣を祈念されるというふうなこともございますし、そういう趣旨、形式等から宗教上の儀式としての性格を有するんだ、そういうことは否定できないであろう。したがって、大嘗祭を七条で言う国事行為として行うとすれば、やはり憲法の二十条三項に言う宗教的活動を国が行うということになるのではないか、そういう疑いはなお消し切れませんので、そういう意味で大嘗祭を国事行為として行うべきではない、かように考えているわけでございます。
○山口(那)委員 大嘗祭をとり行う費用を宮廷費で支出するということですが、これは憲法二十条三項及び八十九条の趣旨と調和するのでしょうか。
○工藤政府委員 ただいまも申し上げましたように、大嘗祭は、皇位の継承があったときは必ず挙行される、一世に一度の儀式として古来から行われてきた、極めて皇位継承に結びついたあるいは皇位の世襲制と結びついた、即位に伴う儀式の一環である、こういうことだと思います。そういう意味で、いわば皇位とともに伝わるべき由緒ある儀式、こういうふうに性格づけられるだろうと思います。
皇位の世襲制、先ほども御指摘のように憲法二条にございますが、そういう世襲制をとる日本国憲法のもとにおきまして、その儀式の挙行について国として関心を持つ、人的あるいは物的な側面からその挙行を可能にするような手だてを講ずる、こういうことは当然であろうと考えられます。そういう意味で、大嘗祭は公的性格があるというふうなことを従来から申し上げてきているわけでございます。
ただ、大嘗祭が宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは今申し上げたように否定できないわけでございますけれども、例えば津の地鎮祭判決などに照らしましても、大嘗祭は皇室の行事として行われるものでございまして、国の機関の行事ではない。それから、その挙行のために必要な費用は、今申し上げたような大嘗祭の公的性格に着目いたしまして、宮廷費あるいは一部は宮内庁費から支出されるものでございます。そういう意味で、その支出の目的が宗教的意義を持たない。いわゆる津地鎮祭で言われます目的・効果論に照らしまして、支出の目的が宗教的意義を持たない、また特定宗教への助長、介入等の効果、その効果を有する行為を行うことになるとも言えない。そういうことで、国がこういうような面でかかわり合いを持ちましても、大嘗祭のための費用を公金から支出するということは憲法二十条三項の宗教的活動を国がするということにはならないし、また、そういうような公金の支出というものは、津の地鎮祭判決等に照らしましても憲法八十九条が禁止いたします宗教上の組織、団体に対するものというふうには言えないと思います。憲法八十九条の面からも問題はない、かように思っております。
○山口(那)委員 少なくとも法的な理解からすれば、世襲ということは血のつながりということを規定しているわけであって、当然に即位の儀式とそれに伴う大嘗祭までも予定しているものと理解するのは困難だろうと思います。また、憲法及び皇室典範二十四条に照らして言えば、皇位の継承というのは即位の礼に限られるわけであって、法律上は大嘗祭というものはそのらち外にあるというふうに理解すべきであろうと思います。
 その上で、この大嘗祭は公的性格があるというふうに盛んに述べられておりますが、公的性格があるなしということは、例えば私的な事柄として内廷費で賄うにはそぐわないという趣旨で述べるのであればそれは理解できますけれども、大嘗祭に国が宮廷費をもってお金を出すということは、まさに国家と宗教とのかかわりは否定できないわけで、それを合憲的にもし説明をするとすれば、もっと説得力のある理由を考える必要があろうかと思います。
 そこで、先ほどおっしゃった津の地鎮祭の事件の判決でありますが、原則的に行政当局としてはこの判決の意義をどのように理解されていますか。
○工藤政府委員 津の地鎮祭判決につきましては、いわゆる憲法の二十条あるいは八十九条、八十九条については比較的触れるところが少ないわけでございますが、そういう意味でそれの解釈の基準になるもの、かように考えております。
○山口(那)委員 行政府としてもその基準を尊重するというお立場かと思いますけれども、いわゆる目的・効果説と言われて先ほどお述べになりました。これは非常に抽象的な表現であったわけですが、大嘗祭とのかかわりにおいて具体的にその目的及び効果についてもう一度述べていただきたいと思います。
○工藤政府委員 今の御質問でございますが、具体的にと申しますと、まず第一に大嘗祭は皇室の行事として行われるもので、国の機関の行為ではないということでございます。その挙行のために必要な費用というものは、大嘗祭が皇位の世襲制と結びついて、一世に一度の儀式として古来から皇位の継承があったときは必ず挙行される、こういうことで行われてまいりました極めて重要な儀式である、そういう面に着目して、宮廷費からあるいは一部は宮内庁費から支出をいたしましても、その支出の目的がその宗教的意義に着目して支出をするものではないということが一つでございます。そういう意味で、目的・効果論のうちのまず目的の部分でございます。
 それから効果としましても、これが特定宗教への助長、介入という津地鎮祭判決で述べておりますようなそういう効果を有することになるとは到底言えないであろう、かように考えているわけでございます。
○山口(那)委員 今の御答弁は非常に抽象的でわかりにくいわけでありますけれども、大嘗祭が人的、物的な一体の宗教的性格を帯びる儀式として行われる以上、それを経済的に支えるということは、その目的において宗教的意義を持つことになりませんか。また、その効果において、特定の宗教かどうかはともかくとしても、それが宗教的儀式にかかわる、それを支持する人々に対してその援助、助長の感覚を覚えさせ、また、他の信仰を持つ人に対して圧迫感を覚えさせる。現に多数の宗教団体でこの大嘗祭の宮廷費支出については反対を述べているところもあるわけですけれども、その点について、今のような御答弁では到底納得しがたいものがあると思いますが、いかがですか。
○工藤政府委員 地鎮祭判決のその部分でございますけれども、「憲法二〇条三項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定するが、ここにいう宗教的活動とは、前述の政教分離原則の意義に照らしてこれをみれば、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。」というふうなことでございまして、私どもはこれに照らして、「かかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、」ということで目的・効果諭を解釈しているわけでございます。
○山口(那)委員 時間が少なくなりましたので、もう一点だけ伺います。
宮中三殿、これは皇室の私有財産として理解され、皇室経済法における「由緒ある物」、こういうふうに理解されているようですが、この宮中三殿の修繕あるいは建てかえ、この費用はどういう費目でお出しになるのですか。
○宮尾政府委員 宮中三殿は皇室御所有の財産でありますが、先生おっしゃったように、皇室経済法第七条に定める「皇室とともに伝わるべき由緒ある物」、こういう特殊な性格もあるわけでございます。したがいまして、これは国有財産ではもちろんありませんで、皇室が御所有の財産であるといたしましても、皇室経済法に特に「由緒ある物」として規定をされておるという意味におきまして公的な色彩を持つ財産というふうに考えられますから、建てかえということまでは申せませんが、その保存上必要な営繕等については宮廷費からこれを支出できると考え、また、そういうふうにいたしておるわけでございます。
○山口(那)委員 この宮中三殿の中に神殿というものもあるわけでして、やはりお金を出すということは宗教とのかかわりを否定できないわけですが、この点についても先ほどの目的・効果説のような御説明をされるわけですか。
○工藤政府委員 さようでございます。
○山口(那)委員 それでは最後になりますが、天皇陛下といえども私的生活の部分では信教の自由を当然享受されるわけでありまして、また、主権者である国民各位も同様であると思います。これらの行事の挙行に当たっては、そうした国民とともに歩む皇室を標榜されるわけですから、この信教の自由に対して十分な配慮をした上で行っていただくよう要望して、私の質問を終わります。

*1 しんぶん赤旗HP「天皇の「代替わり」にともなう儀式に関する申し入れ」(2018年3月22日発表)に,①剣璽(けんじ)等承継の儀,②即位後朝見の儀,③即位礼正殿の儀及び④大嘗祭に関する日本共産党の問題意識が書いてあります。
*2 以下の記事も参照してください。
① 柳本つとむ裁判官に関する情報,及び過去の分限裁判における最高裁判所大法廷決定の判示内容
② 人事院規則14-7(政治的行為),及び名古屋家裁裁判官の反天皇制に関する行為

天皇の崩御・即位に伴って行われる国事行為としての儀式に関する,昭和63年11月8日の衆議院決算委員会における質疑応答

○天皇の崩御・即位に伴って行われる国事行為としての儀式に関する,昭和63年11月8日の衆議院決算委員会における質疑応答は以下のとおりです。
なお,文中の東中委員は東中光雄衆議院議員(日本共産党)(3期の弁護士(大弁))であり,小渕国務大臣は小渕恵三内閣官房長官であり,味村政府委員は味村治内閣法制局長官であり,宮尾政府委員は宮尾盤宮内庁次長です。

○東中委員 私は、天皇の代がわりに伴う、憲法七条による国事行為としての諾儀式についてお伺いをしたいと思います。
主権在民と政教分離の原理が明記されております日本国憲法下において、天皇の代がわりの儀式がどのように行われるのか。憲法第七条の「天皇の国事行為」として行われる儀式はどういう儀式があるのか、お伺いをしたいと思います。
○味村政府委員 法律上の事柄について申し上げますが、憲法第七条は天皇の国事行為を限定列挙しているわけでございます。そして、その十号に「儀式を行ふこと。」というのがございまして、ここに言う「儀式」というのは、天皇が主宰されまして国の儀式として行うにふさわしいものを言うというふうに考えております。
ところで、皇室典範第二十四条には、「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う。」と規定しておりまして、また同じく、皇室典範の二十五条には「天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う。」こう規定しております。これは皇位の継承及び天皇の崩御がございました場合には、憲法第一条が規定いたしておりますように、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であることにかんがみまして、国事行為たる儀式として、即位の礼及び大喪の礼を行うことを予定したものと解されるわけであります。
○東中委員 国事行為として行われる即位の礼、それから大喪の礼、新皇室典範に書いてあるその儀式の具体的内容をお聞かせ願いたいと思います。
○小渕国務大臣 皇室典範に定める即位の礼及び大喪の礼の儀式は、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものになると考えておりますが、具体的内容につきましては現在お答えのできる段階ではございません。
○東中委員 今まで政府は、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重してということを言われておって、そうしたものにたると質問主意書に対する答弁もそう書いてあります。
問題は、皇室の伝統等を尊重すると言っておるその伝統というのは一体何なのかということに結局帰着するわけでありますが、帝国憲法と旧皇室典範では、名前は同じ天皇ですけれども、天皇は天照大神から授かった祖宗の神器を受ける、これは旧皇室典範に書いてありますね、受けた万世一系の神聖不可侵の現人神で、国の元首にして統治権の総攬者である、陸海軍の統帥権者である、こういう絶対的な天皇であったわけです。その天皇の代がわりの場合には、帝国憲法と旧皇室典範に基づいてつくられた皇室令、登極令なり皇室喪儀令なり、こうした皇室令に基づいて天皇代がわりの儀式がやられてきたわけであります。大正から昭和に代がわりしたときの儀式は、践祚の式として四儀式、大喪の儀として二十九儀式、即位の礼及び大嘗祭として二十八儀式、一年余にわたって合計六十一の儀式がとり行われてきた。このことは、宮内庁なども、我々の方に七九年の内閣委員会のときなどで資料で出されておるところであります。
そこで問題は、この皇室令というのは、日本国憲法によって、その九十八条の趣旨からいっても、帝国憲法及び皇室典範が現行憲法に反する、原理が反するものだとして廃止されたものですね。だから、皇室令に基づいてやられた明治以後の儀式というのは、皇室の伝統じゃなくて、帝国憲法に基づいた、旧皇室典範に基づいた皇室令によってやられたものであって、それは今や廃止されているものであります。だから、主権在民で、しかも政教分離の原理をちゃんと出している中では、さきに皇室令に基づいてやられた儀式を踏襲するということは、憲法原理がまるきり違いますから、私は許されないことだと思うのですが、その点についての政府の御見解を承りたいと思います。
○味村政府委員 旧皇室令が新憲法の施行と同時に廃止になっておりますことは、委員の御指摘のとおりでございます。しかし、旧皇室令によって行われておりました御喪儀なり即位の礼が、伝統でないということにはならないと存じます。したがいまして、今回の、先ほど申し上げました即位の礼なり大喪の礼につきましては、新憲法のもとで新憲法の趣旨に沿うような形で、しかも伝統を尊重して行われる、このような、先ほど官房長官の申されたとおりのことになるわけでございまして、およそ新憲法に違反するような儀式というものは国の儀式として行われることはないと申してよろしいと存じます。
○東中委員 天皇代がわりに際して行われる最初の国事行為としての儀式は、どういう儀式ですかい。
○宮尾政府委員 旧憲法下におきましては、践祚の式といたしまして、賢所の儀、皇霊殿・神殿に奉告の儀、剣璽渡御の儀及び践祚後朝見の儀というものが行われております。
○東中委員 何を言うていますか、あなた。新憲法、現在の憲法で最初にやられるのは何ですかと言うて聞いておるのであって、あなたの言われたいわゆる践祚の儀としての四つの儀式、それは旧憲法の皇室令に基づくものですね。だからそんなもの先刻承知なんですが、それをやるつもりですかということを聞いているのです。
ところで、現行の皇室典範によりますと、践祚という概念は既にありませんということを内閣法制局長官が既に答弁をしています。践祚の概念は現行法上ないのですから、践祚の儀式というものはあり得ないわけですが、その点はいかがですか。
○宮尾政府委員 先ほど申し上げましたように、旧憲法下におきましては四つの儀式が行われたわけでございますが、皇位継承があったときに行われます諸儀式のうちで国事に関する行為としての儀式は、憲法の趣旨に沿いまして、かつ、皇室の伝統を尊重したものになるというふうに考えておりますが、その具体的な内容につきましては現在お答えをする段階にはございません。
なお、践祚という言葉は現在の憲法、法律のもとでは即位という言葉になっております。
○東中委員 法制局長官が、践祚の概念は現行法制上ございませんという答弁をしたのは、七九年四月十七日の内閣委員会でそういう答弁をしています。宮内庁がそれを変えると言ったって始まらぬわけで、即位という言葉は前からもあったのです。それで、現行法の即位の言葉と前の即位の言葉では違う、践祚の概念は現行法上ない、しかし践祚の儀式はやるんだというのか、やらないというのか、ここが今の話でははっきりしないわけです。
改めてお伺いをしますけれども、先ほど宮内庁からお話のあった剣璽渡御の儀、現在は言葉をかえて剣璽等承継の儀という言葉で、いわゆる三種の神器などの承継儀式をやるというふうに準備をされているということが、一部もう既に報道をされておるわけです。その後、践祚後朝見の儀というのが即位後朝見の儀というふうに名前を変えてやろうとしているというふうなことが、既に情報として報道をされております。それで私はお聞きしたいのですが、剣璽渡御の儀あるいは即位後朝見の儀というふうなものは、名前を変えても実質的には同じようなことを国事行為としてやることは許されないと思うのですが、その点はいかがでしょうか。
○味村政府委員 先ほどの、現在の法制度のもとでは践祚という概念がないということを前の法制局長官が答弁したということでございますが、実は私その答弁を持ってきておりませんのではっきりしたことは申し上げられませんが、旧憲法のもとにおきましては、践祚というのは皇位の継承である、天皇の位を継承することを践祚と言い、そして、天皇の位を継承したということを内外に宣明することを即位と言ったというふうに、私はそのように理解をいたしております。現在は、先ほど宮内庁の方からおっしゃいましたように、践祚は即位と申しますか、践祚という言葉はございませんで、皇位を継承することはすなわち即位であるというように考えている次第でございます。また、皇室典範もそのように規定をしているものと存じます。
ところで、先ほどの剣璽渡御の儀等についての御質問でございましたが、これは先ほどから御答弁がございますように、皇位の継承があったときに行われます諸儀式のうちでどのような儀式を国事行為として行うかということについては、答弁できる段階にございませんということでございますので、それにつきましてまた御質問にお答えするということはできかねるということは、御理解いただけると思います。いずれにいたしましても、先ほど申し上げましたように、憲法に反する儀式を国の儀式として行うことはあり得ないわけでございます。
○東中委員 準備してないんだそうですが、私ここへ持ってきておりますので、先ほど言いました昭和五十四年四月十七日衆議院内閣委員会、当時の真田政府委員、法制局長官ですが、現行の制度で申しますと、践祚という概念が実はないわけなんでして、先ほどお読みになりました皇室典範の第四条で「皇嗣が、直ちに即位する。」ということと、云々とあって、次に、この「即位の礼を行う。」という場合の即位の礼は、憲法の規定に照らせば、憲法第七条の国事行為の末号にある「儀式を行ふこと。」という儀式に入るのだろうと思いますが、践祚という概念はもうございません。
と、はっきりそういうふうに言っているので、私が勝手に言っているわけでも何でもないのです。だから、今言われていることを、践祚という言葉がなくなったと、今法制局長官はそう言いました。ところが、ここは私は言葉のことを言っているのではなくて、そういう概念はなくなったんだ、現行制度上、概念はなくなったんだと前の法制局長官は言っているんです。そういうことをごまかしたらいかぬです。その点を指摘しておきます。
だから、践祚の概念がなくなったんだから、践祚の儀式というのはなくなるのが当たり前なのです。それをなくするのか、なくさないのかということについてはっきり言わないというのは、私はこれは非常に重要な問題を含んでいると思うのです。
といいますのは、いわゆる剣璽渡御の儀といいますのは、剣はいわゆる草薙剣というか天叢雲剣というものですね。それから曲玉ですね。それから、鏡の方は三種の神器の中に入るけれどもここには具体的には入らないようですが、そういう剣璽の神器を渡すのは、旧皇室典範には十条ではっきりと「祖宗ノ神器ヲ承ク」というふうにちゃんと書いてあるのですね。ところが、今度の皇室典範ではその部分が削られておるのですから、ないのですから、なくなっておるものをやっちゃいかぬ。
なぜなくなっておるかといえば、三種の神器の承継といいますのは、神話に基づいて天照大神から授けられた神器を新天皇に引き継ぐという儀式で、そして神格性を新天皇に持たせる。だから「神聖ニシテ侵スヘカラス」という旧憲法の天皇にはこれが要ったわけです。しかし、今の新天皇ではそういうものは一切ないのですから、「国民の総意に基く。」という象徴天皇なんですから、だから、そういうものをここへ持ってくるということになれば神話の世界を持ち込む。国の行為としてそれを持ち込むということになれば、これは主権在民の、しかも政教分離の原則をうたっている憲法上そういうことは許されないんだ。
憲法の趣旨に沿ってと言うなら、憲法の趣旨に沿ってこれはやめるべきであるというふうに思うのですが、改めてもう一回御見解をお伺いしたい。
○味村政府委員 先ほどから申し上げますように、具体的な問題についてお答えをできる段階ではございません。この儀式につきまして一番問題となりますのは、憲法第二十条第三項の政教分離の原則でございます。この憲法二十条三項の政教分離の原則につきましては、有名な地鎮祭に関する最高裁の判決がございます。私どもといたしましては、この最高裁の判決を尊重いたしまして、二十条三項に違反するかどうかということを絶えず判定している次第でございます。
○東中委員 もう一つ、即位の儀式に関連しまして。大正から昭和に移ったときは、先ほど申し上げたように、即位及び大嘗祭ということで、ここで大嘗祭の儀式が二十八のうちの相当部分を占めています。この大嘗祭については、国事行為の儀式としてあり得るということなんですか。そういうことは現行憲法上は許されないということなんですか。その点、前の真田法制局長官は、先ほど述べました答弁の続きで、「それから、大嘗祭については現在もう規定はないというふうにお考えになって結構だと思います。」という答弁をしています。
といいますのは、この大嘗祭といいますのは、万世一系の天皇が、神聖不可侵の国家統治の大権を持つ元首として、現人神としての位置につくというためにやられる大嘗祭なんです。大嘗祭がなかったら神格を持てないんだというふうに、これは歴史的には解明されていることですね。そういういわば皇室神道の中核的な呪術的儀式なんです。それを大嘗祭という形で、国家行為としてですよ、内閣の助言と承認によって行われる天皇の国事行為の儀式としてやられるということになりますと、まさに天皇神格化に結びつく。そして皇室神道をそのまま国家行事としてやってしまうということになるので、これは憲法の二十条はもちろん、これは天皇を主権者に押し上げていこうとするそういう動きと関連していきますので、私たちは憲法上絶対許されないというふうに考えております。
大嘗祭についていかがお考えてありますか、改めてお伺いしたいと思います。
○宮尾政府委員 大嘗祭は、皇室に長く伝わっております極めて重要な伝統的儀式でございますが、その性格づけ等につきましては今後慎重に検討すべき問題でございまして、どのようにこれを行うかということについては現在お答えをする段階にございませんので、御了承いただきたいと思います。
○東中委員 今、代がわり――要するに日本国憲法ができてもう四十年なんですね。そして、明治憲法の場合の代がわりのときには、例えば登極令は明治四十二年にできていますね、儀式のやり方について。そしてもう一つ、大喪礼については、この皇室令は大正十五年にできています。いずれも儀式をやる前にちゃんとできているのですよ。ところが、今度の場合は初めてでしょう。しかし何にも言わない。検討中とか言ったり、憲法の趣旨と伝統を尊重してなんということを言って明らかにしないというのは、非常に異常であるということを私は指摘をし、今申し上げたような大嘗祭とそれから践祚の儀、これは一切許されない、それから即位の礼と大喪の礼もやり方によっては政教分離の原則に反するようなことは、そして、主権在民の原則に反するようなことは許されないということをはっきり申し上げまして、私の質問を終わります。

*1 しんぶん赤旗HP「天皇の「代替わり」にともなう儀式に関する申し入れ」(2018年3月22日発表)に,①剣璽(けんじ)等承継の儀,②即位後朝見の儀,③即位礼正殿の儀及び④大嘗祭に関する日本共産党の問題意識が書いてあります。
*2 以下の記事も参照してください。
① 柳本つとむ裁判官に関する情報,及び過去の分限裁判における最高裁判所大法廷決定の判示内容
② 人事院規則14-7(政治的行為),及び名古屋家裁裁判官の反天皇制に関する行為

令和への改元に関する閣議書及び内閣総理大臣談話

1 令和への改元に関する閣議書及び内閣総理大臣談話を以下のとおり掲載しています。
(閣議書)
① 平成31年4月1日付の閣議書(元号を改める政令)
② 平成31年4月1日付の閣議書(元号の読み方に関する内閣告示)
(内閣総理大臣談話)
③ 平成31年4月1日付の閣議書(元号に際しての内閣総理大臣談話)
④ 改元に際しての内閣総理大臣談話について(平成31年4月1日付の閣議請議書)
⑤ 改元に際しての内閣総理大臣談話について(平成31年4月1日付の内閣府決裁文書)

2(1) 首相官邸HPに「新元号の選定について」(令和元年5月23日付)が載っています。
(2) 元号法(昭和54年6月12日法律第43号)は以下のとおりです。
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。

3(1) 真田秀夫内閣法制局長官は,昭和54年4月20日の衆議院内閣委員会において以下の答弁をしています。
旧憲法のもとにおける元号と、現在事実上の慣習として行われており、かつ今度の法案が成立すれば、その法律の基礎のもとに行われるであろう元号制度とは、紀年方法の一種であるという役割りは全く同じなんですが、その性格は非常に違う。それは制定権者が違う。旧憲法下の元号制度は主権天皇という制度と不可分の関係にあったものでありますし、今度の新しい元号は国会、つまり国民がつくるものであって、きのうですか、中川委員が天皇元号か、内閣元号か、国民元号かという表現でおっしゃいましたが、まことに非常に当を得た表現であると私も思った次第でございます。
(2) 工藤敦夫内閣法制局長官は,平成2年5月24日の参議院内閣委員会において以下の答弁をしています。
登極令(注:「とうきょくれい」と読みます。)の規定につきまして逐条網羅的に検討をしているわけではございませんので、すべての規定について申し上げるのは困難ではございますけれども、例えば登極令の中の二条、三条といったところに元号の規定がございます。天皇が元号を改めるというふうなところでございますけれども、御承知のとおり新憲法下久しくいわゆる昭和という元号が事実上のものとして使われ、その後元号法が制定されたというところから見ましても、憲法の趣旨と相入れないものとして考えられていたというふうに思いますし、あるいは大嘗祭を国の儀式として行うという部分につきましても、新皇室典範におきましてその部分を取り入れなかったというふうなことでございます。そういう意味で、今のような規定が問題になると申しますか、新憲法下におきます検討としてはあるのではなかろうか、かように考えております。

4 国立公文書館が運営している公文書にみる日本のあゆみHP「元号建定ノ詔書案」に,昭和に改元した際の閣議書(1926年12月25日付)が載っています。

5 「閣議」も参照してください。

大阪府及びその周辺の鉄道の沿革

1 東海道本線東海道新幹線山陽本線山陽新幹線
1874年 5月11日,官営鉄道の大阪駅・神戸駅間が開業しました。
1877年 2月 6日,官営鉄道の大阪駅・京都駅間が開業しました。
1889年 7月 1日,官営鉄道の新橋駅・神戸駅間が全通しました。
1901年 5月27日,山陽鉄道の神戸駅・馬関駅(現在の下関駅)間が全通しました。
1906年12月 1日,鉄道国有化法により山陽鉄道が国有化されました。
1964年10月 1日,東海道新幹線が東京駅・新大阪駅間で開業しました。また,新大阪駅が東海道新幹線及び東海道本線の駅として開業しました。
1972年 3月15日,山陽新幹線が新大阪駅・岡山駅間で開業しました。
1975年 3月10日,山陽新幹線が岡山駅・博多駅間で開業しました。
1988年 3月13日,京都駅・大阪駅間の愛称として「JR京都線」が,大阪駅・姫路駅間の愛称として「JR神戸線」が使用されるようになりました。
1995年 1月17日,阪神・淡路大震災によりJR神戸線の全線が不通になりました。
1995年 4月 1日,JR神戸線の全線が復旧しました。
1997年 3月 8日,京橋駅・尼崎駅間でJR東西線が開業したことに伴い,福知山線及び東海道本線と片町線(木津駅・京橋駅間であり,愛称は「学研都市線」です。)との直通運転が開始しました。
2008年 3月15日,放出駅(はなてんえき)・八尾駅間でおおさか東線が開業しました。
2019年 3月16日,新大阪駅・放出駅間の開業により,おおさか東線が全面開業しました(JRおでかけネットの「新大阪に 奈良に 直結!おおさか東線」参照)。

2 大阪環状線

(1) 城東線
1889年 5月14日,大阪鉄道(初代)の柏原駅・天王寺駅・湊町駅(1994年9月4日以降はJR難波駅)間が開業しました。
1895年 5月28日,大阪鉄道の天王寺駅・玉造駅間が開業しました。
1895年10月17日,大阪鉄道の玉造駅・梅田駅(現在の大阪駅)間が開業しました。
1900年 6月 6日,関西鉄道が大阪鉄道を買収しました。また,梅田駅が官営鉄道の大阪駅に統合しました。
1907年10月 1日,鉄道国有化法により関西鉄道が国有化されました。
1909年10月12日,国有鉄道線路名称制定により,天王寺駅・大阪駅間が城東線となりました。
1943年10月 1日,西成線と城東線の直通運転が開始しました。
1945年 8月14日,京橋駅・森ノ宮駅付近で空襲がありました。
(2) 西成線
1899年 5月 1日,西成鉄道の大阪駅・福島駅間の旅客営業が開始しました。
1906年12月 1日,鉄道国有化法により西成鉄道が国有化されました。
1909年10月12日,国有鉄道線路名称制定により,大阪駅・西九条駅・天保山駅間が西成線となりました。
1943年10月 1日,西成線と城東線の直通運転が開始しました。
(3) 大阪環状線成立後
1961年 4月25日,西九条駅・大正駅・天王寺駅間が開業し,城東線,西成線の大阪駅・西九条駅間,野田駅・大阪市場駅間をあわせて大阪環状線に,西成線の西九条駅・桜島駅間(4.5km)は桜島線となりました。
1964年 3月22日,国鉄の新今宮駅が開業しました。
1966年12月 1日,南海の新今宮駅が開業して乗換駅となりました。
1983年10月 1日,大阪城公園駅が開業しました。
1994年 9月 4日,関西国際空港が開業し,特急「はるか」のほか,大阪環状線で関空快速が運転を開始しました。
2001年 3月 1日,桜島線が「JRゆめ咲線」という愛称を使用するようになりました。また,同月31日のUSJ開業にあわせて,ユニバーサルシティ駅が開業しました。
2018年 3月17日,各駅に駅ナンバリングが導入され,使用を開始しました。

3 大阪市交通局及び大阪メトロ
(1) 全体の経緯
1997年12月18日,大阪港トランスポートシステム(OTS)のテクノポート線及びニュートラムテクノポート線が開業しました。
2005年 7月 1日,大阪港トランスポートシステム(OTS)のテクノポート線及びニュートラムテクノポート線を譲渡され,それぞれ中央線及び南港ポートタウン線に編入されました。
2013年 3月23日,交通系ICカード全国相互利用サービスへの対応を開始し,Kitaca,PASMO,Suica,manaco,TOICA,nimoca,はやかけん及びSUGOCAが利用可能となりました。
2018年 4月 1日,大阪市営地下鉄が民営化されて大阪市高速電気軌道(大阪メトロ)になりました。
(2) 御堂筋線(1号線)北大阪急行電鉄南北線

1933年 5月20日,1号線の梅田駅(仮)・心斎橋駅間(3.1km)が開業しました。
1935年10月 6日,梅田駅本駅が開業し,0.1km路線が伸びました。
1935年10月30日,1号線の心斎橋駅・難波駅間(0.9km)が開業しました。
1938年 4月21日,1号線の難波駅・天王寺駅間(3.4km)が開業しました。
1951年12月20日,1号線の天王寺駅・昭和町駅間(1.8km)が開業しました。
1952年10月 5日,1号線の昭和町駅・西田辺駅間(1.3km)が開業しました。
1960年 7月 1日,1号線の西田辺駅・我孫子駅間(2.5km)が開業しました。
1964年 9月24日,1号線の新大阪駅・梅田駅間(3.5km)が開業しました。
1969年12月 6日,1号線の愛称が御堂筋線となりました。
1970年 2月24日,御堂筋線の江坂駅・新大阪駅間(2.9km)が開業しました。また,北大阪急行電鉄南北線・会場線の江坂駅・万国博中央口間(9.0km)が開業しました。
1970年 9月14日,北大阪急行電鉄会場線の分岐点・万国博中央口間(3.6km)が廃止され,南北線の分岐点・千里中央駅間(0.5km)が開業しました。
1987年 4月18日,御堂筋線の我孫子駅・中百舌鳥駅間(5.0km)が開業して全通しました。
(3) 谷町線(2号線)
1967年 3月24日,2号線の東梅田駅・谷町四丁目駅間(3.5km)が開業しました。
1968年12月17日,谷町四丁目駅・天王寺駅間(3.8km)が開業しました。
1969年12月 6日,2号線の愛称が谷町線となりました。
1970年 4月 8日,大阪市大淀区の谷町線延伸工事現場で天六ガス爆発事故が発生しました。
1974年 5月29日,都島駅・東梅田駅間(3.1km)が開業しました。
1977年 4月 6日,森口駅・都島駅間(5.4km)が開業しました。
1980年11月27日,天王寺駅・八尾南駅間(10.5km)が開業しました。
1983年 2月 8日,大日駅・守口駅間(1.8km)が開業して全通しました。
(4) 四つ橋線(3号線)
1942年 5月10日,3号線の大国町駅・花園町駅間(1.3km)が開業しました。
1956年 6月 1日,花園町駅・岸里駅間(1.1km)が開業しました。
1958年 5月31日,岸里駅・玉手駅間(1.3km)が開業しました。
1965年10月 1日,西梅田駅・大国町駅間(4.9km)が開業し,御堂筋線の支線扱いから事実上独立しました。
1969年12月 6日,3号線の愛称が四つ橋線となりました。
1972年11月 9日,玉手駅・住之江公園駅間(2.8km)が開業して全通しました。
(5) 中央線(4号線)
1961年12月11日,4号線の大阪港駅・弁天町駅間(3.1km)が開業しました。
1964年10月31日,弁天町駅・本町駅(仮)間(3.7km)が開業しました。
1967年 9月30日,谷町四丁目駅・森ノ宮駅間(1.3km)が開業しました。
1968年 7月29日,森ノ宮駅・深江橋駅間(2.3km)が開業しました。
1969年 7月 1日,本町駅本駅が完成しました。
1969年12月 6日,4号線の愛称が中央線になりました。
1985年 4月 5日,深江橋駅・長田駅間(3.2km)が開業しました。
1997年12月18日,大阪港トランスポートシステム(OTS)のテクノポート線として大阪港駅・コスモスクエア駅間(2.4km)が開業し,現在の中央線が全通するとともに,相互直通運転を開始しました。
2005年 7月 1日,大阪港トランスポートシステム(OTS)のテクノポート線が中央線に編入されました。
(6) 千日前線(5号線)
1969年 4月16日,5号線の野田阪神駅・桜川駅間(3.7km)が開業しました。
1969年 7月25日,谷町九丁目駅・今里駅間(2.6km)が開業しました。
1969年 9月10日,今里駅・新深江駅間(0.9km)が開業しました。
1969年12月 6日,5号線の愛称が千日前線になりました。
1970年 3月11日,桜川駅・谷町九丁目駅間(2.4km)が開業しました。
1981年12月 2日,新深江駅・南巽駅間(3.0km)が開業して全通しました。
(7) 堺筋線(6号線)
1969年12月 6日,天神橋筋六丁目駅・動物園前駅間(7.0km)が開業しました。
1993年 3月 4日,動物園前駅・天下茶屋駅間(1.5km)が開業して全通しました。
(8) 南港ポートタウン線
1981年 3月16日,中ふ頭駅・住之江公園駅間(6.6km)が開業しました。
1997年12月18日,大阪港トランスポートシステム(OTS)のニュートラムテクノポート線としてコスモスクエア駅・中ふ頭駅間(1.3km)が開業し,現在の南港ポートタウン線が全通するとともに,相互直通運転を開始しました。
2005年 7月 1日,大阪港トランスポートシステム(OTS)のニュートラムテクノポート線が南港ポートタウン線に編入されました。
(9) 長堀鶴見緑地線(7号線)
1990年 3月20日,鶴見緑地線の京橋駅・鶴見直地駅間(5.2km)が開業しました。
1996年12月11日,長堀鶴見緑地駅線に改称し,心斎橋駅・京橋駅間(5.7km)が開業しました。
1997年 8月29日,大正駅・心斎橋駅(2.8km)及び鶴見緑地駅・門真南駅間(1.3km)が開業して全通しました。
(10) 今里筋線(8号線)
2006年12月24日,今里筋線の井高野駅・今里駅間(11.9km)が開業しました。
(11) 大阪市電
1903年 9月12日,大阪市営電気鉄道(略称は大阪市電(おおさかしでん))が開業しました。
1969年 3月31日,大阪市電が全廃されました。

4 京阪本線京阪鴨東線京阪中之島線及び京阪交野線
(1) 京阪本線及び京阪鴨東線
1910年4月15日,京阪電気鉄道(初代)の天満橋駅・五条駅(現在の清水五条駅)間が開業しました。
1915年10月27日,京阪電気鉄道(初代)の五条駅(現在の清水五条駅)・三条駅間が開業しました。
1943年10月 1日,京阪電気鉄道及び阪神急行電鉄が合併して京阪神急行電鉄となりました。
1949年12月 1日,京阪神急行電鉄より京阪本線等が分離譲渡される形で京阪電気鉄道(2代目)が発足しました。
1963年 4月16日,淀屋橋駅・天満橋駅間が地下線で延伸開業しました。また,これに伴い,天満橋駅が地下駅に移行しました。
1987年 5月24日,七条駅・三条駅間が地下化しました。
1989年 4月 1日,三条駅・出町柳駅間が京阪鴨東線(おうとうせん)として開業しました。
(2) 京阪中之島線
2008年10月19日,天満橋駅・中之島駅が京阪中之島線(なかのしません)として開業しました。また,丸太町駅が神宮丸太町駅に,四条駅が祇園四条駅に,五条駅が清水五条駅(きよみずごじょうえき)となりました。
2017年8月20日,京阪本線で座席指定車両である「プレミアムカー」が導入されました。
(3) 京阪交野線
1929年 7月10日,信貴生駒電鉄の枚方東口駅(昭和24年10月1日以降は枚方市駅)・私市駅(きさいちえき)間が開業しました。
1939年 5月 1日,信貴生駒電鉄が交野電気鉄道に事業譲渡した結果,同社交野線(かたのせん)になりました。
1945年 5月 1日,京阪神急行電鉄が交野電気鉄道を吸収合併しました。
1949年12月 1日,京阪神急行電鉄から京阪電気鉄道が分離しました。

5 阪急京都本線
1921年 4月 1日,北大阪電気鉄道の十三駅・淡路駅間が開業しました。
1923年 4月 1日,新京阪鉄道が北大阪電気鉄道の鉄道路線を譲り受けました。
1928年 1月16日,新京阪鉄道の淡路駅・高槻町駅(1943年1月1日以降は高槻市駅)間が開業しました。
1928年11月 1日,新京阪鉄道の高槻町駅・京都西院駅(1931年3月31日以降は西院駅)間が開業しました。
1930年 9月15日,京阪電気鉄道が新京阪鉄道を吸収合併しました。
1931年 3月31日,京阪電気鉄道の西院駅・京阪京都駅(現在の大宮駅)間が開業しました。
1943年10月 1日,阪神急行電鉄が京阪電気鉄道を合併して京阪神急行電鉄となりました。
1949年12月 1日,京阪電気鉄道が分離しました。また,京阪神急行電鉄に残った新京阪線が京都本線に名称変更しました。
1963年 6月17日,大宮駅・河原町駅間が開業して,十三駅・河原町駅間が全通しました。
1969年12月 6日,大阪市営地下鉄堺筋線との相互直通運転を開始しました。
1973年 4月 1日,京阪神急行電鉄が阪急電鉄に名称変更しました。

6 阪急千里線
1921年 4月 1日,北大阪電気鉄道の淡路駅・豊津駅間が開業しました。
1922年10月26日,北大阪電気鉄道の豊津駅・千里山駅間が開業しました。
1963年 8月29日,千里山駅・新千里山駅(1967年3月1日以降は南千里駅)間が開業しました。
1967年 3月 1日,南千里駅・北千里駅間が開業し,阪急千里線となりました。

7 阪急神戸本線及び阪急宝塚本線
1910年 3月10日,箕面・有馬電気軌道の梅田駅・宝塚駅間が開業しました。
1920年 7月16日,阪神急行電鉄の十三駅・神戸駅(のちの上筒井駅)間が開業しました。
1926年 7月 5日,阪神急行電鉄の梅田駅・十三駅間が高架化しました。
1936年 4月 1日,西灘駅(現在の王子公園駅)・神戸駅(現在の神戸三宮駅)間が開業しました。また,これまでの神戸駅が上筒井駅に名称変更しました。
1995年 1月17日,阪神・淡路大震災により全線不通となりました。
1995年 6月12日,全線が復旧しました。

8 阪神本線及び阪神なんば線
1905年 4月12日,阪神電車の出入橋駅・神戸駅(のちの三宮駅)間が開業しました。
1906年12月21日,梅田駅・出入橋駅間が開業しました。
1995年 1月17日,阪神・淡路大震災により全線不通となりました。
1995年 6月26日,全線が復旧しました。
2009年 3月20日,阪神なんば線西九条駅・大阪難波駅間の開業に伴い,本線と阪神なんば線・近鉄難波線・奈良線相互間で直通運転を開始しました。

9 大阪高速鉄道大阪モノレール線
1990年 6月 1日,千里中央駅・南茨木駅間が開業しました。
1994年 9月30日,柴島駅(くにじまえき)・千里中央駅間が開業しました。
1997年 4月 1日,大阪空港駅・柴島駅間が開業しました。
1997年 8月22日,南茨木駅・門真市駅間が開業しました。

10 近鉄大阪線近鉄奈良線及び近鉄難波線
(1) 近鉄大阪線(上本町駅から伊勢中川駅)・近鉄奈良線(布施駅から近鉄奈良駅)
1914年 4月30日,大阪電気軌道の上本町駅(現在の大阪上本町駅)・深江駅(現在の布施駅)・奈良駅(仮駅)間が開業しました。
1914年 7月 8日,奈良駅本駅が開業しました。
1922年 3月,深江駅が足代駅(現在の布施駅)に改称しました。
1924年10月31日,足代駅・八尾駅(現在の近鉄八尾駅)が開業しました。
1925年3月21日,高田駅(現在の大和高田駅)・八木駅(現在の八木西口駅)間が開業しました。
1927年 7月 1日,布施駅(ふせえき)・八木駅間が全通しました。
1930年12月20日,布施駅・伊勢中川駅間が全通しました。
1941年 3月15日,大阪電気軌道と参宮急行電鉄が合併して関西急行鉄道となりました。また,布施駅・伊勢中川駅間が大阪線となりました。
1944年 6月 1日,関西急行鉄道が南海鉄道を吸収合併して近畿日本鉄道に社名変更しました。また,関急奈良駅が近畿日本奈良駅に名称変更しました。
1969年12月 9日,近畿日本奈良駅が地下化しました。
1970年 3月 1日,近畿日本奈良駅が近鉄奈良駅に名称変更しました。
(2) 近鉄難波線
1970年 3月15日,近鉄難波駅・上本町駅間が開業しました。
2009年 3月20日,阪神なんば線との相互直通運転を開始しました。また,近鉄難波駅が大阪難波駅に名称変更しました。

11 近鉄南大阪線及び近鉄道明寺線(外部ブログの「大阪鉄道のはなし」が参考になります。)
(1) 近鉄南大阪線
1898年 3月24日,河陽(かよう)鉄道の道明寺駅・古市駅間が開業しました。
1899年 5月11日,河陽鉄道が河南(かなん)鉄道に事業譲渡して解散しました。
1919年 3月 8日,河南鉄道が大阪鉄道(2代目)に社名変更しました。
1922年 4月18日,大阪鉄道の布忍駅(ぬのせえき)・道明寺駅間が開業しました。
1923年 4月13日,大阪鉄道の大阪天王寺駅(1924年6月以降は大阪阿部野橋駅)・布忍駅間が開業しました。
1929年 3月29日,大阪鉄道の古市駅・久米寺駅(1970年3月1日以降は橿原神宮前駅)間が開業しました。また,吉野鉄道(現在の近鉄吉野線)と直通運転を開始しました。
1940年 4月 1日,久米寺駅が橿原神宮駅駅(1970年3月1日以降は橿原神宮前駅)に名称変更しました。
1943年 2月 1日,関西急行鉄道(関急)が大阪電気軌道(大軌)を吸収合併しました。また,大阪阿部野橋駅・橿原神宮駅駅間が天王寺線となりました。
1944年 6月 1日,関西急行鉄道が南海鉄道を吸収合併して近畿日本鉄道に社名変更しました。また,大阪阿部野橋駅・橿原神宮駅駅間が南大阪線となりました。
(2) 近鉄道明寺線
1898年 3月24日,河陽(かよう)鉄道の道明寺駅・柏原間が開業しました。
1899年 5月11日,河陽鉄道が河南(かなん)鉄道に事業譲渡して解散しました。
(その後の経緯は近鉄南大阪線と同じです。)

12 関西本線
1889年 5月14日,大阪鉄道(初代)の湊町駅(1989年12月28日,南西へ約100m移転しました。また,関西国際空港が開港した1994年9月4日以降はJR難波駅)・柏原駅間が開業しました。
1892年 2月 2日,大阪鉄道の湊町駅・奈良駅間が全通しました。
1900年 6月 6日,関西鉄道が大阪鉄道を買収しました。
1900年 9月 1日,関西鉄道の湊町駅・名古屋駅間が全通しました。
1907年10月 1日,鉄道国有化法により関西鉄道が国有化されました。
1909年10月12日,国有鉄道線路名称制定により,名古屋駅・奈良駅・湊町駅間が関西本線となりました。
1949年 6月 1日,名古屋駅・湊駅間について,毎日運転の臨時列車として準急列車(1958年11月1日,「かすが」と命名されました。)が往復運転を開始しました。
1968年10月 1日,「かすが」の運転区間が原則として,名古屋駅・奈良駅間となりました。
1972年 3月15日,関西本線の電車が新今宮駅に停車するようになりました。
1973年10月 1日,「かすが」の運転区間が名古屋駅・奈良駅間だけになりました。
1988年 3月13日,路線愛称の制定により,関西本線のうち,京都府木津川市の加茂駅から大阪市浪速区のJR難波駅までの区間について「大和路線」の愛称を使用するようになりました。
2006年 3月18日,「かすが」が廃止されました。
2008年 3月15日,おおさか東線の開業により奈良駅・尼崎駅間をおおさか東線・JR東西線経由で運転する直通快速が運転を開始しました。

13 阪和線及び関西空港線

(1) 阪和線
1929年 7月18日,阪和電気鉄道の天王寺駅・和泉府中駅間が開業しました。
1930年 6月16日,阪和電気鉄道の和泉府中駅・東和歌山駅(現在の和歌山駅)間が開業しました。
1940年12月 1日,阪和電気鉄道が南海鉄道に吸収合併され,南海鉄道山手線となりました。
1942年 2月15日,南海鉄道の高野線と山手線の乗換駅として三国ケ丘駅が開業しました。
1944年 5月 1日,戦時買収により南海鉄道山手線が国有化されて阪和線となりました(大阪府下の戦時買収私鉄は南海鉄道山手線だけです。)。
(2) 関西空港線
1994年 6月15日,日根野駅・関西空港駅間が開業しました。
1994年 9月 4日,関西国際空港が開港し,特急「はるか」が運転を開始しました。
2018年 9月 4日,台風21号の影響でタンカーが漂着して衝突したため,連絡橋が被害を受けた結果,全線不通となりました。
2018年 9月18日,全線復旧しました。

14 南海本線及び南海空港線
(1) 南海本線
1885年12月29日,阪堺鉄道(はんかいてつどう)(日本で3番目の民営鉄道事業者です。)の難波駅・大和川駅(大和川北岸にあった仮の駅です。)間が開業しました。
1888年 5月15日,阪堺鉄道の大和川駅・堺駅間が開業しました。
1897年10月 1日,南海鉄道の堺駅・佐野駅(現在の泉佐野駅)間が開業しました。
1897年11月 9日,南海鉄道の佐野駅・尾崎駅間が開業しました。
1898年10月 1日,阪堺鉄道が南海鉄道に事業譲渡しました。
1898年10月22日,南海鉄道の尾崎駅・和歌山北口駅間が開業しました。
1898年10月 1日,阪堺鉄道が南海鉄道に事業譲渡しました。
1903年 3月21日,紀ノ川橋梁(きのかわきょうりょう)が開通し,南海鉄道の難波駅・和歌山市駅間が全通しました。
1944年 6月 1日,関西急行鉄道と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道となりました。
1947年 3月15日,高野山電気鉄道が南海電気鉄道に社名変更しました。
1947年 6月 1日,南海電気鉄道が近畿日本鉄道から旧:南海鉄道の路線を譲渡されました。
1993年 4月18日,南海本線の高架化に伴い,岸ノ里駅と玉手駅が統合して岸里玉手駅が開業しました。
(2) 南海空港線
1994年 6月15日,泉佐野駅・関西空港駅間が開業しました。
1994年 9月 4日,関西国際空港が開港し,特急「ラピート」が運転を開始しました。
2018年 9月 4日,台風21号の影響でタンカーが漂着して衝突したため,連絡橋が被害を受けた結果,全線不通となりました。
2018年 9月18日,全線復旧しました。

15 南海高野線
1898年 1月30日,高野鉄道の大小路駅(1900年9月以降は堺東駅)・狭山駅間が開業しました。
また,大小路駅(大小路橋の東側にあったことによる命名です。また,当時の大阪府泉北郡向井町にありました。),西村駅(現在の初芝駅)及び狭山駅が開業しました。
1898年 4月 2日,高野鉄道の狭山駅・長野駅(1954年4月10日以降は河内長野駅)間が開業しました。また,滝谷駅及び長野駅が開業しました。
1900年 9月 3日,高野鉄道の大小路駅・道頓堀駅(1901年1月1日以降は汐見橋駅)間が開業しました。また,同月中に大小路駅は堺駅を経て堺東駅となりました。
1907年11月15日,高野鉄道が事業一切を高野登山鉄道に譲渡しました。
1914年10月21日,高野登山鉄道の長野駅・三日市町駅間が開業しました。
1915年 3月11日,高野登山鉄道の三日市町駅・橋本駅間が開業しました。
1915年 4月30日,高野登山鉄道が大阪高野鉄道に社名変更しました。
1917年 7月 5日,大阪高野鉄道の狭山駅・滝谷駅間に,河内半田駅(狭山遊園前駅を経て,現在の大阪狭山市駅)が開業しました。
1922年 9月 6日,南海鉄道が大阪高野鉄道を吸収合併し,南海鉄道高野線となりました。
1924年11月 1日,南海鉄道の橋本駅・学文路駅(かむろえき)間が開業しました。
1924年12月25日,南海鉄道の学文路駅・九度山駅間が開業しました。
1925年 3月15日,岸ノ里駅(現在の岸里玉手駅)の連絡線開通により,南海鉄道高野線の列車の難波駅乗り入れが開始しました。
1925年 3月28日,高野山電気鉄道が設立されました。
1925年 7月30日,南海鉄道の九度山駅・高野山駅(1925年9月11日以降は高野下駅)間が開業しました。
1928年 6月18日,高野山電気鉄道の高野下駅・神谷駅(1930年3月1日以降は紀伊神谷駅)間が開業しました。
1929年 2月21日,高野山電気鉄道の神谷駅・極楽橋駅間が開業しました。
1929年11月 1日,南海鉄道高野線の全列車が難波駅より発着するようになりました。
1932年 4月28日,高野山電気鉄道が架線電圧を1500ボルトから600ボルトに変更して南海鉄道高野線と一致させることで,高野山電気鉄道と南海鉄道高野線の直通運転が開始しました。
1932年 7月 9日,難波駅の4代目駅舎となる南海ビルディングが完成し,同月15日,高島屋大阪店が開業しました。
1937年 4月19日,南海鉄道の開業50周年記念イベントとして開催された四国八十八か所出開帳に際して,金剛駅が開業しました。
1938年 2月11日,南海鉄道の滝谷駅・長野駅間に千代田駅が開業しました。
1942年 2月15日,南海鉄道の高野線と山手線の乗換駅として三国ケ丘駅が開業しました。
1944年 6月 1日,関西急行鉄道と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道となりました。
1947年 3月15日,高野山電気鉄道が南海電気鉄道に社名変更しました。
1947年 6月 1日,南海電気鉄道が近畿日本鉄道から旧:南海鉄道の路線を譲渡されました。
1954年 4月 1日,長野町,三日市村,高向村,天見村,加賀田村及び川上村が合併して河内長野市となったことに伴い,同月10日に長野駅が河内長野駅に名称変更しました。
1971年 4月 1日,南海高野線と泉北高速鉄道線が相互直通運転を開始しました。
1992年11月10日,金剛駅が特急・急行停車駅となりました。
2007年10月27日,浅香山駅と我孫子前駅間の線路上で大阪航空株式会社(大阪府八尾市)所有のヘリコプターが墜落するという,大阪航空堺市墜落事故が発生しました。
2017年10月22日から2018年3月30日までの間,台風21号の影響により上小沢駅構内で道床流出が発生したため,橋本駅・高野山駅間でバス代行輸送が実施されました。

16 泉北高速鉄道線
1965年12月24日,泉北高速鉄道線の運営会社としての大阪府都市開発株式会社が設立されました。
1971年 4月 1日,泉北高速線の中百舌鳥駅・泉ヶ丘駅間が開業しました。
1973年12月 7日,泉ヶ丘駅と栂・美木多駅(とが・みきたえき)間が開業しました。
1977年 8月20日,栂・美木多駅と光明池駅間が開業しました。
1995年 4月 1日,光明池駅・和泉中央駅間が開業しました。
2014年 7月 1日,南海電鉄が大阪府都市開発株式会社の株式の99.9%余りを取得して子会社としました。
2015年12月 5日,難波駅・和泉中央駅間で泉北ライナーが運行するようになりました。

17 近鉄長野線
1898年 4月14日,河陽(かよう)鉄道の古市駅・富田林駅間が開業しました。
1899年 5月11日,河陽鉄道が河南(かなん)鉄道に事業譲渡して解散しました。
1902年 3月25日,富田林駅・滝谷不動駅間が開業しました。
1902年12月12日,滝谷不動駅・長野駅(現在の河内長野駅)間が開業しました。
1919年 3月 8日,河南鉄道が大阪鉄道に社名変更しました。
1943年 2月 1日,関西急行鉄道(関急)が大阪電気軌道(大軌)を吸収合併しました。
1944年 6月 1日,関西急行鉄道が南海鉄道を吸収合併して近畿日本鉄道に社名変更しました。
1954年 4月 1日,長野町,三日市村,高向村,天見村,加賀田村及び川上村が合併して河内長野市となったことに伴い,同月10日に長野駅が河内長野駅に名称変更しました。

* 日本旅行HP「大阪府鉄道路線図」が載っています。

令和元年5月現在,文部科学大臣の日程表は1週間程度で廃棄されていることに関する国会答弁

1 令和元年5月8日の衆議院文部科学委員会において,以下の国会答弁がありました。

○川内委員 最後、あと三分残っておりますので、大臣の日程表のことについて。
この前、あるマスコミで、大臣の日程表は廃棄されているという記事が出ておりました。大臣の日程表ってめっちゃ大事じゃんと私は思うんですけれども、それを廃棄すると。どのぐらいで廃棄しているのか、どういうふうに廃棄しているのかということを教えていただきたいと思います。
○生川政府参考人 お答えいたします。
御指摘の報道のありました情報公開請求についてでございますが、二〇一七年度及び二〇一八年度の文部科学大臣の日程表に係る請求があったところでございます。これに対しまして、文部科学省としては、請求文書に該当する行政文書を、請求があった時点で保有をしていなかったということで不開示とさせていただきました。
これは、今委員から御指摘がありましたように、作成をした大臣日程表を情報公開請求を受けた時点では既に廃棄をしていたということで、その時点では保有をしていなかったという趣旨でございます。
加えて、その廃棄の方法、それから期間についてのお尋ねがございました。
大臣の日程表の廃棄の方法につきましては、基本的には、紙媒体のものにつきましてはシュレッダーにより廃棄をし、電子媒体についてはデータ自体を消去するということで廃棄をしているところでございます。
 また、大臣日程表を廃棄するまでの期間でございますけれども、政府の行政文書の管理に関するガイドライン及び文部科学省行政文書管理規則におきまして、定型的、日常的な業務連絡及び日程表等の保存期間を一年未満とすることができるというふうに定められております。これに基づきまして、日程表をおおむね一週間程度で廃棄をさせていただいているというところでございます。
○川内委員 大臣、大臣の日程表、一週間で廃棄されるんですよ。大臣の日程表ですよ。私は、めちゃめちゃ歴史的な価値のある公文書であるというふうに思いますけれどもね。
では、廃棄しているということなんですけれども、大臣本人あるいは秘書官あるいはSPあるいは秘書課のその他の職員で、大臣日程表を個人で保有していらっしゃる方がいるのではないかということを確認してくださいときのう質問レクで申し上げておきましたが、御確認をいただきましたでしょうか。
○生川政府参考人 お答えいたします。
昨日、質問レクの際に委員の方から、大臣の日程表について、本来の廃棄すべき時期を過ぎても個人的に保有している職員はいないか尋ねてほしい、そういう趣旨の御質問をいただいたというふうに認識をいたしております。
これを受けまして、お問い合わせいただきましたことについて確認をさせていただいたところでございます。
今回調べた範囲では、個人的に保有している職員はいませんでしたということでございますので、その旨、御報告をさせていただきます。
○亀岡委員長 時間が過ぎております。
○川内委員 今回調べた範囲ではと限定をおつけになりましたけれども、私が聞いたのは、職員の方々の中で大臣の日程表をと、限定をつけずに聞いておりますけれども、もう少し誠実な御答弁をいただければありがたかったなというふうに思いますが。
最後に、大臣、大臣の日程表は価値がないと言われているんですよ。歴史的公文書ではないという判断を文科省はしているわけです。私は重要だと思いますよ。これは、大臣が、大臣の日程表ぐらいきちんと保存しておきなさいと指示すれば、ずっと保存されるんですよ。これは、行政が政治をめっちゃばかにしているんですよ。
○亀岡委員長 時間が過ぎているので、簡潔に。
○川内委員 だから、最後、大臣、指示すると言ってください。日程表ぐらいちゃんと保存しないと。
○亀岡委員長 時間が過ぎております。
○柴山国務大臣 とにかく朝から晩までスケジュールはびっちりでありますし、しかも、具体的に必要なやりとりそのものについてはきちんと保管をされておりますので、私自身、日程はこんなにすぐたまっちゃいますので、ばんばん自分自身も捨てておりますから、職員に、ちょっと自分で無理なことをやれというふうに指示をするつもりはありません。
○川内委員 残念です。

2 生川政府参考人は生川浩史文部科学省大臣官房長であり,柴山国務大臣は柴山昌彦文部科学大臣です。

恩赦法施行規則(昭和22年10月1日司法省令第78号)

恩赦法施行規則(昭和22年10月1日司法省令第78号)は以下のとおりです。

恩赦法施行規則

恩赦法施行規則を次のように制定する。

第一条 恩赦法(昭和二十二年法律第二十号)第十二条の規定による中央更生保護審査会の申出は、刑事施設(少年法(昭和二十三年法律第百六十八号)第五十六条第三項の規定により少年院において刑を執行する場合における当該少年院を含む。以下第一条の二、第六条、第八条及び第十一条第三項において同じ。)若しくは保護観察所の長又は検察官の上申があった者に対してこれを行うものとする。

第一条の二 次に掲げる者は、職権で、中央更生保護審査会に特赦、特定の者に対する減刑又は刑の執行の免除の上申をすることができる。
一 刑事施設に収容され、又は労役場若しくは監置場に留置されている者については、その刑事施設の長
二 保護観察に付されている者については、その保護観察をつかさどる保護観察所の長
三 その他の者については、有罪の言渡しをした裁判所に対応する検察庁の検察官
○2 前項各号に掲げる刑事施設若しくは保護観察所の長又は検察官は、本人から特赦、減刑又は刑の執行の免除の出願があったときは、意見を付して中央更生保護審査会にその上申をしなければならない。

第二条 特赦、減刑又は刑の執行の免除の上申書には、次の書類を添付しなければならない。
一 判決の謄本又は抄本
二 刑期計算書
三 犯罪の情状、本人の性行、受刑中の行状、将来の生計その他参考となるべき事項に関する調査書類
○2 本人の出願により上申をする場合には、前項の書類のほか、その願書を添付しなければならない。
○3 判決原本の滅失又は破損によって判決の謄本又は抄本を添付することができないときは、検察官が自己の調査に基づき作成した書面で判決の主文、罪となるべき事実及びこれに対する法令の適用並びに判決原本が滅失し又は破損したこと及びその理由を示すものをもって、これに代えることができる。

第三条 次に掲げる者は、職権で、中央更生保護審査会に復権の上申をすることができる。
一 保護観察に付されたことのある者については、最後にその保護観察をつかさどった保護観察所の長
二 その他の者については、最後に有罪の言渡しをした裁判所に対応する検察庁の検察官
○2 前項各号に掲げる保護観察所の長又は検察官は、本人から復権の出願があったときは、意見を付して中央更生保護審査会にその上申をしなければならない。

第四条 復権の上申書には、次の書類を添付しなければならない。
一 判決の謄本又は抄本
二 刑の執行を終わり又は執行の免除のあったことを証する書類
三 刑の免除の言渡しのあった後又は刑の執行を終わり若しくは執行の免除のあった後における本人の行状、現在及び将来の生計その他参考となるべき事項に関する調査書類
○2 第二条第二項の規定は、前項の場合にこれを準用する。
○3 第二条第三項の規定は、第一項第一号の書類についてこれを準用する。

第五条 恩赦法第十条第二項による復権の上申書には、回復すべき資格の種類を明記しなければならない。

第六条 特赦、減刑又は刑の執行の免除の出願は、刑の言渡し後次の期間を経過した後でなければ、これをすることができない。ただし、中央更生保護審査会は、本人の願いにより、期間の短縮を許可することができる。
一 拘留又は科料については、六箇月
二 罰金については、一年
三 有期の懲役又は禁錮については、その刑期の三分の一に相当する期間。(短期と長期とを定めて言い渡した刑については、その刑の短期の三分の一に相当する期間。)ただし、その期間が一年に満たないときは、一年とする。
四 無期の懲役又は禁錮については、十年
○2 拘禁されない日数は、刑の執行を終わり又は刑の執行の免除を受けた後の日数及び仮釈放中又は刑の執行停止中の日数を除くほか、前項第三号及び第四号の期間にこれを算入しない。
○3 前項の規定は、刑の執行を猶予されている場合には、これを適用しない。
○4 第一項ただし書の願いをするには、願書をその願いに係る特赦、減刑又は刑の執行の免除について上申をすることができる刑事施設若しくは保護観察所の長又は検察官に提出しなければならない。
○5 第一条の二第二項の規定は、第一項ただし書の願いがあった場合にこれを準用する。

第七条 復権の出願は、刑の執行を終わり又は執行の免除のあった後でなければ、これをすることができない。

第八条 刑事施設若しくは保護観察所の長又は検察官が本人の出願によりした特赦、減刑、刑の執行の免除又は復権の上申が理由のないときは、その出願の日から一年を経過した後でなければ、更に出願をすることができない。

第九条 特赦、減刑、刑の執行の免除又は復権の願書には、次の事項を記載し、かつ、戸籍の謄本又は抄本(法人であるときは登記事項証明書)を添付しなければならない。
一 出願者の氏名、出生年月日、職業、本籍及び住居(法人であるときはその名称、主たる事務所の所在地及び代表者の氏名)
二 有罪の言渡しをした裁判所及び年月日
三 罪名、犯数、刑名及び刑期又は金額
四 刑執行の状況
五 上申を求める恩赦の種類
六 出願の理由
○2 前項の規定は、第六条第一項ただし書の許可を受ける場合にこれを準用する。

第十条 中央更生保護審査会は、特赦、減刑、刑の執行の免除又は復権の上申が理由のないときは、上申をした者にその旨を通知しなければならない。
○2 前項の通知を受けた者は、出願者にその旨を通知しなければならない。

第十一条 特赦、特定の者に対する減刑、刑の執行の免除又は特定の者に対する復権があったときは、法務大臣は、中央更生保護審査会をして、有罪の言渡しをした裁判所に対応する検察庁の検察官に特赦状、減刑状、刑の執行の免除状又は復権状(以下「恩赦状」という。)を送付させる。
○2 恩赦状の送付を受けた検察官は、自ら上申をしたものであるときは、直ちにこれを本人に交付し、その他の場合においては、速やかにこれを上申をした者に送付し、上申をした者は、直ちにこれを本人に交付しなければならない。
○3 上申をした者は、仮釈放中の者に恩赦状を交付したときは、その旨を刑事施設の長に通知しなければならない。
○4 第二項に規定する恩赦状の交付及び前項の通知は、これを本人の住居のある地を管轄する保護観察所の長、本人の住居のある地を管轄する裁判所に対応する検察庁の検察官又は本人が収容されている刑事施設(本人が労役場又は監置場に留置されている場合における当該刑事施設を含む。)若しくは少年院の長に嘱託することができる。

第十二条 恩赦状を本人に交付した者は、速やかにその旨を法務大臣に報告しなければならない。

第十三条 恩赦法第十四条の規定により判決の原本に付記をなすべき検察官は、有罪の言渡しをした裁判所に対応する検察庁の検察官とする。

第十四条 検察官は、恩赦法第十四条の規定により判決の原本に付記をした場合において、訴訟記録が他の検察庁に在るときは、その検察庁の検察官にその旨を通知しなければならない。
○2 前項の通知書は、これを訴訟記録に添付しなければならない。

第十五条 有罪の言渡しを受けた者で大赦により赦免を得たものは、有罪の言渡しをした裁判所に対応する検察庁の検察官に申し出て、その旨の証明を受けることができる。政令により復権を得た者も、同様である。

附 則
第十六条
この省令は、公布の日から、これを施行する。

第十七条 朝鮮若しくは台湾又は関東州、南洋群島その他日本国外の地域において有罪の言渡しを受けた者については、当分の間、第一条の二第一項の規定にかかわらず、内地(沖縄県及び樺太を除く。以下同じ。)におけるその者の本籍又は住居のある地を管轄する地方裁判所に対応する検察庁の検察官は、職権で、中央更生保護審査会に特赦、減刑又は刑の執行の免除の上申をすることができる。
○2 前項に規定する検察官は、前項に規定する者から特赦、減刑又は刑の執行の免除の出願があったときは、当分の間、第一条の二第二項の規定にかかわらず、意見を付して中央更生保護審査会にその上申をしなければならない。

第十八条 前条第一項に規定する者については、当分の間、第三条第一項の規定にかかわらず、内地におけるその者の本籍又は住居のある地を管轄する地方裁判所に対応する検察庁の検察官は、職権で、中央更生保護審査会に復権の上申をすることができる。
○2 前項に規定する検察官は、前条第一項に規定する者から復権の出願があったときは、当分の間、第三条第二項の規定にかかわらず、意見を付して中央更生保護審査会にその上申をしなければならない。

第十九条 大正元年司法省令第三号恩赦令施行規則は、これを廃止する。

附 則 (昭和二四年七月一日法務府令第二九号)
1 この府令は、昭和二十四年七月一日から施行する。
2 この府令施行前になされた特赦、特定の者に対する減刑、刑の執行の免除又は特定の者に対する復権の申出でこの府令施行の際まだ特赦、減刑、刑の執行の免除又は復権の決定のないものは、従前の第十条の規定により理由のない旨の通知の発せられたものを除いては、第一条の二又は第三条の規定による上申とみなす。

附 則 (昭和二七年八月一日法務省令第七号)
1 この省令は、公布の日から施行する。
2 この省令施行前に、この省令による改正前の恩赦法施行規則の規定によってした上申、出願その他の手続は、この省令による改正後の恩赦法施行規則の規定によってしたものとみなす。

附 則 (昭和三四年四月一〇日法務省令第二一号)
この省令は、公布の日から施行する。

附 則 (平成一三年三月三〇日法務省令第四二号)
この省令は、平成十三年四月一日から施行する。

附 則 (平成一七年二月二四日法務省令第一九号) 抄
(施行期日)
第一条 この省令は、平成十七年三月七日から施行する。

附 則 (平成一八年五月二三日法務省令第五九号)
この省令は、刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律(平成十七年法律第五十号)の施行の日から施行する。

恩赦法(昭和22年3月28日法律第20号)

恩赦法(昭和22年3月28日法律第20号)は以下のとおりです。

恩赦法

第一条 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権については、この法律の定めるところによる。

第二条 大赦は、政令で罪の種類を定めてこれを行う。

第三条 大赦は、前条の政令に特別の定のある場合を除いては、大赦のあつた罪について、左の効力を有する。
一 有罪の言渡を受けた者については、その言渡は、効力を失う。
二 まだ有罪の言渡を受けない者については、公訴権は、消滅する。

第四条 特赦は、有罪の言渡を受けた特定の者に対してこれを行う。

第五条 特赦は、有罪の言渡の効力を失わせる。

第六条 減刑は、刑の言渡を受けた者に対して政令で罪若しくは刑の種類を定めてこれを行い、又は刑の言渡を受けた特定の者に対してこれを行う。

第七条 政令による減刑は、その政令に特別の定めのある場合を除いては、刑を減軽する。
○2 特定の者に対する減刑は、刑を減軽し、又は刑の執行を減軽する。
○3 刑の全部の執行猶予の言渡しを受けてまだ猶予の期間を経過しない者に対しては、前項の規定にかかわらず、刑を減軽する減刑のみを行うものとし、また、これとともに猶予の期間を短縮することができる。
○4 刑の一部の執行猶予の言渡しを受けてまだ猶予の期間を経過しない者に対しては、第二項の規定にかかわらず、刑を減軽する減刑又はその刑のうち執行が猶予されなかつた部分の期間の執行を減軽する減刑のみを行うものとし、また、刑を減軽するとともに猶予の期間を短縮することができる。

第八条 刑の執行の免除は、刑の言渡しを受けた特定の者に対してこれを行う。ただし、刑の全部の執行猶予の言渡しを受けた者又は刑の一部の執行猶予の言渡しを受けてその刑のうち執行が猶予されなかつた部分の期間の執行を終わつた者であつて、まだ猶予の期間を経過しないものに対しては、その刑の執行の免除は、これを行わない。

第九条 復権は、有罪の言渡を受けたため法令の定めるところにより資格を喪失し、又は停止された者に対して政令で要件を定めてこれを行い、又は特定の者に対してこれを行う。但し、刑の執行を終らない者又は執行の免除を得ない者に対しては、これを行わない。

第十条 復権は、資格を回復する。
○2 復権は、特定の資格についてこれを行うことができる。

第十一条 有罪の言渡に基く既成の効果は、大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除又は復権によつて変更されることはない。

第十二条 特赦、特定の者に対する減刑、刑の執行の免除及び特定の者に対する復権は、中央更生保護審査会の申出があつた者に対してこれを行うものとする。

第十三条 特赦、特定の者に対する減刑、刑の執行の免除又は特定の者に対する復権があつたときは、法務大臣は、特赦状、減刑状、刑の執行の免除状又は復権状を本人に下付しなければならない。

第十四条 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除又は復権があつたときは、検察官は、判決の原本にその旨を附記しなければならない。

第十五条 この法律の施行に関し必要な事項は、法務省令でこれを定める。

附 則 抄
○1 この法律は、日本国憲法施行の日から、これを施行する。

附 則 (昭和二二年一二月一七日法律第一九五号) 抄
第十七条 この法律は、公布の後六十日を経過した日から、これを施行する。

附 則 (昭和二四年五月三一日法律第一四三号)
この法律は、犯罪者予防更生法(昭和二十四年法律第百四十二号)施行の日(昭和二十四年七月一日)から施行する。

附 則 (昭和二七年七月三一日法律第二六八号) 抄
1 この法律は、昭和二十七年八月一日から施行する。

附 則 (平成一一年一二月二二日法律第一六〇号) 抄
(施行期日)
第一条 この法律(第二条及び第三条を除く。)は、平成十三年一月六日から施行する。ただし、次の各号に掲げる規定は、当該各号に定める日から施行する。
一 第九百九十五条(核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律の一部を改正する法律附則の改正規定に係る部分に限る。)、第千三百五条、第千三百六条、第千三百二十四条第二項、第千三百二十六条第二項及び第千三百四十四条の規定 公布の日

附 則 (平成二五年六月一九日法律第四九号) 抄
(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から起算して三年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。

昭和天皇の崩御に伴う職員の懲戒免除等について(平成元年2月14日付の文部省教育助成局長通知)

○文部科学省HPに掲載されている,昭和天皇の崩御に伴う職員の懲戒免除等について(平成元年2月14日付の文部省教育助成局長通知)は以下のとおりです。

昭和天皇の崩御に伴う職員の懲戒免除等について
昭和天皇の崩御に伴う大赦令及び復権令が平成元年二月一三日公布され、同月二四日から施行されることに伴い、「公務員等の懲戒免除等に関する法律」(昭和二七年法律第一一七号)に基づき、「昭和天皇の崩御に伴う国家公務員等の懲戒免除に関する政令」(平成元年政令第二九号)及び「昭和天皇の崩御に伴う予算執行職員等の弁償責任に基づく債務の免除に関する政令」(平成元年政令第三〇号)が平成元年二月一三日公布され、同月二四日から施行されることとなりました。これに伴い、総務庁人事局長等よりこれらの政令に関する通知(参考一)がなされました。また、人事院事務総長から、「懲戒が免除された職員の昇給に係る勤務成績の証明に関する取扱いの特例について」の通知(参考二)がなされました。
地方公務員の懲戒免除等については、自治事務次官等から各都道府県知事・指定都市市長等に対し、「昭和天皇の崩御に伴う職員の懲戒免除及び職員の賠償責任に基づく債務の減免について」の通知等(参考三)がなされました。
ついては、貴教育委員会におかれては、特に左記事項に十分留意され、その取扱いについて遺憾のないよう願います。
おつて貴管下市町村教育委員会に対しても周知方お願いします。
一 地方教育行政の組織及び運営に関する法律(昭和三一年法律第一六二号)第三七条第一項に規定する県費負担教職員の懲戒免除については、都道府県の条例で定めること。
二 国においては、大赦、政令による復権の範囲との均衡等を考慮し、国家公務員等のうち、法令の規定により、昭和六四年一月七日前の行為について、平成元年二月二四日前に減給、戒告又はこれらに相当する懲戒処分を受けた者に対しては、将来に向かつてその懲戒を免除することとしているものであること。
三 懲戒の免除は、将来に向かつてなされるものであり、懲戒処分に基づく既成の効果は、これにより変更されるものではないこと。したがつて、例えば、減給処分が免除された場合であれば、免除された日が減給期間中にあるときは、その日以後解除され、減給されない給与額に戻ることとなるが、減給期間がその日前に完了しているときは、なんらの変更を受けるものではないこと。
四 懲戒が免除された場合においても、その懲戒は将来に向かつて免除されるものであり、過去において昇給が延伸された者の給与上の取扱いについては、一切影響を与えないものであること。
また、昇給が延伸された者をその後の昇給において回復させるいわゆる昇給延伸の復元は給与制度上あり得ないものであること。この点に関しては、国家公務員については平成元年二月八日の人事管理官会議幹事会において、「過去において昇給が延伸された者をその後の昇給において回復させることは、給与制度上予定されておらず、各省庁は、既に昇給が延伸されている者についてその復元を目的として特別昇給等を行うことのないよう留意すること」という確認がなされているところである。このため、今回の懲戒免除に伴い、いわゆる昇給延伸の復元を絶対に行うことのないこと。
五 平成元年四月一日以降の最初の普通昇給に係る勤務成績の証明に関する取扱いについては、現に受ける給料月額又はこれに相当する給料月額を受けるに至つた日以降に懲戒処分を受けた職員のうち今回懲戒が免除された職員(同日以降に、免除された懲戒以外の懲戒の処分を受けた職員を除く。)は、免除された懲戒処分を受けたことを事由として勤務成績についての証明が得られないものとして取り扱うことはしないものであること。
参考〔略〕

昭和天皇の崩御に伴う予算執行職員等の弁償責任に基づく債務の免除に関する政令(平成元年2月13日政令第30号)

昭和天皇の崩御に伴う予算執行職員等の弁償責任に基づく債務の免除に関する政令
内閣は、公務員等の懲戒免除等に関する法律(昭和二十七年法律第百十七号)第四条の規定に基づき、この政令を制定する。

   公務員等の懲戒免除等に関する法律第四条の規定により、次に掲げる者の同条に規定する弁償責任に基づく債務で昭和六十四年一月七日前における事由によるものは、将来に向かって免除する。

一 予算執行職員等の責任に関する法律(昭和二十五年法律第百七十二号。以下「予算職員責任法」という。)第二条第一項に規定する予算執行職員

二 特別調達資金設置令(昭和二十六年政令第二百五号)第八条又は国税収納金整理資金に関する法律(昭和二十九年法律第三十六号)第十七条の規定により予算職員責任法の適用を受ける職員
三 会計法(昭和二十二年法律第三十五号)第三十八条第一項に規定する出納官吏、同法第三十九条第二項に規定する分任出納官吏及び出納官吏代理並びに同法第四十条第二項に規定する出納員(同法第四十八条第一項の規定によりこれらの者の事務を取り扱う職員を含む。)
四 物品管理法(昭和三十一年法律第百十三号)第三十一条第一項に規定する物品管理職員及び同条第二項に規定する物品を使用する職員
五 予算職員責任法第九条第一項に規定する公庫等予算執行職員、予算職員責任法第十条第一項に規定する公庫等の現金出納職員(たばこ事業法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(昭和五十九年法律第七十一号)附則第九条に規定する現金出納職員を含む。)及び予算職員責任法第十一条第一項に規定する公庫等の物品管理職員
六 日本電信電話株式会社法(昭和五十九年法律第八十五号)附則第十二条第五項又は日本国有鉄道改革法等施行法(昭和六十一年法律第九十三号)第二十九条第七項に規定する現金出納職員
附 則
この政令は、平成元年二月二十四日から施行する。

昭和天皇の崩御に伴う国家公務員等の懲戒免除に関する政令(平成元年2月13日政令第29号)

昭和天皇の崩御に伴う国家公務員等の懲戒免除に関する政令

内閣は、公務員等の懲戒免除等に関する法律(昭和二十七年法律第百十七号)第二条の規定に基づき、この政令を制定する。

次に掲げる者(平成元年二月二十四日前に第一号から第十六号までに掲げる者でなくなった者を含む。)のうち、これらの者に係る懲戒を定める法令の規定により、昭和六十四年一月七日前の行為について、平成元年二月二十四日前に減給、過料、過怠金、戒告又は譴責の懲戒処分を受けた者に対しては、将来に向かってその懲戒を免除するものとする。
一 国家公務員
二 公証人
三 弁護士
四 司法書士
五 土地家屋調査士
六 外国法事務弁護士
七 公認会計士、会計士補若しくは外国公認会計士又は計理士
八 税理士
九 通関士
十 社会保険労務士
十一 弁理士
十二 水先人
十三 海事代理士
十四 海技従事者
十五 水害予防組合の委員又は吏員
十六 建築士
十七 日本専売公社の職員であった者
十八 日本国有鉄道の職員であった者
十九 日本電信電話公社の職員であった者
附 則
この政令は、平成元年二月二十四日から施行する。

特赦、減刑又は刑の執行の免除の出願に関する臨時特例に関する省令(平成元年2月13日法務省令第4号)

特赦、減刑又は刑の執行の免除の出願に関する臨時特例に関する省令(平成元年2月13日法務省令第4号)
第一条 基準日の前日までに刑に処せられた次に掲げる者は、恩赦法施行規則(昭和二十二年司法省令第七十八号。以下「規則」という。)第六条第一項本文の規定にかかわらず、平成元年五月二十三日までは、同条の定める期間を経過する前においても、特赦の出願をすることができる。
一 大赦令(平成元年政令第二十七号)第一条に掲げる罪を犯した者で、同令第二条により赦免を得ないもの。ただし、他の罪の罪質が軽微である場合に限る。
二 大赦令第一条に掲げる罪と他の罪との併合罪につき併合して一個の刑に処せられた者で、他の罪が同条に掲げる罪に付随して犯され、その罪質が軽微であるもの
三 少年のとき犯した罪により刑に処せられ、昭和六十四年一月七日(以下「基準日」という。)の前日までにその執行を終わり又は執行の免除を得た者
四 基準日において七十歳以上の者で、有期刑に処せられ、基準日の前日までに刑期の二分の一以上その執行を受けたもの
五 有期刑に処せられ、その執行を猶予され、基準日の前日までにその猶予の期間の二分の一以上を経過した者のうち、その刑に処せられたことが現に公共的社会生活上の障害となっている者
六 有期刑に処せられた者(刑法(明治四十年法律第四十五号)の罪(過失犯を除く。)、同法以外の法律において短期一年以上の刑を定める罪又は薬物に係る罪により刑に処せられた者を除く。)のうち、社会のために貢献するところがあり、かつ、その刑に処せられたことが現に公共的社会生活上の障害となっている者

七 罰金に処せられ、その執行を猶予された者又は基準日の前日までにその執行を終わり若しくは執行の免除を得た者のうち、その刑に処せられたことが現に社会生活上の障害となっている者

第二条 基準日の前日までに略式命令の送達、即決裁判の宣告又は有罪、無罪若しくは免訴の判決の宣告を受け、平成元年五月二十三日までにその裁判に係る罪について刑に処せられた次に掲げる者は、規則第六条第一項本文の規定にかかわらず、平成元年八月二十三日までは、同条の定める期間を経過する前においても、特赦の出願をすることができる。

一 有期刑に処せられた者(刑法の罪(過失犯を除く。)、同法以外の法律において短期一年以上の刑を定める罪又は薬物に係る罪により刑に処せられた者を除く。)のうち、社会のために貢献するところがあり、かつ、その刑に処せられたことが現に公共的社会生活上の障害となっている者

二 罰金に処せられ、その執行を猶予された者又は平成元年五月二十三日までにその執行を終わり若しくは執行の免除を得た者のうち、その刑に処せられたことが現に社会生活上の障害となっている者

第三条 基準日の前日までに懲役又は禁錮に処せられた次に掲げる者は、規則第六条第一項本文の規定にかかわらず、平成元年五月二十三日までは、同条の定める期間を経過する前においても、減刑の出願をすることができる。

一 少年のとき犯した罪により有期刑に処せられ、その執行を終わっていない者又は執行の免除を得ていない者(執行猶予中の者を除く。)で次に掲げるもの
1 法定刑の短期が一年以上に当たる罪を犯した場合は、基準日の前日までに刑期の二分の一以上その執行を受けた者(不定期刑に処せられた者については、短期の二分の一以上その執行を受けた者)
2 その他の場合は、基準日の前日までに刑期の三分の一以上その執行を受けた者(不定期刑に処せられた者については、短期の三分の一以上その執行を受けた者)
二 少年のとき犯した罪により有期刑に処せられ、その執行を猶予され、基準日の前日までにその猶予の期間の三分の一以上を経過した者
三 基準日において七十歳以上の者で、有期刑に処せられ、基準日の前日までに刑期の三分の一以上その執行を受けたもの。ただし、刑の執行を終わっていない者又は執行の免除を得ていない者(執行猶予中の者を除く。)に限る。
四 有期刑に処せられ、その執行を猶予され、基準日の前日までにその猶予の期間の三分の一以上を経過した者のうち、その刑に処せられたことが現に公共的社会生活上の障害となっている者

五 有期刑に処せられた者(刑法の罪(過失犯を除く。)、同法以外の法律において短期一年以上の刑を定める罪又は薬物に係る罪により刑に処せられた者を除く。)で、その執行を終わっていないもの又は執行の免除を得ていないもののうち、その刑に処せられたことが現に公共的社会生活上の障害となっているもの

第四条 基準日の前日までに略式命令の送達、即決裁判の宣告又は有罪、無罪若しくは免訴の判決の宣告を受け、平成元年五月二十三日までにその裁判に係る罪について有期刑に処せられた者(刑法の罪(過失犯を除く。)、同法以外の法律において短期一年以上の刑を定める罪又は薬物に係る罪により刑に処せられた者を除く。)で、その執行を終わっていないもの又は執行の免除を得ていないもののうち、その刑に処せられたことが現に公共的社会生活上の障害となっているものは、規則第六条第一項本文の規定にかかわらず、平成元年八月二十三日までは、同条の定める期間を経過する前においても、減刑の出願をすることができる。

第五条 基準日の前日までに懲役又は禁錮に処せられ、病気その他の事由により基準日までに長期にわたりその刑の執行を停止されている者で、なお長期にわたりその執行に耐えられないと認められるものは、規則第六条第一項本文の規定にかかわらず、平成元年五月二十三日までは、同条の定める期間を経過する前においても、刑の執行の免除の出願をすることができる。

附 則
この省令は、平成元年二月二十四日から施行する。

昭和天皇の崩御に際会して行う特別恩赦基準(平成元年2月8日臨時閣議決定)

昭和天皇の崩御に際会して行う特別恩赦基準

(趣旨)

昭和天皇の崩御に際会し、内閣は、この基準により特赦、特別減刑、刑の執行の免除及び特別復権を行うこととする。

(対象)

この基準による特赦、特別減刑、刑の執行の免除又は特別復権は、昭和六十四年一月七日(以下「基準日」という。)の前日までに有罪の裁判が確定している者に対して行う。ただし、第四項及び第五項においてそれぞれただし書をもって定める場合は、その定めによるものとする。

(出願又は上申の手続)
1 この基準による特赦、特別減刑、刑の執行の免除又は特別復権については、本人の出願を待って行うものとし、本人は、平成元年二月二十四日から同年五月二十三日までに刑務所(少年刑務所及び拘置所を含む。以下同じ。)若しくは保護観察所の長又は検察官に対して出願をし、刑務所若しくは保護観察所の長又は検察官は、同年八月二十三日までに中央更生保護審査会に対して上申をするものとする。ただし、前項ただし書に係る場合については、同日までに出願をし、同年十一月二十四日までに上申をすることができるものとする。

2 前号の定めは、この基準による特赦、特別減刑、刑の執行の免除又は特別復権について、刑務所若しくは保護観察所の長又は検察官の職権による上申を妨げるものではない。この場合の上申期限は、同号に定めるところによる。

(特赦の基準)
特赦は、基準日の前日までに刑に処せられた次に掲げる者のうち、犯情、本人の性格、行状、犯罪後の状況、社会の感情等にかんがみ、特に赦免することが相当であると認められる者について行う。ただし、第7号及び第8号に掲げる者については、同日までに略式命令の送達、即決裁判の宣告又は有罪、無罪若しくは免訴の判決の宣告を受け、平成元年五月二十三日までにその裁判に係る罪について有罪の裁判が確定した者に対しても、特にこの基準による特赦を行うことができるものとする。
1 大赦令 (平成元年政令第二十七号)第一条に掲げる罪を犯した者で、同令第二条により赦免を得ないもの。ただし、他の罪の罪質が軽微である場合に限る。
2 大赦令第一条に掲げる罪と他の罪との併合罪につき併合して一個の刑に処せられた者で、他の罪が同条に掲げる罪に付随して犯され、その罪質が軽微であるもの
3 少年のとき犯した罪により刑に処せられ、基準日の前日までにその執行を終わり又は執行の免除を得た者
4 基準日において七十歳以上の者で、有期刑に処せられ、基準日の前日までに刑期の二分の一以上その執行を受けたもの
5 禁錮以上の刑に処せられ、その執行を終わり又は執行の免除を得た日から基準日の前日までに五年以上を経過した者のうち、その刑に処せられたことが現に公共的社会生活上の障害となっている者
6 有期刑に処せられ、その執行を猶予され、基準日の前日までにその猶予の期間の二分の一以上を経過した者のうち、その刑に処せられたことが現に公共的社会生活上の障害となっている者
7 有期刑に処せられた者(刑法(明治四十年法律第四十五号)の罪(過失犯を除く。)、同法以外の法律において短期一年以上の刑を定める罪又は薬物に係る罪により刑に処せられた者を除く。)のうち、社会のために貢献するところがあり、かつ、その刑に処せられたことが現に公共的社会生活上の障害となっている者

8 罰金に処せられ、その執行を猶予された者又は基準日の前日までにその執行を終わり若しくは執行の免除を得た者のうち、その刑に処せられたことが現に社会生活上の障害となっている者

(特別減刑の基準)
1 特別減刑は、基準日の前日までに懲役又は禁錮に処せられた次に掲げる者のうち、犯情、本人の性格、行状、犯罪後の状況、社会の感情等にかんがみ、特に減刑することが相当であると認められる者について行う。ただし、(五)に掲げる者については、同日までに略式命令の送達、即決裁判の宣告又は有罪、無罪若しくは免訴の判決の宣告を受け、平成元年五月二十三日までにその裁判に係る罪について有罪の裁判が確定した者に対しても、特にこの基準による減刑を行うことができるものとする。
(一)少年のとき犯した罪により有期刑に処せられ、その執行を終わっていない者又は執行の免除を得ていない者(執行猶予中の者を除く。)で次に掲げるもの
(1) 法定刑の短期が一年以上に当たる罪を犯した場合は、基準日の前日までに刑期の二分の一以上その執行を受けた者(不定期刑に処せられた者については、短期の二分の一以上その執行を受けた者)
(2) その他の場合は、基準日の前日までに刑期の三分の一以上その執行を受けた者(不定期刑に処せられた者については、短期の三分の一以上その執行を受けた者)
(二)少年のとき犯した罪により有期刑に処せられ、その執行を猶予され、基準日の前日までにその猶予の期間の三分の一以上を経過した者
(三)基準日において七十歳以上の者のうち、刑の執行を終わっていない者又は執行の免除を得ていない者(執行猶予中の者を除く。)で次に掲げるもの
(1) 有期刑に処せられ、基準日の前日までに刑期の三分の一以上その執行を受けた者
(2) 無期刑に処せられ、基準日の前日までに十年以上その執行を受けた者
(四)有期刑に処せられ、その執行を猶予され、基準日の前日までにその猶予の期間の三分の一以上を経過した者のうち、その刑に処せられたことが現に公共的社会生活上の障害となっている者
(五)有期刑に処せられた者(刑法の罪(過失犯を除く。)、同法以外の法律において短期一年以上の刑を定める罪又は薬物に係る罪により刑に処せられた者を除く。)で、その執行を終わっていないもの又は執行の免除を得ていないもののうち、その刑に処せられたことが現に公共的社会生活上の障害となっているもの
2 減刑は、次の例による。
(一)無期懲役は、十五年の有期懲役とし、無期禁錮は、十五年の有期禁錮とする。
(二)有期の懲役又は禁錮については、次の例により刑期を変更する。
(1) 基準日において七十歳以上の者の場合にあっては、刑期の三分の一を超えない範囲で、その刑を減ずる。
(2) その他の者の場合にあっては、刑期の四分の一を超えない範囲で、その刑を減ずる。
(三) 不定期刑については、短期及び長期について(二)の(2)の例による。

(四) 懲役又は禁錮について言い渡された執行猶予の期間は、その四分の一を超えない範囲で短縮する。

(刑の執行の免除の基準)
刑の執行の免除は、基準日の前日までに懲役又は禁錮に処せられた次に掲げる者のうち、犯情、本人の性格、行状、犯罪後の状況、社会の感情等にかんがみ、特に刑の執行の免除をすることが相当であると認められる者について行う。
1 病気その他の事由により基準日までに長期にわたりその刑の執行を停止されている者で、なお長期にわたりその執行に耐えられないと認められるもの

2 基準日において七十歳以上の者で、仮出獄を許されてから基準日の前日までに二十年以上を経過したもの

(特別復権の基準)
特別復権は、基準日の前日までに、一個若しくは二個以上の裁判により禁錮以上の刑に処せられ又は一個若しくは二個以上の裁判により罰金及び禁錮以上の刑に処せられて禁錮以上の刑につきその全部の執行を終わり又は執行の免除を得た次に掲げる者のうち、犯情、本人の性格、行状、犯罪後の状況、社会の感情等にかんがみ、特に復権することが相当であると認められる者について行う。
1 禁錮以上の刑につきその全部の執行を終わり又は執行の免除を得た日から基準日の前日までに三年以上を経過し、刑に処せられたことが現に社会生活上の障害となっている者
2 社会のために貢献するところがあり、かつ、刑に処せられたことが現に公共的社会生活上の障害となっている者

3 基準日において七十歳以上の者

(その他)

この基準に当たらない者であっても、特赦、特別減刑、刑の執行の免除又は特別復権を行うことが相当であると認められるものについては、常時恩赦の対象として考慮するものとする。

(実施の時期)
この基準による特赦、特別減刑、刑の執行の免除及び特別復権は、平成元年二月二十四日から行うものとする。

復権令(平成元年2月13日政令第28号)

復権令
内閣は、恩赦法(昭和二十二年法律第二十号)第九条の規定に基づき、この政令を制定する。
第一条 一個又は二個以上の裁判により罰金に処せられた者で、昭和六十四年一月七日(以下「基準日」という。)の前日までにその全部の執行を終わり又は執行の免除を得たものは、この政令の施行の日において、その罰金に処せられたため法令の定めるところにより喪失し又は停止されている資格を回復する。
2 基準日の前日までに一個又は二個以上の略式命令の送達、即決裁判の宣告又は有罪、無罪若しくは免訴の判決の宣告を受け、平成元年五月二十三日までにその裁判に係る罪の一部又は全部について罰金に処せられた者で、基準日から平成元年五月二十三日までにその全部の執行を終わり又は執行の免除を得たものは、基準日からこの政令の施行の日の前日までにその全部の執行を終わり又は執行の免除を得た場合にあってはこの政令の施行の日において、この政令の施行の日から平成元年五月二十三日までにその全部の執行を終わり又は執行の免除を得た場合にあってはその執行を終わり又は執行の免除を得た日の翌日において、それぞれその罰金に処せられたため法令の定めるところにより喪失し又は停止されている資格を回復する。ただし、他に罰金に処せられているときは、この限りでない。

第二条 一個又は二個以上の裁判により禁錮以上の刑に処せられた者で、その全部の刑の執行を終わり又は執行の免除を得た日から基準日の前日までに五年以上を経過したものは、この政令の施行の日において、その禁錮以上の刑に処せられたため法令の定めるところにより喪失し又は停止されている資格を回復する。

第三条 一個又は二個以上の裁判により罰金及び禁錮以上の刑に処せられた者は、罰金については第一条の、禁錮以上の刑については前条の、いずれの要件にも該当する場合に限り、復権する。

附 則
この政令は、平成元年二月二十四日から施行する。

大赦令(平成元年2月13日政令第27号)

大赦令
内閣は、恩赦法(昭和二十二年法律第二十号)第二条及び第三条の規定に基づき、この政令を制定する。
第一条 昭和六十四年一月七日前に次に掲げる罪を犯した者は、赦免する。
一 食糧管理法(昭和十七年法律第四十号)第三十二条第一項第一号の罪(第三条第一項の規定に違反する行為に係るものに限る。)、第三十二条第一項第三号(これに相当する旧規定を含む。)の罪及び第三十三条の罪並びにこれらに関する第三十七条の罪
二 食糧緊急措置令(昭和二十一年勅令第八十六号)に違反する罪
三 物価統制令(昭和二十一年勅令第百十八号)に違反する罪
四 地代家賃統制令(昭和二十一年勅令第四百四十三号)に違反する罪
五 外国人登録法(昭和二十七年法律第百二十五号)第十八条の二(これに相当する旧規定を含む。)の罪並びに外国人登録法の一部を改正する法律(昭和五十七年法律第七十五号)及び外国人登録法の一部を改正する法律(昭和六十二年法律第百二号。以下「改正法」という。)による各改正前の外国人登録法第十八条第一項第八号の罪(改正法施行後に行われたとしたならば罪とならない行為に係るものに限る。)
六 未成年者喫煙禁止法(明治三十三年法律第三十三号)第三条の罪
七 鉄道営業法(明治三十三年法律第六十五号)第三十四条の罪、第三十五条の罪、第三十七条の罪及び第四十条の罪
八 未成年者飲酒禁止法(大正十一年法律第二十号)に違反する罪
九 軽犯罪法(昭和二十三年法律第三十九号)に違反する罪
十 興行場法(昭和二十三年法律第百三十七号)第十条の罪及びこれに関する第十一条の罪
十一 旅館業法(昭和二十三年法律第百三十八号)第十二条の罪
十二 公衆浴場法(昭和二十三年法律第百三十九号)第十条の罪及びこれに関する第十一条の罪
十三 古物営業法(昭和二十四年法律第百八号)第三十二条の罪
十四 郵便物運送委託法(昭和二十四年法律第二百八十四号)第二十三条の罪及びこれに関する第二十四条の罪
十五 質屋営業法(昭和二十五年法律第百五十八号)第三十四条の罪
十六 狂犬病予防法(昭和二十五年法律第二百四十七号)第二十八条の罪

十七 酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律(昭和三十六年法律第百三号)第四条の罪

第二条 前条に掲げる罪に当たる行為が、同時に他の罪名に触れるとき、又は他の罪名に触れる行為の手段若しくは結果であるときは、赦免をしない。

附 則

この政令は、平成元年二月二十四日から施行する。

恩赦の件数,無期刑仮釈放者及び復権

1 恩赦の件数
   法務省が毎年,発行している犯罪白書によれば,恩赦の人数の推移は以下のとおりです(平成18年版以降の犯罪白書では,「第2編 犯罪者の処遇」→「第5章 更生保護」→「第4節 恩赦」)。
(昭和時代)
昭和43年:特赦が  6人,減刑が 28人,刑の執行の免除が 20人,復権が 32人
昭和44年:特赦が410人,減刑が170人,刑の執行の免除が106人,復権が166人
昭和45年:特赦が 35人,減刑が 45人,刑の執行の免除が 36人,復権が 55人
昭和46年:特赦が 33人,減刑が 29人,刑の執行の免除が 54人,復権が109人
昭和47年:特赦が133人,減刑が 19人,刑の執行の免除が 46人,復権が116人
昭和48年:特赦が105人,減刑が 47人,刑の執行の免除が 97人,復権が165人
昭和49年:特赦が 26人,減刑が 35人,刑の執行の免除が 55人,復権が 86人
昭和50年:特赦が 16人,減刑が 43人,刑の執行の免除が 58人,復権が139人
昭和51年:特赦が  4人,減刑が 19人,刑の執行の免除が 45人,復権が155人
昭和52年:        減刑が  9人,刑の執行の免除が 30人,復権が165人
昭和53年:特赦が  5人,減刑が  7人,刑の執行の免除が 47人,復権が187人
昭和54年:        減刑が  4人,刑の執行の免除が 28人,復権が143人
昭和55年:特赦が  2人,減刑が  2人,刑の執行の免除が 30人,復権が160人
昭和56年:                刑の執行の免除が 29人,復権が 91人
昭和57年:特赦が  2人,        刑の執行の免除が 43人,復権が158人
昭和58年:        減刑が  1人,刑の執行の免除が 59人,復権が158人
昭和59年:                刑の執行の免除が 38人,復権が197人
昭和60年:        減刑が  1人,刑の執行の免除が 45人,復権が141人
昭和61年:特赦が 1人,         刑の執行の免除が 47人,復権が151人
昭和62年:特赦が 1人,         刑の執行の免除が 22人,復権が 73人
昭和63年:                刑の執行の免除が 14人,復権が 97人
(平成時代)
平成 1年:特赦が 6人,減刑が3人,刑の執行の免除が20人,復権が52人
平成 2年:特赦が 1人,減刑が5人,刑の執行の免除が 8人,復権が62人
平成 3年:             刑の執行の免除が 2人,復権が28人
平成 4年:特赦が20人,減刑が3人,刑の執行の免除が20人,復権が53人
平成 5年:特赦が 2人,減刑が1人,刑の執行の免除が 9人,復権が45人
平成 6年:       減刑が4人,刑の執行の免除が10人,復権が55人
平成 7年:       減刑が2人,刑の執行の免除が11人,復権が70人
平成 8年:       減刑が1人,刑の執行の免除が 5人,復権が82人
平成 9年:刑の執行の免除が11人,復権が81人
平成10年:刑の執行の免除が14人,復権が88人
平成11年:刑の執行の免除が14人,復権が84人
平成12年:刑の執行の免除が14人,復権が77人
平成13年:刑の執行の免除が16人,復権が92人
平成14年:刑の執行の免除が21人,復権が75人
平成15年:刑の執行の免除が16人,復権が64人
平成16年:刑の執行の免除が18人,復権が64人
平成17年:刑の執行の免除が 8人,復権が73人
平成18年:刑の執行の免除が 7人,復権が47人
平成19年:刑の執行の免除が 6人,復権が63人
平成20年:刑の執行の免除が 4人,復権が77人
平成21年:刑の執行の免除が 6人,復権が35人
平成22年:刑の執行の免除が 2人,復権が46人
平成23年:刑の執行の免除が 2人,復権が52人
平成24年:刑の執行の免除が 5人,復権が19人
平成25年:刑の執行の免除が 5人,復権が29人
平成26年:刑の執行の免除が 2人,復権が34人
平成27年:刑の執行の免除が 6人,復権が24人
平成28年:刑の執行の免除が 5人,復権が24人
(2)ア 平成17年版犯罪白書の「第5節 恩赦」には以下の記載があります(「仮出獄」は現在,「仮釈放」といいます。)。
刑の執行の免除は,主として無期刑仮出獄者が更生したと認められる場合に,保護観察を終了させる措置として行われており,復権は,更生したと認められる者が前科により資格を喪失し又は停止されていることが社会的活動の障害となっている場合に,その資格を回復させるものである。いずれも,これらの者の社会復帰を促進する刑事政策的役割を果たしている。
イ 仮釈放された無期刑受刑者は,社会内処遇ということで,刑の執行の免除がない限り,一生,保護観察を受け続けることになります(更生保護法40条及び48条3号)。

2 無期刑仮釈放者
(1)ア 法務省HPの「無期刑受刑者の仮釈放の運用状況等について」に掲載されている「無期刑の執行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況について」(平成29年11月)によれば,平成19年から平成28年までの無期刑仮釈放者の人数の推移は以下のとおりであり,合計76人でした。
平成19年: 3人,平成20年:5人,平成21年: 6人,平成22年:9人
平成23年: 8人,平成24年:8人,平成25年:10人,平成26年:7人
平成27年:11人,平成28年:9人
イ 同時期に死亡した無期刑受刑者数は176人でした。
(2)ア 無期懲役が確定し,矯正施設において服役している者の数は,平成12年8月1日現在,904人です(平成12年10月3日付の「衆議院議員保坂展人君提出死刑と無期懲役の格差に関する質問に対する答弁書」参照)。
イ 平成28年末時点で刑事施設に在所中の無期刑受刑者(年末在所無期刑者)は,1815人です(「無期刑の執行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況について」(平成29年11月)参照)。
(3) 刑法28条からすれば,無期刑受刑者は10年を経過した時点で仮釈放される可能性があるものの,運用上は30年以上が経過した時点で初めて仮釈放されています。

3 復権
(1) 恩赦としての「復権」を受けなくても,以下の場合,当然に復権します。
① 禁錮以上の刑の執行を終わり,又はその執行を免除された者が,罰金以上の刑に処せられないで10年が経過したとき(刑法34条の2第1項前段)
② 罰金以下の刑の執行を終わり,又はその執行を免除された者が,罰金以上の刑に処せられないで5年が経過したとき(刑法34条2の第1項後段)。
③ 刑の執行猶予の言渡しを受けた者が,刑の執行猶予を取り消されることなく,猶予期間が経過したとき(刑法27条)。
④ 刑の免除の言渡しを受けた者が,その言渡しが確定した後,罰金以上の刑に処せられないで2年が経過したとき(刑法34条の2第2項)
(2)  刑法34条の2第1項に「刑の言渡しは,効力を失う」とあるのは,刑の言渡しに基く法的効果が将来に向って消滅するという趣旨であって,その刑の言渡しを受けたという既往の事実そのものを量刑判断にあたって斟酌することは同条項に違反しません(最高裁昭和29年3月11日判決参照)。