昭和時代の恩赦に関する国会答弁

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第1 終戦記念恩赦,憲法公布記念恩赦及び平和条約恩赦に関する国会答弁
   笛吹亨三法務省保護局長は,昭和47年5月12日の衆議院法務委員会において以下の答弁をしています(ナンバリング及び改行を追加しました。)。
1 昭和二十年の終戦記念の恩赦における大赦令の該当でございますが、御承知のように、大赦令は罪を特定いたしまして赦免するわけでございますが、これは非常にたくさんございまして、これを全部読み上げると非常にたいへんなことになると思うのですが、刑法の中でも不敬罪。それから内乱関係。外患関係。外国元首に対する暴行、脅迫、侮辱関係。それから外国国章の損壊等。私戦の予備陰謀。中立命令違背。安寧秩序に関する罪。刑法関係ではこういったものが入っております。
   それからあと陸軍刑法の関係、海軍刑法の関係、これは全部じゃございませんが、陸軍刑法、海軍刑法の中から大部分が入っております。
   それから治安警察法違反。新聞紙法違反。出版法違反。選挙罰則違反。それから戦時刑事の特別法の関係。それから戦時の経済統制関係の法令、これがまたたくさんございます。そういった統制関係などが入っております。
   それから、減刑令はこれは除外するものだけが規定されて、その他のものは減刑に該当するという形式をとっておりますが、除外された罪名は強盗に対する罪、 それから外患に対する罪、建造物放火、通貨偽造、強姦致死傷、尊属殺人、尊属傷害致死、尊属遺棄あるいは尊属逮捕監禁、それから強盗関係。これは単純強盗を含んで強盗関係。強盗殺人、強盗致傷、強盗強姦致死、そういった刑法における凶悪な犯罪なども除外してございますが、そのほかに陸軍刑法、海軍刑法の中でも若干のものを除外いたしております。
   それから、復権令におきましては、対象を罰金以上、したがいまして罰金、禁錮、懲役、全部でございますが、罰金以上を全部対象といたしております。
2 それから、二十一年の憲法公布の記念の恩赦の場合も、これも非常に大赦令も相当大幅に出たわけでございますが、ただいま申し上げたのとやや似た非常に広範囲なもので、これを重複しますとまた時間もかかりますから、その程度でひとつごしんぼう願います。
   それから、減刑令につきましても、大体同じような凶悪なものを除外するという形をとっておりますし、復権令は対象がやはり罰金以上全部ということになっております。
3   それから、平和条約の場合も、そのように相当広い範囲のものを拾い上げておりますが、この場合はさらに大赦令におきまして、占領政策に、占領中のいろんな関係法令に違反したものを大赦令で救済するという形で大赦令が出ております。
   そのほかに、減刑令につきましても、先ほど申しましたのと大体似ております。
   復権令は、これは先ほどと同じように罰金以上全部ということになっております。
4 さらに、国際連合加盟の昭和三十一年の十二月の場合には、これは大赦令が出ておるわけでございますが、大赦令の内容は、対象になりますものは、公職選挙法に違反する罪、それから旧刑法の二百三十三条から二百三十六条、それから政治資金規正法に違反する罪、地方自治法の罪、それから最高裁判所裁判官国民審査法に違反する罪、こういったものが大赦令の対象にしてございます。
   国連加盟のときの政令はその程度でございます。
5 このように、いろいろそのときの恩赦も、どういう意味において恩赦が行なわれるかということによっていろいろ取り上げ方が変わったものだと考えております。

第2 国連加盟恩赦,皇太子ご成婚恩赦及び明治百年記念の恩赦に関する国会答弁
   笛吹亨三法務省保護局長は,昭和47年4月25日の衆議院法務委員会において以下の答弁をしています(ナンバリング及び改行を追加しました。)。
1(1) 昭和三十一年十二月の国連加盟恩赦、これは大赦が行なわれたのでございますが、ただいま御指摘のように、六万九千六百二十七の政令恩赦の該当者の中で、ほとんどが公職選挙法違反を中心としたものであるということで、これはそのとおりでございますが、私この恩赦がなぜ行なわれたのであろうかということを考えてみますと、日本が第二次大戦で負けまして、その後連合国軍の占領のもとにあって、ようやく二十七年に講和条約が結ばれて独立国として立ったわけでございますけれども、国際的には、まだやはり国際社会の中に十分復帰しておりません。
   いわば国際的な孤児のような形でおったものが、昭和三十一年に国際連合に加盟できまして国際社会に復帰したという、これは日本にとって政治的、外交的に非常に記念すべきときであったのであろうと思います。
(2) したがいまして、そういったことを記念するという意味で恩赦が行なわれたのではないかと思うのでございますが、そういった意味もございまして、政治的な色彩の濃い記念恩赦を行なうということから、公職選挙法を中心とした恩赦が行なわれたのではないかと考えておるのであります。
   そういった意味で、そういう政治的な犯罪を犯した人たちを、この際人心を一新しまして、新しく立ち直らして新出発させるという意味において行なわれました恩赦として、これまたやはりそういった意味における刑事政策的な意味があったのではなかろうか、このように考えております。
2 それから、次の昭和三十四年の皇太子御成婚の恩赦でございますが、これは復権令だけが行なわれまして、その際に、ただいまおっしゃいましたように公職選挙法を中心とした政治的な犯罪と、あと食管法とか物統令とかいいます経済関係法令違反といった者を含めた復権令が出されたわけでございます。
   この皇太子の御成婚というのは、やはり日本といたしましては国をあげてお喜び申し上げるといったような行事でございますので、そういったときに、国民に広く喜びを分かつという意味において恩赦が行なわれたのではないかと思うのでございますが、そういった日本が戦後非常な苦難をなめてきてここまで発展してきたという意味もあって、選挙関係を中心とした政治的な犯罪を犯された方々、あるいはまた経済統制でいろいろ戦中、戦後にわたって処罰されてきたような人がございますが、そういった人たちも、経済的に立ち直った日本の今日においては、そういった面で権利を回復さす必要があるのではないかということから出されたのではないかと考えておるのであります。
3 さらに、昭和四十三年の明治百年記念の恩赦でございますが、これは復権令が出されまして、ただいまおっしゃいましたように公職選挙法関係の政治関係の犯罪、それから物価統制令、食管法その他の経済関係法令、さらに道路交通法と自動車の保管場所の確保等に関する法律、こういった道路交通関係の犯罪といった者を対象にして復権令が出されたわけでございます。
   明治百年というのは、日本が徳川時代までの封建的な社会から明治の時代になって、新しい民主的な社会に一歩を踏み出した、そして明治になってから日本が国際的に発展していって今日の隆盛を見たということから、非常に記念すべきときである。
   これを記念して国民とともに喜ぶとともに、さらに将来に対して国家の発展を記念するという意味における明治百年記念の恩赦が行なわれたのも、また一つの意味があるのではないかと思うものであります。
   日本がこんなに立ち直ったというようなことは、その政治に当たられた方々の非常な功績もあるのではなかろうかと思っておりますが、そういった意味における政治的な犯罪に対する恩赦、これは復権でございますが、そういった意味において権利を回復さすということも意味があるのではないかと思っております。
4 さらにまた、経済統制関係の違反につきましては、そのようにもうすでにその当時、経済的にほとんど立ち直ってこんな隆盛を見ておる時代でございますから、そういった意味における犯罪を犯した人の権利を回復させたり、さらにまた道路交通につきましては、道路交通法違反というのはこれまでに非常に数が多かったわけでございます。
   該当者は、ちょっとお手元に差し上げております数字は、一応こちらでチェックできましたものだけが載っておるのですが、実際はこれは一千万以上ございます。何人かちょっと把握できないくらい多かったわけでございますが、それほど道路交通法違反者というものが、みな罰金を払ったりあるいはまたその他の刑罰に処せられて前科になっておったのでございますが、いわゆる交通反則金制度ができましたのと置きかえに、やはりこの際それらの人たちは権利を回復さすのが相当であろうといったような配慮から、この復権令の中に入れられたものと考えるのであります。
5 私は、そういう意味において、これらの恩赦はそれぞれ意味がございまして、合理性も盛った、やはり刑事政策的な意味も盛り込んだ恩赦ではなかったのではなかろうかというふうに考えておるわけでございます。

* 「戦後の政令恩赦及び特別基準恩赦」も参照してください。