日本の戦後賠償の金額等

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目次
1 日本の戦後賠償の金額
2 日本とドイツの戦後補償の比較
3 国家賠償法施行以前の取扱い
4 東京高裁平成13年10月11日判決(裁判長は18期の浅生重機裁判官)の判示内容
5 その他

1 日本の戦後賠償の金額

(1) 日本の戦後賠償については,外務省HPの「歴史問題Q&A 関連資料 日本の具体的戦後処理(賠償,財産・請求権問題)」が詳しいです。
(2)ア 外務省HPの「賠償並びに戦後処理の一環としてなされた経済協力及び支払い等」によれば,日本の戦後賠償の支払総額は264億2864万8268ドル(1兆3525億2789万8145円)みたいです。
イ 主なものは,賠償額10億1208万ドル(3643億4880万円)及び在外財産の放棄236億8100万ドル(3794億9900万円)です。
ウ フィリピンに対する賠償は5億5000万ドル,ベトナムに対する賠償は3900万ドル,ビルマに対する賠償は2億ドル,インドネシアに対する賠償は2億2308万ドルです。
エ 在外財産の放棄のうち,朝鮮が702億5600万円,台湾(中華民国)が425億4200万円,中国(東北)が1465億3200万円,中国(華北)が554億3700万円,中国(華中・華南)が367億1800万円,その他の地域(樺太,南洋,その他南方地域,欧米諸国等)が280億1400万円です。

2 日本とドイツの戦後補償の比較
(1) NAVERまとめの「日本はドイツのように戦後補償をしていないと主張する人がいますが、本当はどうなんでしょう 」には以下の趣旨の記載があります(②及び③の現在換算の計算方法はよく分かりません。)。
(ドイツの戦後補償)
① ドイツの連邦補償法制定以来,同法に基づく給付申請約450万件中220万件が認定され、これまでにおよそ710.5億万マルク(3兆5951.3億円)を給付、現在は約14万人に年間15億マルク(759億円 1人平均月額900マルク(1マルク50.6円換算で45540円))を支払っている。
(日本の戦後補償)
② 例えばフィリピンには賠償約1980億円、借款約900億円、インドネシアには賠償約803億円、借款約1440億円を支払っています。この他、別表にあるように、賠償、補償の総額は約3565億5千万円、借款約2687億8千万円で併せて6253億円(現在換算20兆971.42億円)にのぼります。
③ これ以外にも事実上の賠償として、当時日本が海外に保有していた財産はすべて没収されました。
それは日本政府が海外にもっていた預金のほか鉄道、工場、建築物、はては国民個人の預金、住宅までを含み、当時の計算で約1兆1千億円(現在換算35兆3540億円)に達しています。
④ 現在の経済大国、日本ではなく、戦後のまだ貧しい時代に、時には国家予算の3割近くの賠償金を約束し、きちんと実行してきていたのです。
(両者の比較)
⑤ ドイツは個人補償が中心で、国に対する賠償金は支払っていません。
   一方、日本は国に対する賠償、および経済協力という形で、ドイツの数倍の金額を支払っています。
(2) 「ドイツの戦後補償」も参照してください。
(3) 外務省HPに
「外交史料館所蔵資料に見るドイツ戦後賠償の形成過程」が載っています。

3 国家賠償法施行以前の取扱い
(1) 最高裁昭和25年4月11判決判示
   国家賠償施行以前においては、一般的に国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかつたことは前述のとおりであつて、大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して、常に国に賠償責任のないことを判示して来たのである。(当時仮りに論旨のような学説があつたとしても、現実にはそのような学説は行われなかつたのである。)
(2) 最高裁平成15年4月18判決の判示
   法律行為が公序に反することを目的とするものであるとして無効になるかどうかは,法律行為がされた時点の公序に照らして判断すべきである。
   けだし,民事上の法律行為の効力は,特別の規定がない限り,行為当時の法令に照らして判定すべきものであるが(最高裁昭和29年(ク)第223号同35年4月18日大法廷決定・民集14巻6号905頁),この理は,公序が法律行為の後に変化した場合においても同様に考えるべきであり,法律行為の後の経緯によって公序の内容が変化した場合であっても,行為時に有効であった法律行為が無効になったり,無効であった法律行為が有効になったりすることは相当でないからである。

4 東京高裁平成13年10月11日判決(裁判長は18期の浅生重機裁判官)の判示内容
① 人道の観念と国際法
   上記のとおり,国際法は,国家間の合意の中にのみ存在する。これに反して,いわゆる人道の観念あるいは自然法などを根拠に,戦争被害に関して,個人に請求権を与え,その出訴権を認めることとするとどのような事態が発生するであろうか。そのような権利を認めることは,人道の観念や自然法を法源として肯認するということを意味し,それは個人の救済という観点から歓迎すべきことであるとする見解もあるであろう。
   しかし,それは,人道という観点からみると,全く正反対の事態を生じさせるであろう。そのような人道法が存在することとなると,それが存在しない場合に比較して,戦勝国及びその国民は,戦敗国及びその国民に対して,ますます有利となり,戦敗国とその国民は,ますます不利となる。なぜなら,国家間の合意が必要なら,戦勝国でも,戦敗国との外交交渉を経なければ,賠償を取り立てられない。そこでは,戦敗国の支払能力が考慮されるのはもちろん,戦敗国及びその国民の戦争被害の賠償がされないこととのバランスなども,交渉の結論に反映されるはずである。すなわち,賠償交渉においては,賠償額に影響させるべき全ての要素が問題とされるのである。そして,賠償額に影響させるべき要素とは,戦争の勝敗だけではなく,戦後世界の復興に回すべき資源を確保しなければならないことなど,資源配分の適正を含めて,予想される戦後世界のあらゆる事象が含まれる。
   これに対して,人道の観念から,戦争被害について,個人に出訴権を認めた場合,賠償を認めるべきかどうか,及びその額をどの程度のものとするかは,戦争被害のためにすでに存在するとされる損害賠償請求権により確定される。もちろん戦敗国及びその国民の支払能力を考慮することはできないし,戦敗国及びその国民には戦争被害について賠償のないことも,考慮されない。そして,戦後世界を復興させるべきことや,その他賠償額に影響させて当然とされるすべての事象は,考慮されないのである。
   そのような硬直化した問題の解決は,人類社会の混乱を引き起こすのみである。人道の観念というものも,人類社会の中では万能ではなく,その相対性のゆえに,その使い方を誤れば,かえって人類にとって,脅威の源泉となりうるのである。第1次世界大戦後の賠償問題の処理が,戦敗国を混乱に導き,そのことが第2次世界大戦の原因の一つとなったとの指摘があることは,広く知られたところである。
② サンフランシスコ平和条約の締結について
   証拠(乙22号証,28ないし33号証)及び弁論の全趣旨によれば,サンフランシスコ平和条約の締結に至る経緯,その基本的内容及びその義務等の履行関係は次のとおりである。
ア サンフランシスコ平和条約は,1951年(昭和26年)9月8日,アメリカ合衆国サンフランシスコ市において締結された。
   この条約は,第2次世界大戦の連合国と我が国の間の戦争状態を終了させ,連合国最高司令官の制限の下に置かれた我が国の主権を完全に回復するとともに,戦争状態の存在の結果として未決の問題であった領域,政治,経済並びに請求権及び財産などの問題を最終的に解決するために締結されたものである。
控訴人らの属するオランダも,この平和条約に調印し,批准した。
イ 上記条約においては,日本国が戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,日本国が連合国に賠償を支払うべきことが承認され,また,存立可能な経済を維持すべきものとすれば,日本国の資源は,すべての上記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い,かつ同時に他の債務を履行するためには十分でないことが承認された(第5章「請求権及び財産」第14条)。
ウ 上記のような事情から,我が国は,戦争中に生じさせたすべての損害及び苦痛に対して完全な賠償を行うことまでは要求されず,希望する連合国との間で,いわゆる役務賠償によって,日本国が与えた損害を当該連合国に補償することに資するため,すみやかに交渉を開始することとし(14条1),また,次のような方法で賠償等をすることが承認された。
(ア) 一定の留保の下,各連合国は,その管轄下に有する日本国及びその国民等の財産,権利及び利益等を差し押さえ,留置し,清算し,その他何らかの方法で処分する権利を有する(14条2)。
(イ) 日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構成員に対する償いをする願望の表現として,日本国は,中立国又は連合国と戦争状態にあった国にある日本国及びその国民の資産又はこれと等価のものを赤十字国際委員会に引き渡すものとする。同委員会は,これらの資産を清算して,その結果生ずる資金を,捕虜であった者及びその家族のために,適当な国内機関に対して分配する(16条)。
エ 我が国は,上記のような賠償に係る規定に従って,連合国に対して次のような支払等をした。
(ア) フィリピンに対しては5億5000万ドル,ベトナムに対しては3900万ドル相当の役務及び生産物を提供した。
(イ) 連合国領域内にある約40億ドルの日本人資産は連合国政府に没収され,その収益は各国の国民に分配された。この約40億ドルは,日本円にして1兆4400億円に相当し,これは昭和26年の我が国の一般会計の歳入約8954億円を大きく上回る額であった。
(ウ) 中立国及び連合国の敵国にある日本財産と等価の資金として,総額450万ポンドの現金を赤十字国際委員会に引き渡し,同委員会を介して,14か国,すなわち,オーストリア,ベルギー,カンボディア,カナダ,チリ,フランス,ノルウェー,ニュージーランド,パキスタン,オランダ,フィリピン,イギリス,シリア,ベトナムの合計20万人に上る日本軍元捕虜であった者等に分配された。
オ 他にも,我が国は,中国や朝鮮に対しても在外資産の処分を承認した。ちなみに,「賠償関係資料」と題する外務省調書に引用された「在外資産調査会調」の1945年8月15日現在「我国在外財産評価額推計」によれば,終戦当時,朝鮮及び中国に存在した日本財産は,当時の貨幣価値で,朝鮮が702億5600万円,台湾が425億4200万円,中華民国東北が1465億3200万円,華北が554億3700万円,華中・華南が367億1800万円に上った。
カ 当時の内閣総理大臣吉田茂(吉田総理)は,1951年(昭和26年)9月7日のサンフランシスコ講話会議の全体会議における平和条約受諾演説の中で,「ここに提示された平和条約は,懲罰的な条項や報復的な条項を含まず,わが国民に恒久的な制限を課することなく,日本に完全な主権と平等と自由とを回復し,日本を自由かつ平等の一員として国際社会へ迎えるものであります。」「我が国は,この条約によって全領土の45パーセントをその資源とともに喪失するのであります。8400万人に及ぶ日本の人口は残りの地域に閉じ込められ,しかも,その地域は戦争のために荒廃し,主要都市は焼失しました。また,この平和条約は,莫大な在外資産を日本から取り去ります。条約14条によれば,戦争のために何らの損害も受けなかった国までが日本の個人財産を接収する権利を与えられます。かくのごとくにして,なお他の連合国に負担を生ぜしめないで特定の連合国に賠償を支払うことができるかどうか,はなはだ懸念をもつものであります。しかし,日本はすでに条約を受諾した以上は誠意をもって,これが義務を履行せんとする決意であります。」と述べた。
   我が国が,上記のとおり,前例のない,苛酷ともいえる条件を受け入れ,誠実にその履行を果たしたのは,上記の吉田総理の平和条約受諾演説にもあるとおり,連合国による占領状態から早期に独立し,主権国家として,国際社会に復帰して,連合国と友好関係に入るためであった。

5 その他
(1) Wikipediaに「日本の戦争賠償と戦後補償」,及び「日本の戦後補償条約一覧」(54本あります。)があります。
(2)ア 日弁連HPの「戦後補償のための日韓共同資料室」に以下の頁があります。
① 日本の法令・裁判例・その他資料
② 韓国の法令・裁判例・その他資料
イ リンク先には,「日弁連と大韓弁協は韓国併合100周年にあたる2010年に共同宣言を発表し、植民地支配や強制動員の被害者の被害回復のために持続的な調査研究・交流を通じて協働することを宣言しました。」と書いてあります。
(3) 国立公文書館アジア歴史資料センター(JACAR)HPアジ歴グロッサリー(テーマ別歴史資料検索ナビ)テーマ別検索「公文書に見る終戦-復員・引揚の記録-」が載っています。