明治憲法時代の親任官,勅任官,控訴院及び検事局

1 親任官
(1) 明治憲法時代の親任官は大体,現在の認証官に大体,対応しています。
   ただし,司法関係の親任官ポストは,司法大臣,大審院長及び検事総長だけでした。
(2) 大審院長及び検事総長の定年は65歳でした。
ただし,判事の場合,控訴院又は大審院の総会決議により,検事の場合,司法大臣の決定により,さらに3年間在職することができました(裁判所構成法74条の2及び80条の2)。
(3) 皇室儀制令(大正15年10月21日皇室令第7号)29条に基づく宮中席次によれば,親任官である大審院長は第11ですから,第10の陸軍大将,海軍大将及び枢密顧問と,第12の貴族院議長及び衆議院議長の間でした。

2 勅任官
(1)ア 司法関係の勅任官ポストは,司法省の次官及び局長,大審院部長判事,控訴院長及び地裁所長,並びに控訴院検事長及び地裁検事正だけでした(外部HPの「主要戦前官吏官僚ポスト表」参照)。
   それぞれのポストの序列は,外部HPの「大正・昭和戦前期における幹部裁判官のキャリアパス分析」が分かりやすいです。
イ 狭義の勅任官は高等官1等及び高等官2等の総称であり,広義の勅任官はこれらに親任官を含んだ総称でした。
ウ 狭義の勅任官は現在の指定職に大体,対応しています。
(2) 大審院長以外の裁判官,及び検事総長以外の検事の定年は63歳でしたが,判事の場合,控訴院又は大審院の総会決議により,検事の場合,司法大臣の決定により,さらに3年間在職することができました(裁判所構成法74条の及び80条の2)。
(3)ア 日本の歴史学講座HP「主要戦前官吏官僚ポスト」によれば,大審院部長判事は高等官1等又は高等官2等であり,大審院判事は高等官1等ないし高等官7等でした。ただし,大審院判事の等級に開きがありすぎる気がしますから,正しいかどうか不明です。
イ 高等官3等ないし高等官9等の総称は奏任官でした。

3 控訴院
(1) 控訴院は,現在の高等裁判所に相当する裁判所です。
(2) 函館控訴院ノ移転ニ関スル法律(大正10年4月8日法律第51号)及び大正10年12月6日勅令453号に基づき,大正10年12月15日,函館控訴院が札幌控訴院となりました。
(3) 昭和20年8月1日公布の勅令第443号に基づき,昭和20年8月15日,長崎控訴院が福岡控訴院となり,高松控訴院(昭和21年1月10日廃止)が設置されました(高松控訴院につき,高松高検HPの「高松高等検察庁の沿革」参照)。

4 検事局
(1) 明治憲法時代は大審院以下の各裁判所に対応して,大審院検事局,控訴院検事局,地方裁判所検事局及び区裁判所検事局が付置されていました(裁判所構成法6条参照)。

(2)   裁判所と検事局が分化していませんでしたから,戦後でいう判検交流は普通に行われていた人事でした。

5 参考となるHP
(1) 第13回行政改革推進本部専門調査会(平成19年9月7日開催)の資料一覧に,「戦前の官吏制度等について」が載っています。
(2) 親任官,勅任官及び奏任官の区別につき,日本近現代史研究HP「官僚について」が参考になります。
(3) 国立国会図書館HPの「レファレンス」につき,平成31年2月号に「アメリカが見た明治憲法体制の進化と後退―政党内閣期から2.26事件まで―」が載っています。
(4) 「司法官採用に関する戦前の制度」も参照してください。